◎東京交響楽団 第668回 定期演奏会 2019年3月25日19:00@サントリーホール 



モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ長調 K.219 「トルコ風」
ショスタコーヴィチ:交響曲 第4番 ハ短調 op.43



《プロローグ》
それは昨日(日付変わって一昨日)の話。
たまたま同僚の方と、
「明日のシフト、どうします?人(職員)いっぱいいますし。」
と話していたら、
…確かにコレはひょっとして、調整したら明日のウルバンスキ、いけるんじゃね?

…いやいやムリだ。
だって私は19:00から面談だし。

…そう思っていた。
今日の夕方一本の電話が入るまでは…。
「うぇるてるさん、19:00〜の面談、キャンセルになりました。」

…なんと!すると18:30〜のアポを済ませば今日はお役御免??
すると、前半は間に合わないけど、後半のショスタコーヴィチの4番は間に合うぞ!

急いで仕事を片付けてサントリーに着いたのが19:20!
モーツァルトのコンチェルトは聴き逃したけど、
タコ4間に合った〜!!

外のテレビからエーベルレのヴァイオリンを聴いていたが、
先月の名フィルとの素晴らしいドヴォルザークを思い出す美音。
贅沢は言うまい、だが、コレを聴き逃したのは痛かった…。
モーツァルト終了後入場し、アンコールだけ聴きました。

お!先月の名フィルの時と同じ、プロコフィエフじゃん!
こちらはホールの音響の勝利か、先月より堪能できた。
やっぱりサントリーホールのこのウェットさは室内楽や器楽にはいいのだろう。

後半のタコ4🐙は正直、中高生当時、
ショスタコーヴィチを聴きはじめた当初は苦手だった。
自分語りで申し訳ないが、生来のもので、
どうも綺麗で、整って、キラキラした存在って苦手で、
(こんな捻くれてるから友達も少なく、硬派ヲタに成り下がったのだろうが)
それが学生時代の僕には「サイモン・ラトル」という指揮者だった。
今思えば名盤なのはよく承知だが、
あのラトルの最高にスマートでカッコよくて、
なによりも薄味煮干しラーメンみたいなショスタコ4番演奏が
大嫌いで大嫌いで仕方なかったww

音楽の教科書の裏表紙に、当時ベルリンのシェフになりたてのラトルが写ってて、
クラシックヲタ仲間の前で、このCD引き合いにして
見るたびに散々disってたっけw
嫌な高校生だぜw
(しかしその当時の高校(男子校)は不思議なもので、
私以上に尖ったヲタがたくさんいて、
私がメトネルやらブゾーニやらのマイナー作曲家や、
フルトヴェングラーを聴きだしたのも彼らの影響だった。)

その後、この交響曲が好きになれたきっかけを作った音源はこちら↓


初演者による、他に比類のない圧倒的な迫力。
一気にこの曲に魅せられたのを覚えている。
当時なけなしの小遣いを少しずつ貯めて買った、
初めての全集はコンドラシンだったが。
特に8番、13番、10番、そして4番ははお気に入りで、
何回も何回も聴いたっけ。
(再度、変な高校生ですみませんw)

というわけで、ショスタコーヴィチは、僕には青春を閉じ込めた思い出の作曲家なんです!
…ま、要約すると好きな作曲家、ってことだけどw

4番といえば『マクベス夫人』と並んで、
プラウダ批判の犠牲になった曲。
若いショスタコーヴィチがそれだけ、
社会をひっくり返しかねない凄まじい音楽を書いていたのは、
私はこの4番までと思ってやまない。

以前、マクベス夫人を観たとき、
こんなオペラを20代の若者が作ったと思ったら、
私も寒心を禁じ得なかったし、
言論統制しまくりの疑心暗鬼の塊のスターリンが聴いたら当然だと思った。

第4交響曲はまさにマクベス夫人と表裏一体で、
純音楽でとてつもない影響力を発揮すると、
今日の実演を聴いていて確信した。

ウルバンスキといえば去年のグラフェネックで、
NDRエルプフィルを聴いて以来。
あの時はベートーベンのエロイカで、
割に爽快な演奏で、クールだなあという印象だったが。

今日からは、多分ショスタコ限定かもしれないが、
「サイコパス知能犯系イケメン指揮者(CV櫻井孝宏)」
と命名することにした。

まず第1楽章。
カッケーーー!
見た目もイケメンだけど、音楽もイケメン!w
スタイリッシュで、クールで、しかもバランサータイプだから、
しっかり当時のショスタコーヴィチの書いた二ヒリスティックな要素もうまく盛り込まれてるし。

しかしちょっとやり過ぎ感はあったかな。
1楽章後半は、かなりのハイカロリードライブでオケも疲れ気味。
2楽章で持ち直したけど。

また2楽章が面白かった。
第1楽章の、あのシャープさからはうって変わって
ショスタコーヴィチのマーラーインスパイアを
凄く丹念に仕上げていた。
ちょっとオーストリアの農村入ってるんじゃないというか。
この落差から1楽章でフル回転した脳が2楽章で休もうとしているのか、
いい意味で眠気が押し寄せてきた。

それにしても、東響って凄まじいカメレオンオーケストラだなあ。
この前のヴィオッティのときはあれだけ明るめの
イタリアンブラスだったのに。
今日は他ならぬソヴィエトのオケ。
ウルバンスキも、前のベートーベンもそうだったけど、
少しヴィブラート抑えめで、かなりキンキンの冷たい弦になってる。

それが火を吹いたのが(冷凍砲?w)第3楽章。

さ、寒い…

凍えそうだ。

確かにホールの空調が割と低めなのもあったが、
絶対に音楽のせいw

まるでシベリアの強制収容所の情景。

ピッコロは、わざとだろうがカッスカスの
乾燥気味の甲高い音だし。
これは冒頭からだが、よく音程や、
アーティキュレーションを短めに取った金属音が、
まるで監獄の鉄格子のようだしw

最後のトゥッティは、きっとショスタコーヴィチの
大団円するロマン派交響曲への皮肉をたっぷり込めた部分なのだろうが、
私にはこのどのパートの絶叫も満遍なく高解像度で聴こえてくる演奏は、
異常快楽殺人的な心理状態の描写に思えてくるほど、
なかなかの生々しさと、ホラー…。

き、きつい。
寒いし、頭痛いし…。

こういう時って、やはり音楽の力は恐ろしい。
久々に聴いて押し潰されそうになる系の演奏でした…

帰り際に森ビル脇の桜。
だいぶ東京も見頃。
明日は上野でインバル(またしてもショスタコーヴィチ)だし、見物に行こうかな。