金色堂、それは特別な場所につくられた平和のゲート。
安倍・清原の故地・奥六郡と国府軍の切り取った王土との境界・衣川。
南岸の磐井郡から、小さなせせらぎの先に安倍の故郷・胆沢郡を臨む。
祖父・安倍頼時、母・有加一乃末陪、義父・清原武貞、妻・清原氏。
清衡公は秀郷流藤原氏の流れを汲む経清の子であると同時に安倍氏であり清原氏でもありました。
天治元年(1124)8月20日、清衡公は金色堂を建立、その棟木には藤原の名と共に亡き安倍・清原の名が墨書されました。
清衡公の体内を流れる2つの血。ミヤコとエミシ。
それを離反させる戦争。
王土と奥六郡をつなぐ関路に立ち、衣川に向かい手を合わせる清衡公。
多様なものの中に尊きものが遍満している。
多様性を受容する者によって真の平和は導かれる。
見えざる高き壁はすでになく、一つとなったみちのくの大地に諸仏は来迎する。
仏の御手は礼する者を摩頂し、冤霊を浄刹へと導く。
金色堂建立の2年後、清衡公の作善は、戦で失われた官軍夷虜・毛羽鱗介の精霊供養へと広がってゆきました。鎮護国家を標榜したその祈りは三世十方の諸仏へと覃んでゆくのです。
亡き父母・妻子の救済、そして自身の救済は、三世十方の仏国土を浄める菩薩行へと昇華されてゆきます。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
信仰あるものの言葉は時空を超え、つながってゆきます。
世界がぜんたい、平和に赴く一年となりますよう、心より祈念いたします。