【王法正論品第二十】
その時、この堅牢地神が釈迦に申し上げます。「世尊よ、人の世の国王たる者、正しい方法によって国を治め、国民が安心して生活できるよう養うことがなければ、自身も長く国王の位に在任することはできません。(中略)
どうか私に人王が正しく国を治める方法の要諦をお説きになり、あらゆる国王がその方法を聴聞し、その説にしたがって修行し、正しく政治を行い、長く安寧に王位を保てるようにして、国民に広く利益をお与えください。」
釈迦は聴聞衆の中で、堅牢地神にお告げになります。「よく聴くがよい。過去に『力尊幢』という名の王があった。王には『妙幢』という名の王子がいた。王位について間もなく、父王は妙幢に告げて言った。「国を治めるための王法には正論がある。それは『天主教法』と名づけられている。私は過去世の昔、王位を継ぎ国王となった。私の父王の名を『智力尊幢』といった。父王は私のためにこの王法正論を説いてくださった。私はこの論に依拠して政治を行い、過去世から二万歳に及ぶ間、善政を施して国土を治めた。私は過去大変に長きにわたり、心に誓って非法を行わなかった。お前は今日から非法によって国を治めてはならない。では何をもって王法正論とするのか。よく聞くがよい。これからお前のためにそれを説こう。」力尊幡王は王子のために、妙なる伽陀(詩文)によって正論を説きました。
「(中略)昔、さまざまな天の神々が金剛山に集まっていた。四天王が起ち上がり、梵天に『天子』について問いかけた。(中略)
梵天は四天王の問いに答えて説いた。(中略)天子は人の世に生まれてもその中で尊く勝れた存在であるために天と名づけられるのである。そしてあらゆる天の神々に護られる存在であるために天子と名づけられるのだ。(中略)
もしさまざまな悪業を行えば、その世の中で天の神々に護られることはなくなり、悪い報いを受けなければならない。またその王の治める国の人々が悪業を行っているにも拘わらず、王がそれを捨て置いて禁止することがなければ、正しい道理にそぐわない。悪業を退けて正しい法に随わすべきである。(中略)
天の神々の教え、父母の言葉に随わなければ、非法の人として王ではいられず、また親を孝行すべき子にも値しない。もし自らの国内で非法を行う者を見たならば、法にのっとって処罰すべきである。決して捨て置いてはならない。あらゆる悪しき法を廃し、善政を施すことで、あらゆる天の神々はこの王を護るのである。(中略)
自分を利するために修行を行うと同時に他を利するための施しを行い、正しい法によって政治をおこない、こびへつらう者には、法によって対処するべきである。たとえ王位を失って命を落とすことになろうとも、最後まで悪しき法を用いてはならない。悪を捨て去りなさい。(中略)
たとえ身命を捨てることになっても、非法の者に随ってはならない。親しい者、親しくない者をみな平等に見なさい。もし正しい法に従っていれば国内に偏った派閥が生まれることはなく、『法王』と称号されて、その名は世界に知れわたるだろう。帝釈天を中心とする三十三天の神々は喜び、次のように言うであろう。「世界の法王、彼は我が子である。善なる行いによって人々を導き、正しい法によって国を治め、正しい法を自ら行い、他にも勧めた。来世は必ず我が宮に生まれるであろう。」と。(中略)
天の神々はみな喜び、共に王を護り、諸々の星や日月の運行は滞りない。穏やかな風、しとやかな雨は時節に応じ、作物の苗や実は生育も良く、飢饉に苦しむ人もいない。すべての天の神々はそれぞれの宮殿に満ちている。したがって、国王は身命を惜しまず正しい法を弘め、正しい法を尊重しなさい。そうすれば人々は安楽に暮らせるであろう。常に正しい法に親しんで、その功徳が自ずから備わるようにしなさい。家臣は喜び、悪い行いを避けるようになるであろう。正しい法によって人々を導き、常に安らぎを与えなさい。その国の一切の人々に十善(殺さない・盗まない・淫らな行いをしない・嘘をつかない・飾りたてた言葉を使わない・暴言悪口を言わない・陰口を言わない・貪らない・怒らない・偏った見方をしない)を行わせれば国土は豊かで安楽となるだろう。(下略)」
その時、あらゆる国の国王、すべての聴聞衆は釈迦が、はるか昔の国王の治国の要諦を説かれるのを聞いて、多くの利益を得、大いに喜び、その説法を受け止め信仰したのです。
爾の時、此の大地神女、名けて堅牢と曰う。(中略)仏に白して言く、「世尊、諸国の中に於て人王たる者、若し正法なくば、国を治め衆生を安養し、及以自身長く勝位に居ること能わじ。(中略)
当に我がために王法正論、治国の要を説き、諸の人王をして法を聞くことを得、已に如説に修行して正しく世を化し、能く勝位をして永く安寧を保たしめ、国内の居人をして咸く利益を蒙らしめたまうべし。」
爾の時、世尊、大衆の中に於て、堅牢地神に告げて曰わく、『汝当に諦聴すべし。過去に王あり、力尊幢と名く、其の王子あり、名けて妙幢と曰う、潅頂の位を受けて未だ久しからざるの頃、爾の時、父王、妙幢に告げて言く、「王法正論あり、天主教法と名く、我昔時に於て潅頂の位を受けて、而して国王と為る、我が父王を智力尊幢と名く、我がために是の王法正論を説く。我此の論に依りて二万歳に於て善く国土を治めぬ。我曽て憶せず、一念心を起して非法を行じぬ。汝今日に於て亦た応に是の如きの非法を以て、国を治むること勿るべし。云何が名けて王法正論と為す。汝今善く聞け、当に汝のために説くべし。」爾の時、力尊幢王、即ち其の子のために、妙伽他を以て正論を説いて曰く、「(中略)
往昔諸の天衆、集まりて金剛山に在り。四王座より起ちて、大梵に請問す。(中略)爾の時、梵天主即便ち彼のために説く、(中略)生れて人世に在りと雖も、尊勝の故に天と名く、諸天護持するに由りて、亦た天子と名くることを得。(中略)
若し諸の悪業を造らば、現世の中に於て、諸天をして護持せざらしめ、其の諸の悪報を示す。国人悪業を造るも、王捨て禁制せざれば、斯れ正理に順ずるに非ず、治擯して当に法の如くすべし。(中略)
諸天の教え、及以、父母の言に順ぜざれば、此れは是れ非法の人、王に非ず孝子に非ず。若し自国の中に於て、非法を行ずる者を見ば、法の如く当に治罰すべし、応に捨棄を生ずべからず。是の故に諸の天衆、皆此の王を護持す。諸の悪法を滅して、能く善根を修するを以ての故に。(中略)
自利利他に由り、国を治むるに正法を以てし、諂侫ある者を見応当に法の如く治すべし。仮使、王位を失い、及以、命縁を害すとも、終に悪法を行ぜざれ、悪を見て捨棄せよ。(中略)
寧ろ身命を捨つとも、非法の友に随わず、親及び非親に於て、平等に一切を観ぜよ。若し正法の王たらば、国内に偏党なし、法王名称ありて、普く三界の中に聞こゆ。三十三天の衆、歓喜して是の言を作す、「贍部洲法王、彼は即ち是れ我が子なり。善を以て衆生を化し、正法もて国を治め、正法を勧行し、当に我が宮に生ぜしむべし。」と。(中略)
天衆皆歓喜して、共に人王を護り、衆星位に依りて行き、日月乖席なし。和風常に節に応じ、甘雨時に順いて行われ、苗実皆善を成じ、人飢饉の者なし。一切の衆の天衆、自宮に充満す、是の故に汝人王、身を忘れて正法を弘め、応に法宝を尊重すべし、斯れに由りて衆安楽ならん。常に当に正法に親しみ、功徳自ら荘厳すべし。眷属常に歓喜し、能く諸の悪を遠離す、法を以て衆生を化し、恒に安穏を得しむ。彼の一切の人をして、十善を修行せしめ、率土常に豊楽にして、国土安寧を得ん。(下略)」
爾の時、大地一切の人王、及び諸の大衆、仏の古昔人王の治国の要法を説きたまうを聞きて、未曾有なるを得、皆大いに歓喜信受し奉行しぬ。
(次回「善生王品第二十一」へ続く)