金色堂の建つその場所は、安倍・清原氏の故地・おく六郡ろくぐんこくの地・いわぐんをつなぐせきみちの境界。

 

 

 金色堂の正面扉を開けば東に平泉の市街、さらには朝廷の切り取った(おう)()が広がり、後壁の扉を開けば、西に金銀字一切経写経を奉行した()(ざい)(ぼう)(れん)(こう)の墓をはじめ、奥州藤原一族の墳墓が続く蓮台(れんだい)()、そして奥六郡の大地が広がっています。

 此( し)(がん)()(がん)、京と()(みし)(きん)の地( ち)(ぎん)の地( ち)、それらをつなぐゲートが金色堂です。

 

  (さん)()(じっ)(ぽう)(えん)(れい)を隔てなく供養し、(ぶっ)(こく)()(きよ)めるに最も相応(ふさわ)しい場所。

 

 清衡公は今も「界内(かいだい)」と「(かい)()」とつなぐ(ぶつ)()(とどまって、私たちの現世を見まもっているように感じます。

(おわり)