その1からの続き
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別の可能性は、わたしが2番目の対応の方法と呼んでいるものです。
皆さんは怒り、そして瞬時に皆さんの頭の中の声が話します。
“これはあってはならない。
これは悪いことだ。
怒るのは良くない。
わたしは怒りを抑えなければならない。”
皆さんの怒りを抑圧することは、皆さんの宗教的な生い立ちを通して、あるいは社会的な視点から、皆さんに教えられてきました。
例えば、他の人々に皆さんの怒りを明らかにしないことは、より良く、より素晴らしく、より道徳的に厳格なことです。
率直に怒りを表現することがそぐわないことは、確かに女性に当てはまります。
それは女性らしくないからです。
皆さんが今まで説得されてきて、皆さん自身の中で皆さんが怒りを判断する原因になっている、すべての種類の考え方があります。
次に、何が起こりますか?
皆さんの中に怒りがあり、そして瞬時にその怒りを超えてひとつの意見が湧き上がります。
“これは許されない。これは悪いことだ”。
次に皆さんの怒りは皆さんの影の部分になります。
何故なら、それは文字通り、光の状態にならないからです。
それは皆さんが見てはいけないものになります。
もしも怒りがこのようにして抑圧されると、その怒りに何が起るでしょうか?
怒りは消えず、皆さんの背後に回って、別の方法で皆さんに影響を与えます。
皆さんに怖れや不安をもたらす可能性があります。
皆さんは怒りの中に宿っている力を活用することはできません。
何故なら、皆さんは皆さん自身がそれを利用することを許さないからです。
皆さんは皆さんの優しく、素晴らしく、有用な側面を明らかにするかもしれませんが、しかし情熱的で怒りを持った側面は明らかにしません。
皆さん自身の反抗的な側面です。
そのため、その怒りは閉じ込められ、そして皆さんは、皆さんがこうした数々の感覚を持っているため他の人々とは違うと考え、皆さん自身を敢えて他の人々から遠ざけ始める可能性があります。
とにかく、こうした状況が、皆さん自身の内部と、外見上の光の自己と闇の自己という2つの自己の間で、ひとつの苦々しい葛藤を創り出します。
それと同時に、皆さんはこの悲痛なゲームに巻き込まれ、皆さんは皆さん自身を表現することができないため、それが内面を傷付けます。
この判断が、皆さんを限定します。
皆さんは、この対応のために、ほんとうにより良い人柄になりますか?
皆さん自身の数々の情緒を抑圧することは、皆さんを穏やかで愛情溢れる人間という理想に導こうとしているでしょうか?
もしもわたしがこのすべてを皆さんに説明するとすれば、皆さんはこの種の対応が機能しないことをかなり明確に理解することができます。
それは、真の穏やかさ、真の内面の安定に結び付きません。
それにもかかわらず、皆さんは皆さん自身に対してこのすべてを行います。
皆さんはあまりに頻繁に、皆さんの情緒を沈黙させます。
何故なら、皆さんの情緒は皆さんが抱いている数々の倫理によると、良いものではないからです。
そして皆さんは、こうした倫理が何処から現れて、誰によって、何によって皆さんに与えられたのか、良く考えません。
そのため、わたしは皆さんに、これを勧めます。
それについて考えるのではなく、それを感じることです。
時に外見的にとても高い動機から現れる、理想になっているものと皆さんが “すべき” ものという皆さんの発想で、皆さんが皆さん自身に向けて火を付けている数々の判断があります。
その判断の中に宿っている、そのエネルギーを感じてください。
それをそのままにしてください。
皆さんは、皆さんの情緒を抑制することによって、また体系的に情緒を抑圧することによって、啓発を得ることはありません。
3番目の方法、皆さん自身の人間的な上昇を表現する第三の方法があります。
最初の方法は、先の具体例の中のように、完全に皆さんの怒りと一体になることでした。
2番目の方法は、怒りを締め出し、怒りを抑圧し、そして怒りを非難することでした。
3番目の方法は、怒りを許すことです。
怒りをそのままにして、それを超越することです。
それは意識が行うことです。
わたしが伝えている意識は、判断を下しません。
それはひとつの存在状態です。
それはひとつの観察方法であり、それと同時に創造的なものです。
今、数多くの霊的な伝統が、“皆さん自身を心得ろ、それで充分だ”、と伝えてきました。
皆さんはどうすればそれを行うことができるのでしょうか?
どのようにすれば、単なるわたし自身という自覚的意識がわたしの情緒の流れの変化を引き起こすことができるのでしょうか?
皆さんは、意識とは非常に強力なものであることを良く理解することが必要です。
それは、ひとつの情緒の受動的な位置合せ以上のものです。
意識は、ある強力な創造的な力を備えています。
ここでもう一度、外部世界の何かが皆さんの中で、例えば怒りというひとつの強力な情緒を呼び起こすことを思い描いてください。
皆さんがその怒りを意識的に処理する時、皆さんは皆さん自身の内部で完全にその怒りを観察します。
皆さんはそれについて何もせず、その一方で同時に皆さんは観察と注目を続けます。
皆さんはもはや怒りと一体ではなく、皆さんの怒りの中で皆さんを失うことはありません。
皆さんはただ、その怒りがそのままで存在することを許します。
これはひとつの感情超越の状態ですが、しかし非常な強さをもった感情超越です。
何故なら、皆さんが今まで学んできたあらゆる物事が、皆さんを皆さんの雰囲気の中に、怒りあるいは怖れという情緒の内部に引き寄せられた状態に誘い込むからです。
そしてそれをさらに複雑なものにするために、皆さんはまた、その怒りあるいは怖れについての判断に引き寄せられます。
それで皆さんは、2つの方法で引き寄せられ、意識から、わたしが最初に話題にした出口から、引き離されます。
内面の穏やかさに向かう路になる出口です。
情緒に対処する皆さんの普通の方法が、言ってみればその中心点から、その意識から、皆さんを引き離します。
それにもかかわらず、これが唯一の脱出方法になります。
ただ情緒全体を静かに観察することによって、皆さんは無意識になることなく、皆さんは完全に現在に留まります。
皆さんは、情緒によっても、情緒の判断によっても、皆さん自身をその情緒の中に引き寄せられることはありません。
皆さんは充分に意識して、柔軟な感覚で、その情緒に目を向けます。
これが、わたしの中にある方法です。
“わたしはわたしの中で湧き上がる怒りを確認する。
わたしは、わたしの身体を駆け巡る怒りを感じる”。
“わたしの胃が、あるいはわたしのこころが反応する。
わたしの思考はわたしの情緒の理由を正当化するために反応している”。
“わたしの思考が、正しいのはわたしで、他の人物ではない、と伝える”。
皆さんが皆さん自身を観察する時、皆さんはこのすべてが起っていることを確認することができますが、しかし皆さんはその情緒に足並みを揃えることはありません。
皆さんは、情緒の中で溺れ死ぬこともありません。
皆さんは、行き詰ることもありません。
それが意識であり、これが精神の透明性です。
そしてこのようにして、皆さんは皆さんの生命の中で、怖れ、怒り、不信という悪魔を眠らせます。
皆さんは、その情緒と一体になる時、あるいはもしも皆さんが判断を用いてその情緒と戦う時、その情緒を強化します。
いずれにせよ、皆さんは情緒を助長します。
情緒を超克する唯一の方法は、言ってみれば、皆さんの意識で、情緒から超然とすることであり、情緒と戦うことではなく、単純に情緒を存在させることです。
その時、皆さんに何が起っていますか?
意識は静的なものではありません。
物事は、その姿のまま留まることはありません。
もしも皆さんがその情緒のエネルギーを、あるいは皆さんの情緒についての判断のエネルギーを助長しなければ、情緒は徐々に消えてゆくことを、皆さんは気付くようになるでしょう。
言い換えれば、皆さんのこころの平静がさらに強くなるでしょう。
皆さん基本的な感覚は、より穏やかで歓びに溢れたものになります。
何故なら、もしも皆さんのこころの中と皆さんの魂の中にもはや戦いがないとすれば、歓びが上に向かって泡立ってくるからです。
皆さんは人生を、より温和な目線で確認します。
皆さんは皆さんの身体の中の情緒の動きを確認し、そしてそれを観察します。
皆さんはまた、柔軟で温和な目線で、皆さんの頭を貫いて走り始める思考を観察します。
観察して飲み込まれない能力が、とても力に溢れた強いものであることを認識してください。
それが目的になっているすべてです。
これが出口です!
その3に続く