清衡( きよひら)公による中尊寺建立の後、2代基衡(もとひら)公は(やく)()(にょ)(らい)を本尊とする(もう)(つう)()、3代秀衡(ひでひら)公は()(ろく)(じょう)()()(きん)鶏山(けいさん)を臨み阿弥陀(あみだ)如来を本尊とする()(りょう)(こう)(いん)を建立されました。

 

 先に中尊寺「鎮護国家大伽藍」の本尊は(さん)(じん)()(そく)の釈迦如来と解釈しましたが、一旦中尊寺の本尊を含めた三代公建立寺院の本尊を(ほう)(じん)(ぶつ)と見立てて考えると、中尊寺の「釈迦」は久遠の過去に成仏して衆生の過去世からの因縁を照らす仏であり、毛越寺の「薬師」は現世の衆生の病苦を救済する仏、金鶏山の「弥勒」は未来の衆生を教化する仏であり無量光院の「阿弥陀」もまた現世の衆生を未来世へ迎える仏と解釈されます。

 端的にいえば、中尊寺は過去、毛越寺は現在、無量光院は未来の仏国土を浄める寺とも考えられます。みちのく、そしてそこから広がる世界の過去・現在・未来、そして悟りに至るまでの生ける者たちの過去世・現世・未来世を浄めてゆくという願いが「平泉」には込められているのではないでしょうか。

 

 そしてその源流となったのは、()(えい)(ざん)にて「(えい)(ざん)(さん)(しょう)」と(たた)えられる釈迦・薬師・阿弥陀にあったと考えられます。(注)

 過去・現在・未来の(さん)()(しょう)(ぼう)(ぞう)(ぼう)(まっ)(ぽう)(さん)()を包摂する(ほっ)(しん)の大日と(ほう)(じん)の三仏という天台の教学は、清衡公の()(よう)(がん)(もん)の幹となり、その祈りは、基衡公、秀衡公へと受け継がれ、平泉の浄土として広がっていったのです。

 

金鶏山と無量光院(復元CG「甦る都市 平泉」より)

 

(えい)(ざん)(さん)(しょう)

 ()()(しゃ)()()()(ぶつ)

 ()()(やく)()()()(こう)(ふつ)

 ()()()()()(ぶつ)

 (さん)(ぶつ)(らい)(じゅ)(もん)()わく、法界(ほうかい)(しゅう)(へん)(たま)える(だい)(にち)(にょ)(らい)(みょう)(ほう)(きょう)(しゅ)(また)(しゃ)()()づけ、(だい)()(あま)りあり。(また)西(さい)(ほう)(ごく)(らく)()(かい)(じゅう)しては阿弥陀(あみだ)()づけ、(ぞう)(ぼう)(てん)()大方便(だいほうべん)()って(やく)()()()(こう)(ふつ)称号(とな)う。(さん)()()(やく)慈悲(じひ)同体(どうたい)なり。(また)()わく、(さき)(りょう)(ぜん)()っては(ほっ)()()づけ、(いま)西(さい)(ほう)()って弥陀(みだ)()づけ、()(じょく)(あく)()観音(かんのん)()づく。(さん)()()(やく)(どう)(いっ)(たい)なり。

 (めん)(じゅ)()(けつ)()わく、寿(じゅ)(りょう)(ほん)()わく、(しゃく)()(みや)()伽耶(がや)(じょう)()り、(どう)(じょう)()して()(だい)()るは、(いち)(だい)(きょう)(しゅ)(しゃ)()なりと。同文(どうもん)()わく、()()方便(ほうべん)()って、(おう)()()せんが(ため)(ゆえ)にとは、(ぞう)(ぼう)(きょう)(しゅ)(やく)()なり。同文(どうもん)()わく、(われ)(じつ)(じょう)(ぶつ)してより以来(このかた)(はなは)(おお)いに()(おん)なり、(じょう)(じゅう)して(めっ)せずとは、(まっ)(ぽう)(きょう)(しゅ)()()なり。(ゆえ)()(そん)は、(さん)()()(かん)本仏(ほんぶつ)()し、(おな)じく(さん)(しゅ)(ほっ)()(きょう)(しゅ)()())(いっ)(しん)(そく)(さん)(じん)()づけて()()し、(さん)(じん)(そく)(いっ)(しん)()づけて(みつ)()す。(おも)()

 

 (ちゅう)()わく、(しょ)()()(ほん)(ぞん)は、(えい)(ざん)(あん)()()(おん)(じつ)(じょう)(だい)(ほん)(ぞん)(ずい)()(おう)()(しん)()(さん)(ぞん)()うは、(しゃ)()(もん)(じゅ)()(げん)(また)(やく)()(にっ)(こう)(がっ)(こう)(また)()()(かん)(のん)(せい)()なり。

(『修補訓読 台門行要抄』「附録」所収、清原恵光校閲・菅野澄順訓読・都筑玄澄校訂、芝金聲堂刊)

 

次回「中尊寺落慶900年 ⑬十方の浄土」へ続く。