京の公卿・藤原宗忠の日記『中右記』には大治3年(1128)7月13日に清衡公が73歳で逝去したことが記載されています。一方、中尊寺では7月17日を清衡公のご命日と定め、毎年御月忌法要として胎蔵界曼荼羅供が修されています。
清衡公御月忌胎蔵界曼荼羅供の荘厳(本堂)
令和9年(2027)は清衡公900年御遠忌、翌10年(2028)は没後900年に祥当します。
鎌倉幕府の歴史編纂書『吾妻鏡』には清衡公の臨終を次のように記しています。
「入滅の年に臨んで、俄に逆善を修し、百ヶ日結願の時に当たり、一病なく合掌して仏号を唱え、眠るが如く閉眼し訖んぬ。」
(文治5年9月17日条)
極楽往生を遂げた人々の伝記を記した「往生伝」を思わせるこの記述には、「逆善」(死後の往生のために生前に善を修めること)の行を終えて静かに浄土に赴いた清衡公の臨終の日の様子が描写されています。
次回「清衡公900年御遠忌/清衡公没後900年 ②清衡公の臨終(二)」に続く。