最近、自分が評価していなかった人が、想定外に評価をされてしまったと言う事件があった。
これをきっかけに、ふと、自分が、サークルの先輩、研究室の先輩、職場の上司などに「評価は他人がするもので、お前の努力は関係ない。」みたいなことを結構言われていたのを思い出した。
思えばさまざまなコミュニティに属してきた自分だが、まぁ、どこにでも1人くらいはいる定番のキャラなのか。しかし、これが世の中のコンセンサスなのかはよくわからない。正直、そうは思いたくないというのが私の考えである。
この言葉、ほとんどの人は、言われてあまり良い気がすることはないだろう。とは言え、自分が頑張ったつもりでも、評価は他人がするのだから、頑張ったからと言って他人に評価してもらえると思ってはいけないというのも真実だと思う。彼らは、そんな真実を自分に諭してくれていたのだと思う。彼らなりの親切心、思いやりだったと信じたい。
ただ、現在、いよいよ40歳、不惑の歳とも言われるおっさんになって改めて思うのは、確かに、評価は他人がするというのは間違いないが、少なくとも自分に関しては、そもそも、他人に評価されてもそれほど嬉しくもないというのもまた間違いないということだ。
人生、そろそろ折り返しているのかもしれないが、まだまだ悩みも多い。正直、もし、他人に評価されることによつて、幸せになれるのであれば、そのような性質を持つ人が羨ましい。
自分の場合、人に評価してもらえない時は確かに悔しかったり悲しかったりはする。かと言って人に評価された時、褒められた時は、むしろそれ以上に気持ち悪い。何か裏があるのではないかと思ってしまう。
ここ20年くらい、このどっちつかずの不安定なパターンを幾度となく繰り返している。不本意ながら、少し非難されて、そいつに対して少しムカついているくらいが最適な状態でもあるようだ。ただ、この不安定さが残りの人生ずっと続くと思うとなかなか思いやられるが、これに関しては人間としての宿命だろう。
これらの経験を総合して考えるのなら、自分が追求しているのは、人によっては「自己満足」と揶揄するものでしかないようだ。
この自己満足が他人からの評価に比例している人に限っては上記のアドバイスは恐らく有意義であろう。一方で、自分のように、自分が何に満足できるのかのか、未だその手掛かりさえ掴めていない人間にとってそのアドバイスは虚しく響く。
自分は他人ではないので断言は出来ないが、なんだかんだ言って、本音はみんなそんなものなのではないか。そう思いたい。
少し話が逸れた。
想定外に評価されてしまったその人。他人である私に評価されていなかったことは事実だが、また別の他人に評価されたこともまた事実。
とりあえず、その人に対して、上から目線で説教してなくて良かったと思う。そんなことをしていれば、今頃、その人との人間関係はかなり気まずくなっていたかも知れない。
他人の評価など個人が軽々しく口にしない方が無難だ。特に今回に限っては、その人の評価を少なくとも本人に向かっては何も口にしていなくて正解だった、と少しホッとする初夏の週末。
まぁ、自分に対しても他人に対しても、評価は他人がするもの、ということで良いだろう。