(ちょう)(じゃ)()()(すい)(ほん)第二十五

 

 その時、(しゃ)()()(だい)(じゅ)(しん)にお告げになります。「長者の子・()(すい)は昔、(てん)()(ざい)(こう)(おう)(こく)で多くの民の病苦を治療し、平癒させて人々に安楽を与えた。(中略)人々は『すばらしい大長者の子よ。あなたは偉大なる医者であり、慈悲にあふれた菩薩です。医薬に精通し、人々の病苦を治療してくださったのです。』と言って讃えた。このような称嘆の声は国内に満ちあふれた。

 

 さて、長者子・流水の妻を『(すい)(けん)(ぞう)』といった。夫妻には『(すい)(まん)』と『水蔵(すいぞう)』という名の二子があった。

 

 あるとき流水はその二子を連れて街や村々を散策していたところ、『()(しょう)』と名づけられた大地に出た。その大地の池の水は今まさに枯渇しようとしており、その中には多くの魚がうごめいていた。流水はこれを見て大いに哀れんだ。すると流水の前に(じゅ)(しん)が半身を現して言った。『大変よろしいことです。あなたは実に流水という名だけあって、この魚を哀れんでいるのでありましょう。さあ、この魚たちに水をお与えなさい。(中略)』

 

 長者子・流水は急いで本城にもどり、国王のもとに参じて(中略)次のように申し上げた。『大王様、どうか慈悲のお心で二十頭の象をお与えください。その象に水を背負わせ池に行き、多くの病人の命を救った時と同じように、その魚たちの命も救いたいのです。』

 国王は大臣に命じてすぐに流水に立派な象を与えた。大臣は王の命令を実行すると流水に言った。『先生はすばらしい。どうぞ(きゅう)(しゃ)の中から随意に二十頭の象を選び、命あるものを救って安楽をお与えください。』と。

 

 流水とその二子は二十頭の大象を率い、酒屋から多くの皮袋を借りて、川水の決壊している所から袋に水を入れて象に背負わせ、池の場所まで運び、水を注ぎ入れた。そうして池の水は満ちて元通りになったのだ。(中略)

 

 また二子は父・流水の指示によって最も大きな象に乗って急ぎ家に戻り、祖父・()(すい)(ちょう)(じゃ)に事の次第を説明し、家にある食物を集めて象の背に乗せ、父のいる池辺へともどった。流水は子らがもどるのを見て喜び、食物を手にとって、すべて池の中に散じ入れた。魚たちはその食物をすべて食べ、皆が満たされたのだった。(中略)

 

 さらに流水は、一万の魚たちのために(じゅう)()(えん)()の教えを説き、(ほう)(けい)(ぶつ)(みょう)(ごう)(とな)えようと()(ねん)したのだった。(中略)この宝髻仏は過去において、菩薩の修行を行っていた時に次のような誓願(せいがん)をしたのだった。『どうかあらゆる世界の生ける者たちが臨終の際に私の名を聞くことがあれば、命を終えた後に(さん)(じゅう)(さん)(てん)(てん)(しょう)することができますように。』と。

 

 そして釈迦はまた菩提樹神にお告げになりました。

 「そうして流水とその二子は、かの池の魚のために水と食物を施し、さらに仏法を説いて帰宅したのだった。

 

 また後日、この長者子・流水は宴席で()(がく)を設け、酒に()()していた。一方、流水に救われた一万の魚たちは同じ頃合いに命が尽きると、皆三十三天に転生していた。(中略)そしてお互いに『(中略)かの長者子の所に参上して恩返しをいたしましょう。』と語り合った。(中略)そうして一万の天人たちが、それぞれ一万の真珠や瓔珞(ようらく)飾りを持ち来たり、寝ている流水の枕元や両脇、足元(あしもと)に置き、さらに妙なる花々を膝まで埋まるほどに降らした。光明が世界をことごとく照らして、さまざまな天の音楽が奏でられ、世界中の者たちは皆眠りから覚めたのだった。長者子・流水もまた眼を覚ました。一万の天人は供養を終えると空中に飛び去り、(てん)()(ざい)(こう)(おう)が治める国内の至る所に(れん)()の花を降らせたのだった。(中略)」

 

 釈迦はまた菩提樹神にお告げになります。

 「知るがよい。長者子・流水は私の前世の(しん)である。持水長者は(みょう)(どう)()(さつ)の前世の身である。流水の二子のうち長子・水満は妙幢の長子・(ごん)(どう)の前世の身である。流水の次子・水蔵は妙幢の次子・(ごん)(こう)の前世の身である。そして天自在光王はそなた・菩提樹神の前世の身である。さらに一万の魚たちはここに来臨(らいりん)した一万の天人の前世の身なのである。(中略)菩提樹神よ、私は過去世に於いて生死をくりかえす輪廻の中で、広く生ある者たちに利益を与え、多くの衆生に悟りの境地を開かせて成仏の記別を与えてきた。お前たちも常に迷いの世界から離れるよう勤め、仏道を怠るようなことがあってなならない。」

 

 集まった大衆は、釈迦の説法を聴聞して皆よく理解した。「世尊の大いなる慈悲にしたがって、すべての者を救済し、修行に勤めて、この上ない悟りを開くようにいたします。」と、みな心よりその教えを受け止め、喜びに浸ったのである。

 

()の時、仏、()(だい)(じゅ)(しん)(ぜん)(にょ)(てん)に告げたまわく、「爾の時に長者子()(すい)(おう)(じゃく)の時に於いて(てん)()(ざい)(こう)(おう)(こく)内に在りて、諸の衆生の所有(あらゆる)病苦を(りょう)じ、(びょう)(ぶく)することを得て、安穏の楽を受けしむ。(中略)時に(もろもろ)(しゅ)(じょう)、(中略)(かく)の如きの(ごん)を作す、『善哉(よいかな)、善哉。大長者子、(中略)(なんじ)は今実に是れ(だい)(りき)()(おう)、慈悲の菩薩、妙に医薬を(なら)い、善く衆生の無量の病苦を療ず。』と。是の如きの称嘆、(じょう)(おう)に周遍せり。
 
 時に長者子の妻を(すい)肩蔵(けんぞう)(なづ)く。其の二子あり、一を(すい)(まん)と名け、二を水蔵(すいぞう)と名く。
 
 是の時に流水、其の二子を(ひき)いて、(ぜん)()に城邑・聚落を遊行して(中略)(だい)()あり、名けて()(しょう)と曰う。其の水(まさ)に尽きなんとす。此の池中の於て多くの(もろもろ)(うお)あり。流水見已りて、(だい)()(しん)を生ず。時に(じゅ)(しん)ありて半身を()(げん)して、是の如きの語を()さく、『善哉(よいかな)、善哉。(ぜん)(なん)()、汝(じつ)()ありて、流水と名ければ、此の魚を(あわれ)むべし。応に其れに水を与えるべし。(中略)』
 
 時に長者子、速やかに本城に還りて、大王(だいおう)の所に至り、(中略)是の如きの言を作さく、「唯願わくば大王、慈悲(みん)(ねん)して、二十の大象を与えたまえ。(しばら)く往きて、水を負い、彼の魚の命を(すく)うこと、我(もろもろ)の病人に寿命を与えしが如くせん。」と。爾の時、大王、即ち大臣に勅して速疾(すみやか)に此の()(おう)大象(だいぞう)を与えしむ。時に彼の大臣、王の勅を奉じ已りて、長者子に(もう)す。「善哉、(だい)()(なんじ)今自ら象の(こや)の中に至り、意に随いて二十の大象を選び取り、衆生を()(やく)して、安楽なることを得しむべし。」と。
 
 是の時に流水、及び其の二子は、二十の大象を将いて、又(しゅ)()より多くの()(のう)を借りて、(けっ)(すい)の処に往きて、嚢を以て水を盛り、象をして負いて、池に至りて池中に(そそ)ぎ置かしむ。水即ち()(まん)して、還りて復た(もと)の如し。(中略)爾の時、二子、父の教えを受け已りて、最大の象に乗り、速やかに家中に往きて祖父の所に至り、(かみ)の如きの事を説き、()(ちゅう)の食すべきの物を(しゅう)(しゅ)して、象の上に置き、(すみ)やかに父の所に還り、彼の()(へん)に至る。是の時流水、其の子の来たるを見て、(しん)(じん)()(やく)して遂に(ぼん)(じき)を取り、(あまね)く池中に(さん)ずる。魚の食することを得已りて、悉く皆(ほう)(そく)す。(中略)
 
 復た更に()(ゆい)すらく、(中略)我今当に是の(じっ)(せん)の魚のために、甚深の(じゅう)()(えん)()を演説し、亦た当に(ほう)(けい)(ぶつ)の名を(しょう)(せつ)すべし。(中略)此の仏、(おう)(じゃく)菩薩の行を修せし時に、是の誓を作す、「願わくば(じっ)(ぽう)(かい)(しょ)()の衆生、命終(みょうじゅう)に臨める時に、我が名を聞かん者は命終の後、(さん)(じゅう)(さん)(てん)に生ずることを得ん。」と。(中略)
 
 仏、善女天に告げたまわく、『爾の時、長者流水、及び其の二子、彼の池の魚のために水を施し食を施し、并びに法を説き已りて、俱共(とも)に家に還る。
 
 是の長者子流水は、復た後時に於て(じゅ)()するあるに因りて、(もろもろ)()(がく)を設け酒に酔いて臥しぬ。時に十千の魚同時に命過ぎて三十三天に生じ、(中略)(あい)()いて曰く、『(中略)彼の長者子の所に詣りて、恩を報じ供養すべし。』と。(中略)時に十千の天子は、共に十千の真珠・瓔珞(ようらく)を以て其の()(へん)に置き、復た十千を以て其の(そく)(しょ)に置き、復た十千を以て()(きょう)に置き、復た十千を以て()(きょう)の辺に置き、(まん)()()()()()(まん)()()()()らすこと(つみ)て膝に至り、(こう)(みょう)(あまね)く照らし、種種の(てん)(がく)(みょう)(おん)(じょう)を出し、(せん)()(しゅう)睡眠(すいめん)せる者をして皆悉く覚悟せしむ。長者子流水も亦た(ねむ)りより()めぬ。是の時、十千の天子、供養を為し已りて、即ち空中に()(とう)して去り、(てん)()(ざい)(こう)(おう)の国内に於て(しょ)(しょ)(みな)(てん)(みょう)(れん)()を雨らしぬ。(中略)』
 
 爾の時、仏、菩提樹神善女天に告げたまわく、「汝今当に知るべし、(じゃく)()長者子流水は即ち我が身是れなり。持水長者は即ち(みょう)(どう)是れなり。彼の二子の長子水満は即ち銀幢(ごんどう)是れなり。次子水蔵は即ち銀光(ごんこう)是れなり。彼の天自在光王は即ち汝菩提樹神是れなり。十千の魚は即ち十千の天子是れなり。(中略)善女天、我往昔(しょう)()中に於て、(しょ)()(りん)()し、広く利益を為し、無量の衆生をして悉く次第に()(じょう)(がく)を成ぜしめ、其の(じゅ)()を与えしむるが如く、汝等皆応に(しゅつ)()(ごん)()して、放逸(ほういつ)なること(なか)るべし。」
 
 爾の時、大衆、是の説を聴き已りて、悉く皆()()す。「大慈悲に由り、一切を()()し、(ごん)(しゅ)苦行して、方に能く無上菩提を(しょう)(ぎゃく)せん。」と。(ことごと)く深心を発し、信受し歓喜す。

 

 

(次回「捨身品第二十六」へ続く)