本日12月24日は文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の今年最後のご縁日です。中尊寺経蔵(きょうぞう)では「文殊会(もんじゅえ)」法要が営まれました。

 

 中尊寺経蔵

 

 今からおよそ900年前の大治元年(1126)3月24日、藤原清衡(ふじわらのきよひら)公は中尊寺「鎮護国家大伽藍(ちんごこっかだいがらん)」の落慶供養(らっけいくよう)を厳修(ごんじゅ)しました。そのとき建立された伽藍や落慶法要(らっけいほうよう)の内容、清衡公の願意(がんい・祈願内容)が「中尊寺建立供養願文(ちゅうそんじこんりゅうくようがんもん)(注1)に記されています。その中に「二階瓦葺経蔵(にかいかわらぶききょうぞう)」があります。清衡公は金銀字一切経(きんぎんじいっさいきょう)5300巻を奉納し、等身(とうしん)・皆金色(かいこんじき)の文殊菩薩像を安置しました。等身とは人間の身長と同じぐらいの大きさの仏像です。願文中に「文殊像は三世覚母(さんぜかくも)の名を憑(たの)み、一切経蔵の主(あるじ)となす。恵眼(えげん)を廻らして照見(しょうけん)し、智力(ちりき)を運んでもって護持(ごじ)す。」とあります。文殊菩薩は過去・現在・未来の三世にわたり、悟りに向かう智恵(ちえ)を生み出す母の役割を担っています。智恵の蔵である経蔵の本尊として、智恵の光を廻らして真実を見通し、智恵の力で仏法を護持してほしいという願いが込められたのです。

 「供養願文」に記された経蔵はのちに失われ、清衡公の奉納した一切経は金色堂の隣に建つ経蔵に奉安されて、秀衡(ひでひら)公奉納の金字一切経、宋版(そうはん)一切経とともに護持されてきました。寺伝では「供養願文」に記される経蔵の二階部分が焼失して単層の建物に修造されたと伝えられてきましたが、実際には『吾妻鏡(あづまかがみ)』に記される「宋本(そうほん)一切経蔵」(注2)という別の経蔵で、この「宋本一切経蔵」の古材を再利用して再建されたのが現在の経蔵とみられています。実際に部材の一部に平安時代の華やかな彩色文様(さいしきもんよう)の痕跡が残り、また「年輪年代測定法(ねんりんねんだいそくていほう)」という木材の伐採年代を測定する調査(注3)によって、床の一部に11世紀に切り出された木材が使われていることが確認されています。近世、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の奥州仕置(おうしゅうしおき)の際に金銀字一切経の多くは高野山(こうやさん)へ移動し、現在高野山に4296巻が所蔵され、中尊寺には国宝指定のもので15巻が遺されています。

 

 経蔵の文殊菩薩は中国五台山(ごだいさん)の文殊信仰の影響を受けた「文殊五尊像(もんじゅごそんぞう)」で、五人の眷属(けんぞく・従者)を従えています。向かって左前、師子(しし・獅子)の手綱(たづな)を執(と)るのは古代インド・コーサンビーの王で仏教を篤く保護した「優填王(うでんのう)」。右前には文殊の勧めにより五十三人の師のもとを廻って悟りを得た「善財童子(ぜんざいどうじ)」。左後に文殊の聖地・五台山の仙人にして文殊の化身「最勝老人(さいしょうろうにん)」。右後に遠く西国から文殊の聖地・五台山に求法(ぐほう)に訪れ文殊の化身から「陀羅尼(だらに・呪文)」を授かった「仏陀波利三蔵(ぶっだはりさんぞう)」です。五台山は中尊寺を開山した慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)が求法の旅に訪れた場所で、その金閣寺(きんかくじ)には文殊菩薩像はじめ、金銀字の大蔵経(だいぞうきょう)などが納められていたと大師の旅行記「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」に記され、深い因縁を感じさせられます。この文殊五尊像は現在は宝物館・讃衡蔵(さんこうぞう)に安置され、経蔵には新たな文殊菩薩像が安置されています。

 

 文殊五尊像(経蔵旧本尊)

 

 文殊菩薩は、『華厳経(けごんきょう)』『般若経(はんにゃきょう)』『維摩経(ゆいまきょう)』など多くの経典に登場し、「智恵の菩薩」ともいわれます。『法華経(ほけきょう)』の冒頭では、集まった聴衆にこれから説き明かされようとしている釈迦(しゃか)説法の意義について語ります。過去世にお釈迦様と同様に『法華経』を説かれた「日月灯明仏(にちがつとうみょうぶつ)」をさして「人中尊(にんちゅうそん)」と語ったのも文殊菩薩です。この尊称が『法華経』の教えに立脚した「中尊寺」にも通じているのかもしれません。

 お釈迦様の対告衆(ついごうしゅ・対話者)としてその智恵を私たちに伝えてくださる文殊菩薩。お釈迦様の教えの実践を助けてくださる普賢菩薩(ふげんぼさつ)とともに「釈迦三尊(しゃかさんぞん)」とも称されます。900年前に藤原清衡公が建立した鎮護国家大伽藍のご本尊も釈迦三尊像でした。

 

 文殊会をもって中尊寺のお年越しの法要も終わりです。

皆さまにとって、来年も(来年こそは)良い年となりますことを心よりお祈り申し上げます。

合掌

1.「中尊寺落慶供養願文」(『平泉町史・史料編一』No.11

2.『吾妻鏡』文治5年9月17日条

3.『中尊寺〈寺報〉関山』13号「年輪年代法調査結果を発表」