他人が書いた文章を添削することのむつかしさ | ある日、タシケント@ウズベキスタンの大学の副学長になった私の日常

ある日、タシケント@ウズベキスタンの大学の副学長になった私の日常

「最短ルートで迷子にならない!理工系の英語論文執筆講座」の著者が伝える、魅力的な論文の書き方、研究テーマの育て方。
もちろん、英語ライティングのことも。イギリス大学院、大手企業、大学教員を通じて得た知識と経験を紹介しています。

私は英国の大学院に留学して英語のネイティブの指導教員の研究室に所属し、博士号を取得した。

 

その過程において、もちろん私は何度か英語で論文を書いた。

 

初めて投稿論文を執筆した際、先生は私の英語を丁寧に修正してくれた。しかし、その際、先生は自分の添削に納得がいかないようで、添削業者に依頼して私の英語の論文英語を添削することを決めた。

 

リンク:英国での初挑戦!投稿論文(英語)の執筆

 

その時、私は、「先生、ネイティブなんだから、うまく修正してくれよ。」と少し不満に思ったのだが、今になってみると、これは相当に厳しい要求であったことが分かる。

 

現在、私は大学の教員をしており、ときどき、留学生の日本語の文章の添削を頼まれる。


皆、なかなか日本語に堪能であり、言っていることが分からないということはあまりない。


しかし、日本語のネイティブとして違和感をおぼえないかと言われれば、やはり違和感はおぼえる。


そこで気がついたこと。

 

その留学生による日本語の文章を、日本語のネイティブが違和感なく読めるレベルにまで修正する事はまず難しい。


本当にその必要があるのであれば、インタビューをして書き直すくらいの覚悟が必要となる。それはかなりの手間だ。

 

今更ながら、私の英語の修正を頼まれたネイティブの同僚の反応を思い出すと、おそらく同じことを考えていたのだろうなと思う。


幸い、少し意味が通じない部分を分かるように修正してやるとなると、それ程むずかしい作業ではない。


おそらく、そのあたりが落とし所ではないかと思う。