パンデミックの中で犬を喪う | フィリオとショコラのちいさなおうち

パンデミックの中で犬を喪う

 

 

我が家の小さな庭にも、春が綻び始めました。

 

 

 

     

 

今朝は朝ごはんが済んでから、かかりつけのさくら動物病院さんに行きました。

1か月に一度健康確認を兼ねて、フィリオの毎日の薬(甲状腺機能低下症の薬、

肝臓腎臓嚢胞持ちなので予防のための肝機能の薬、アンチエイジングのサプリなどたくさん)を頂き、

フィリオとショコラに関節の注射をして頂きます。

ノミダニの薬とビスケットも買って、計2万6千円でした。うぅぅ・・・

今月はお安い方で、もうすぐフィラリア予防が始まり、検査や種々のワクチンも必要、

老犬になるとトラブルも増えますから、犬を飼うのはそれなりにお金がかかります。

 

あなたが犬を家族に迎えたいと思われたら、可愛さの衝動だけでなく、

まずその子の一生涯に責任を持てるか、躾をし毎日散歩に行き一生変わらずに愛せるかどうか、

拘束される時間や経費の問題も含めて、よく考え納得してからにして頂きたいと思います。

 

今はお金の話で失礼しました。

病院で疲れて、寝てばかりの子供達です。

 

 

 

画像は「保健所犬猫応援団」さんよりお借りしました。

 

 

 

「私に何の関係があるというのだ」さんのブログよりご紹介します。

いつも転載させて頂きまして、ありがとうございます。字は転載です。

 

パンデミックの中で犬を喪う

 

ニューヨーク在住Deborah Copaken さんの記事の抜粋です

犬を「安楽死させる」というのが正しい言い方なのはわかっているが、
まるで殺人を企てるために殺し屋を呼んでいるような気がしてならない。

5日前、私はウィリアムズバーグ動物病院の外に立ち、
携帯で獣医とルーカスの安楽死の詳細を話し合っていた。
最近は人間とウイルスは 獣医の診察室に入れないようになっている。

「せめてお別れの時に中に入って 抱っこしてもいいですか?」 と尋ねた。
「いいえ」と獣医は言った。
「スタッフを感染させる危険があるのでビデオ・チャットでお願いします」

ルーカスは衰弱し、視力、歯、そして生きるエネルギーを失っていた。
中国の保健当局が、なぜこれほど多くの市民が致命的な肺炎で倒れているのかを

解明しようとしていた時だ。
私は獣医に、彼が失禁して、自分の尿の水たまりで目が覚めるようになったと説明した。
いつもは優しい犬だったが、散歩に連れて行こうとすると、うなり声を上げて
皮膚が破れるほどの勢いで、私たちの手に噛み付いてくる。
13年近く散歩が大好きだったルーカスは、散歩をしなくなった。

当日、息子と一緒にルーカスを 獣医に連れて行った。
歩道と診察室の間の前庭のコンクリートの床に座り、受付に電話し、来院を告げた。

私はすすり泣きながら自分に言った。
「しっかりしろ、自分。

ニューヨーク市だけでも1万人以上の人間が コロナで死亡し、日に日に多くの人たちが感染しているのだ。
犬のことで泣くのは見苦しい」

コロナ禍における喪失の形は様々である。
日常、予定の喪失 ハグやディナー・パーティー、マスクのない笑顔や賑やかな歩道の喪失。
ピザ屋で見知らぬ人と一緒に座って一切れを楽しむことの喪失。
給料の喪失。健康管理の喪失。睡眠の喪失。
冠婚葬祭、卒業式、家族の休暇の喪失。

息子と私は、春休みにハリー・ポッターを見にロンドンに旅行に行くことになっていた。
飛行機のチケットを買うために、仕事を掛け持ちし、貯金してきたが、

 今、お金も息子との特別な時間も失ってしまった。

多くの友人、そして友人の両親たちの死に泣いた。
アンドリュー・クオモ知事のブリーフィングを見て泣き
長男の仕事が無くなって泣いた。
下の息子の中学卒業を逃して泣いたこともある。
ニューヨークの通りが空になっているのを見て、
そしてコロナによる肺への損傷の映像をテレビを見て泣いた。

今、私は愛犬のことで泣いている。
子犬の頃、父が死にかけている時、私の涙を舐めてくれた犬。

私を笑わせてくれた犬。

「準備はいいですか?」 受付の人が手袋、ゴーグル、防護衣、マスクをして前庭に入ってきた。
最後にもう一度ルーカスを抱きしめ、声にならない叫び声をあげて彼を渡した。

「もうリードは必要ありません」と受付の人が言った。
私は彼のリードを外した。
「首輪も」
首輪を外した時、銀の名札の名前を見て またこみ上げてきた。

空の首輪とリードを手にぎゅっと握りしめ、私と息子はお互いの肩を抱き合い、
冷たい4月の風の中で家に向かって歩き始めた。

ルーカスとはコロナ禍での別れで仕方のないことだったと思うことにする。
ルーカスが息を引き取る時にそばにいて抱きしめることができなかった自分を責めるのをやめる。
人がたくさん亡くなっているのに犬を喪ったことを嘆いている罪悪感を感じるのはやめる。

生きていくことは、喪うことだ。
愛、時間、人、そして最後には自分自身。
生まれた瞬間から私たちは墓の中に片足を突っ込んでいる。
誰もがそのことを知っている。
切り立った崖から落ちる前に、私たちは食べるものや住む場所、そして生きる意味を求めながら、

毛皮の有る無しに関わらず、愛した者たちの思い出をしっかりと握りしめ、
頬に涙を伝わせながら、風の中を進んでいくしかない。


On Top of Everything Else, My Dog Died

 

 

 

 

今日もお出で下さいまして、ありがとうございました。

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