FIGLIO -母の遺産 その4-
6歳になったフィリオは、最近どうも風貌がオッサンくさくなってきました。
眠っている時も、以前は可愛い寝息や寝言に聞き惚れましたが、今は可愛くないイビキをかきます。
父さんと川の字で寝ていると、二人分のイビキが不協和音のコーラスで聞こえてきて、私は安眠出来ません。
先日の記事「母の遺産 その3」の、続きを書いてと言って下さった方がおられますので、思い出しつつ書かせて頂こうと思います。
前回の記事
かつての戦争の時代、旧満州国に派遣された、父母兄姉と現地で生まれた兄の5人家族は、敗戦で辛酸を舐めた上、やっとアメリカの貨物船で帰国しますが、その頃の思い出を父母がぽつぽつ語ったお話です。
父は判事でしたが、どうも裁判所の実態は機能していなかったようです。
北満の日本人町の粗末な官舎は急拵えで、厳しい寒さに夜は布団に霜が降り、朝は洗面器の氷を割って顔を洗う生活でした。
でもそのつらい生活の中で、母は自力で三人目の赤ちゃんを産んでいます。
戦況が悪化し敗戦となって、町ぐるみ港の町まで移動しますが帰国船は出ず、仕方なく元の町に戻って、何とか暮らしていたそうです。
町を守るのが任務だった関東軍はさっさと逃亡し、町の男達は相談して、ある夜、軍の食糧庫に忍び込もうとしました。
父達は軍の警備兵に機銃掃射され、ほうほうのていで逃げ帰る事になりますが、飢えた同胞の民間人に銃を向けるとは、まさか殺すつもりではなく威嚇したのでしょうが、守るべき民間人を捨てて先に逃げるとはと、語る父の声はふるえていました。
ソ連軍が侵攻してきた時、父母は床下に隠れ穴を掘りました。
父は国家公務員だったので、見つかれば戦犯にされて、シベリア送りにされる危険があったのです。
ある日ソ連の兵隊が入って来たとき、あわてて父を床下に隠した母は、慌てたあまり畳の下のわくを入れ忘れ、とっさにそのゆらゆらする畳の上に座り込んで、決して彼等を寄せ付けなかったそうです。
その後日本軍が見捨てた日本人達は、アメリカの貨物船に救われて、帰国が果たせました。
帰国後父は判事に復職し、検事・弁護士を経て、正義を貫いたリベラルな一生を終えました。
長い間読んで下さってありがとうございました。
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