FIGLIO -母の遺産 その3- | フィリオとショコラのちいさなおうち

FIGLIO -母の遺産 その3-



FIGLIO -フィリオへの伝言 先日、姉二人と私の三人姉妹で、昨春亡くなった母のお墓参りをして来ました。

母の終焉の病院は私の住む北摂の街にあり、その近くを通るたびに、今だに立ち尽くして、その窓を見上げないではいられません。

母は眠るままに苦しみなく旅立ったので、その死を受容れる事は充分出来ているつもりでしたが、いいえ、巨大癌から開放されて大好きだった父の元に帰れた事に、むしろ安堵していましたのに、気持ちとはうらはらに滂沱と涙は流れます。

父と母の昔話を、少しおしゃべりしていいでしょうか?



         





FIGLIO -フィリオへの伝言



かつての戦争の時代、父は母と未だ幼い兄と姉を連れ、旧満州国へと赴任しました。

父は判事で、ハルピンの日本人町に新しい裁判所を立ち上げる為派遣されたのです。

母はここで、三番目の赤ちゃんを自力で産んでいます。

しかし戦況は悪化し、立ち上げどころではなくなった頃、ソ連軍が侵攻し、日本人達は悲劇の逃走に追い立てられます。無蓋車で港の町まで脱出したものの船は出ず、当時の軍部は自国の民間人を見捨てたと聞きます。

仕方なく元の町に戻り、給与は止まって収入もなく、父は靴修理をして、なんとか生き延びたそうです。

暫くしてアメリカの貨物船に助けられ、一家は幸運にも帰国が叶いましたが、不衛生な船倉でもらった百日咳が原因で、三番目の赤ちゃんは1歳にもならず命を奪われました。

この逃避行をした5人家族の内、存命なのは姉だけですが、彼女も2.3歳の頃とて何の記憶もないのだそうです。





FIGLIO -フィリオへの伝言


次姉と私は戦後の生まれで、母達のこの苦難の時代を知りません。

母が存命の内に、いろいろな家族の歴史を聞いておけば良かったと悔やみますが、時間を戻す事は出来ません。

風化してしまう前に、私に伝えられる事があれば少しでもと、重たい話が長くなりました。

聞いて下さって、ありがとうございました。


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