◎ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 2023年アジアツアー@サントリーホール 2023年11月22日19:00
アンドリス・ネルソンス指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
2023年11月来日ツアー
PROGRAM
ワーグナー
楽劇「トリスタンとイゾルデ」から 前奏曲と愛の死
ブルックナー
交響曲第9番 ニ短調
ゲヴァントハウス管東京公演2日目。
昨日の感想が確信に変わった公演。
もはや指揮者など居ないかのような、
ゲヴァントハウス管弦楽団の強烈な個性的音と響きを堪能するだけの会となった。
もはやインタープレターとしての指揮者はそこにおらず、
モチベーターとバランサー、調停役として指揮台に上るネルソンスの姿があった。
まずトリスタン前奏曲と愛の死。
本来元気でヤンチャだったネルソンスがやるトリスタンって、
実は想像の範囲から出てしまうのだが。
かつてベルリン・フィルで聴いたときのタンホイザー序曲の元気でヒロイックな姿は鳴りを顰め、
ただただ鈍色に輝くGHOの音だけがそこにあった。
…正直いうとね、本来私、ワーグナー苦手だったんです。
それをようやっと近年、沼尻さんのおかげで(本当に感謝しております…!)
克服し始めた矢先。
お世話になっている偉大な先人より「トリスタンは不健康な音楽」というお話もいただいていたので
健康この上ない指揮をする(※なお肉体的に不健全w)アンドリスの兄貴がどうなっちゃうんだい…と思っていたが。
…正直ね、もうそこにネルソンスって、立ってるだけのような気がして。
ゲヴァントハウスの鈍色に輝く弦の美音と響きだけが
滔々と客席に流れてくる姿を恍惚と聞き惚れてしまった。
もうね、解釈とか概念とかどうでもいいんです。
好きな音がそこにある。
オーケストラ団員個々人が伸び伸びと弾く姿と
そこに出てる音を聴いてね、って言う一種のプロモーター?モチベーターというか。
続くメインのブル9はもうひっくり返った。
え?だっておんなじコンビのくせに出てる音、音源と全然違うよ??という。
第1楽章からティンパニが主張するわ、ホルンのゲシュトップは立体的に響くわ。
全然音源と違いますやん😭
そして弦!
特にヴァイオリンは古今東西きっての名コンマス、ブロイニンガーが流石のリード。
この人昔、ブロムシュテットのh-Moll-Messeでも似た動きでリードしてたっけ。
でね、相変わらずあの巨体の、師匠譲りのぶきっちょな指揮をチラチラ見ながらアイコンタクトを取って
時折不敵な笑みを浮かべてネルソンスが「ここね!ニコニコッ」ってなった瞬間、ドッカーン!ってファーストから音が切り出されるの。
…いやあ、正直コレはCBSOでは絶対に見られなかった反応速度…。
で、そそしたら丁々発止でセカンドもドッカーン!
…と思ったら横でブラスが、「おーすごい、コレで100パーでしょ」という
激重爆弾を投下し始めたと思ったら、ネルソンスが棒をヒョイ、っと持ち上げると130%になるというカオス…。
ちょっと去年のサイトウキネンのマラ9の2日目の豹変具合を思い出した。
あの時もやはり「え?昨日と違うじゃん??」という感想だった。
だって昨日のメンデルスゾーンは14型で、あぁ、ゲヴァントハウス楽長としての顔よね、って思ったのよ。
今日の兄貴、なんかちょっと乗るかそるかの危ない橋を渡っているようだった。
事実、オケの人間的な体力の限界量を突破させてない?ということに起因する粗さもあったが
「まだいけるぜ…」と2ndヴァイオリンがブラスを突き破ってP席にドッカンドッカン音を突き出す2楽章には本当に恐れ入った。
で、3楽章も3楽章でオケを本当に自発的に音を出させて歌わせるのだ。
そこにはやはり昨日感じた、
遠くコンヴィチュニーや、マズアが作り込んだハスキーで、そんなに洗練されてないけど
鈍色に輝く音を観客に刻みつけんと棒を振るネルソンスの姿があって、
ああ、この人本当に自分というものがないんだなって、改めて思った。
最初は思ったさ。
よく覚えてる。
忘れもしない2011年秋の楽友協会で聴いた、「え、これが本当に欧州3大オケ???」と戦慄した
珍しくティンパニとパーカスがわりかしボロボロになったコンセルトヘボウのペトルーシュカから
2012年の帰国前に聴いたベルリンでの英雄の生涯で虜になってしまったときも。
ああ、実はこの人はオケメンとして音楽家をはじめ、
それでいてオケメンを好きで「うちのオケ、凄いでしょ!?ニコニコッ」って人になっていったのだな、と。
そんな、日本でなぜ彼が流行らないか、ちょっと納得がいきつつ、
ゲヴァントハウスの最高の響きを堪能できた一夜でしたね。
…まだ進化を続ける、ちょっと変わった指揮者の一人、アンドリス・ネルソンスの追っかけ。
まだ当分やめられませんかね。
やっぱライプツィヒには行かねば…