戦争の聞き書き2
昨日に続き、父たちの戦争体験その2を書かせて頂きます。
たくさんの感動的な体験談があふれる中、一つの平凡な家庭のエピソードですから、
退屈と思われる方はどうぞお目こぼし頂きたいと存じます。
ある日、ソ連軍が進駐して来て、日本人町の各戸を臨検しました。
父は国家公務員でしたから、戦犯としてシベリアに抑留される可能性があり、
母は大急ぎで畳を上げて、床下に父を隠しました。
あまり慌てたので床わくを入れ忘れ、ブヨブヨする畳の上に母は必死に座りこんで、
ソ連兵を近づけなかったそうです。あの優しかった母のどこに、そんな強い力があったのでしょう。
1年余の苦難の日々の後、一家と日本人町の皆さんは、アメリカの貨物船に救われて帰国が叶いました。
日本軍が見捨てた日本人を、敵国だったアメリカが、帰国船を出し助けてくれたのです。
そしてそれが、最終の帰国船でした。
この貨物船の底のひしめいた船倉で、1歳足らずの兄は病気がうつり、帰国後間もなく命を落としました。
百日咳かはしかか現代なら助かる病気でしたが、衛生状態も栄養状態も悪い時代だったのです。
この苦難の逃避行をした五人家族のうち、存命なのは長姉だけですが、彼女とて2歳の幼女でしたから、
当時の記憶はまるでないそうです。
帰国した父は大阪地裁に復職し、その後検事と弁護士を歴任して、
正義とリベラルを貫いた法曹人として、七八歳の人生を終えました。
かあさんは今でも、父の価値観をバックボーンにして、父に教えを乞いながら生きています。
長々とお読み頂き、ありがとうございました。
今朝は少し涼しくなりましたので、カメラを持って朝散歩に出掛けました。
さあ、行くよー
エントランスまではカートで。
いつも、お互いに歩調を合わせる仲良し組。
写真は「水道屋別館」さんよりお借りしました。
「弥生、スコットランドはエジンバラ発!」さんのブログよりご紹介します。
カテゴリ:保健所の動物のこと
老いた犬の祈り
https://scotyakko.exblog.jp/23471643/
わたしは今日、わたしの人を失った。
いま、わたしはこの、やかましく、恐ろしい場所にいて、次に何が起こるのかもわからないでいる。
お願い、お利口でいるって誓うから!
誰かは、檻(おり)の間から、わたしのことを覗き込むけれど、わたしの白い顔を見ると、歩き去ってしまう。
ほらね、かれらは、仔犬が欲しいんだ、
仔犬たちだって、家族が与えられるにふさわしい存在だもの。
けれども、神様、
わたしは、怖いのです、
わたしの人たちと一緒に、夜更かしできる夜が、もう2度とないような気がして、
わたしの顔に太陽の日差しを受ける喜びは、もう2度とないような気がして。
わたしは、多分、すこし歩くのが遅いかもしれない、
だけど、わたしの心には、与えたい愛情があふれているというのに!
どこかに、同じように誰か、わたしを愛してくれる人はいないだろうか?
老いた犬の祈り を私なりに、訳させて頂きました。
温かい日差しを、柔らかなベッドを、なにものにも代えられぬ愛情を …
もしかしたら一番、必要としている命へ …。
ありがとうございます。
今日もお出で下さいまして、ありがとうございました。