ちいさな、おはなし。 -70ページ目

線路越しの対話


反対側ホームでジャグリングをする男の手さばきがあまりに鮮やかだったので、僕たちは思わず拍手をおくった。
すると彼はこちらに向かって足を交差させながら深々とお辞儀をし、
暗闇にふっと消えた。
その残像を目に焼き付けながら、
やっと来た夜行列車に乗り込み、僕たちは旅に出た。

◇◇
沼津駅、23時30分。
僕と息子は「寝台特急サンライズ瀬戸」を待っていた。

ホームにはこのサンライズを待つお客さんが2,3人いるだけだ。

反対側は御殿場線のホームである。
そのホームに、実際に彼は、いた。こちら側を向いて足を肩幅に広げ、ジャグリングをしている。

それはもう鮮やかとしか言いようのない手さばきだ。

オレンジ色に薄暗い御殿場線のホームの天井高くまで、彼が投げ上げる白いタマが舞い踊る。

難易度の高すぎるワザに挑戦していると見えて、ときどきタマを落とすのだが、
それを足だけでヒョイっと拾いあげる様がまたイカしているのだ。
僕たちは、ただただ彼の動きに見とれてしまった。

ふと我に返ると、
彼とは直角になる形、つまり東京方面を向く形で、
ひとりの紳士が座っている。

目の前のパフォーマーなどまったく気にならないようだ。ほんの一瞥もくれない。

一瞥もくれないにも程がある。目の前であれほどのパフォーマンスが繰り広げられているというのに。

もしや、見えないのでは?

そんな思いが湧き出した頃、アナウンスが流れ、遠くからサンライズがやって来た。
名残り惜しく感じた僕と息子は、そのとき彼に向かって拍手をおくったのだ。

冒頭に書いた彼のお辞儀は、とてもうやうやしく、コミカルで。
そして、うつくしかった。

彼が消えたように見えたのは、
実は、僕たちの目の前にサンライズが滑りこんできたからだ。

しかし彼が鮮やかに僕たちの視界から消えたことには変わりない。

寝台列車の中で並んで天井を見上げたまま、僕と息子は、なかなか寝つけなかった。
僕と息子だけに見えた、あのパフォーマーの残像。
それが、閉じた瞼の奥でなお躍動していたからだ。