第三章
第三祖。商那和修尊者が、阿難陀尊者に質問した。「物事が本来生じないとはどういう事ですか。」 阿難様は和修尊者の袈裟の角を指差した。和修尊者は別な質問をした。「仏の生命とはどういう物ですか。」 阿難様は次に和修尊者の袈裟角を引っ張った。その時和修尊者は「ああそういう事か」と納得した。
第三祖。商那和修尊者。阿難陀尊者に問ふ。何物か諸法本不生の性なるや。阿難、和修の袈裟角を指さし、又問ふ。何物か諸佛菩提の本性なるや。阿難、また取和修の袈裟角を取て引く。時に和修大悟す。{本則現代語訳}
師は摩突羅国の人なり。梵には商諾迦といひ、此には自然服といふ。和修うまれしとき。衣をきてうまる。それよりこのかた、夏は涼き衣となり、冬は暖かなる衣となる。すなはち発心出家せしとき、俗服おのづから袈裟となる。佛在世蓮華色比丘尼のごとし。たゞ今生恁麼なるのみにあらず。和修むかし商人たりしとき、百佛に氎百丈をたてまつる。それよりこのかた。世々生々のあひだ、自然服を着す。おヽよそ一切の人、本有をすて当有にいたらざる間を、名づけて中有とす。そのときのかたち悉くみな衣をきず。今和修尊者のごときは、中有にしても衣を著す。また商那和修といふは。西域の九枝秀といふ草の名なり。聖人うまるヽとき、この草浄潔の地に生ずるなり。和修うまれしとき、この草また生じき。これによりて名とす。在胎六年にしてうまれき。むかし世尊一の青林を指して、阿難につげて曰く、この林地を優留荼となづく。われ滅後一百年に、比丘商那和修といふものあらん。このところにして、妙法輪を転ぜんと。一百年後、いま師こヽにうまる。つゐに慶喜尊者の付囑をうく。すなはちこの林にとゞまる。法輪を転じて火龍を降す。火龍帰伏して、この林をたてまつる。これ実に世尊の来記たがはず。然るに和修尊者はもと雪山の仙人なり。阿難尊者に投じて、いまの因縁あり。いはゆる何物是諸法本不生性と。実にこれ人所未問なり、和修ひとりとふ。たれか諸法本不生性なからん。然れども有ことをしらず、またとふことなし。なんとしてか不生の性といふ。万法諸法ことごとくこの処より出生すといへども。この性つゐに出生するものなし。ゆゑに不生の性といふ。故にことごとく本不生なり。山これ山にあらず、水これ水にあらず。ゆへに阿難和修の袈裟角をさす。
第三祖はマトゥラーの人であり、梵語ではシャーナヴァーサ(商那和修)またはシャナカヴァーサ(商諾迦縛娑)といい、自然服と漢訳される。商那和修が生まれた時、衣服を着て生れ、それ以後夏は涼しく冬は暖かい衣服となる。発心出家するとそれまで着ていた俗服がそのまま袈裟衣となった。これは仏陀在世時代の鮮白比丘尼(原文は蓮華色比丘尼とあるは錯誤か?)「また鮮白比丘尼、發願施氎ののち、生生のところ、および中有、かならず衣と倶生せり。今日釋迦牟尼佛にあふたてまつりて出家するとき、生得の俗衣、すみやかに轉じて袈裟となる。和修尊者におなじ」(『正法眼蔵袈裟功徳』)であり、そもそもシャーナヴァーサ(商那和修)は「西域の九枝の秀草の名なり。若し羅漢聖人、降生すれば則ち此の草は淨潔の地に生ず。和修の生まれし時も瑞草斯れに応ず。
{機縁及び現代語訳}
「昔、如来、行化して摩突羅国に至る。一靑林の枝葉茂盛せるを見、阿難に語りて曰く。この林地、優留荼と名けむ。吾が滅後一百年にして、比丘商那和修といふものありて、此の地に於て妙法輪を転ぜむと。後百歳にして和修を誕む。和修出家して道を証し、慶喜尊者の法眼を受けて有情を化導す。此の林に止まるに及び、二火龍が妨害を辞めて仏教に帰順した。龍はそこで其の地を施し、以て梵宮を建つ。」(『景徳傳灯録』商那和修章)この伝説は仏陀世尊の予言(授記)の通りだった。ところで商那和修尊者はもとヒマラヤ(雪山)の仙人であったが、末期に阿難(慶喜)尊者の弟子と成り、この縁を受けた。それが「何物是諸法本不生性」の問答で仏の生命を自覚した。この質問は他人が誰も口にしなかった言葉である。このあらゆる物は自己の想いを超えている(諸法本不生性)であるのは商那和修尊者だけに限らず、万人共通の事なのに、他の者はこの事を知らないでいるので、誰も問題としない。不生の性=自己の想いを超えた事実の世界とは、あらゆる人や物事がここから始まっているのが、事実は何も生み出してはいない。その事実がすべてそのまま本来不生であり、山や水と呼んでも、それは人間がそう名付けた物であり、本来は不生の事実だから、阿難様は和修尊者の袈裟角を指し示したのである。
語註・・・何物是諸法本不生性―首章から二章の機縁はそれぞれ『正法眼蔵』や『永平廣録』に記載されるが、この三章の機縁はそこに見当たらない。あるいは永平寺二祖孤雲懷弉様の『光明藏三昧』に引用される『大日經』の文ではないだろうか。また「袈裟角を指指す」は『宏智頌古』第八十一に由るかも知れない。摩突羅国ーマトゥラーMathuraは、インド北部のウッタル・プラデシュ州にある都市。インドの首都デリーから145㎞ほど南、アーグラから50㎞ほど北に位置し、ヤムナー川に面している。人口601,894人 (2011年)。商那和修ーしょうなわしゅ:前378~298頃Śāṇavāsi,,Sanakavasa又譯して舍那婆斯、舍那婆數、舍那和修、奢搦迦、商諾迦縛娑など。仏陀世尊以降、佛の正法は摩訶迦葉―阿難―商那和修―優婆毱多―提多迦と附属、傳持されるが、この事は『阿育王伝』『附法蔵因縁伝』『舎利弗問経』『雑阿含経』『根本説一切有部毘奈耶雑事』『賢愚経』などに精しく、迦葉以降の五人を特に「異世の五師」と呼んでいる。これらの多くは「説一切有部」系統の人であり、釈尊、摩訶迦葉、阿難などの根本仏教の伝承者について、世尊ー摩訶迦葉ー阿難ー商那和修ー優波毱多ー提多迦という法の付属、継承が明記される。道元禪師は『正法眼藏供養諸佛』の中で『摩訶僧祇律』第三十三を引用した後に「佛法は有部すぐれたり、そのなか僧祇律もとも根本たり。・・・・祖祖正傳しきたれる法、まさしく有部に相應せり」と述べる。もちろん『僧祇律』と『有部律』は別だが、その伝訳者はいずれも直接、現地寺院等での見聞を伝えている。スリランカを中心とする南方仏教の伝承では仏滅から阿育王即位まで218年とするが、北伝仏教では仏滅からアショーカ王即位は116年となっている。北伝では仏滅後100年に優波毱多がマツラーに現れて無相好佛と言われ、パータリブトラを首都としたアショーカ王を導き、王を四大仏跡に案内したことが共通している。なおアショーカ王の即位は宇井伯壽、中村元の両先生が紀元前268年として確定させている。この名はもと草の名、大麻或いは苧麻の一類。其の纖維は衣服となす。商那和修の名は、意訳するに胎衣、自然衣、麻衣、紵衣となす。鮮白比丘尼 śuklā シュクラー、叔迦羅、佛弟子で阿羅漢果を得たとされている。 『正法眼藏袈裟功徳』 に精しいが、もとは『撰集百緣経』卷第八「白浄比丘尼衣裹身生緣」を引用している。氎―ジョウ、折り目の細かい綿布 百丈―1丈は一〇尺と定義されている。明治時代の尺貫法で一尺=約0.303 030と定義されたので、1丈は約三、〇三メートル。百丈は三百メートル程となるが、ここではたくさんの綿布の意味。
それ袈裟といふは梵語。此には壊色といひ、不生色といふ。実にこれ色をもてみるべきにあらず。またかみ諸佛よりしも一切の螻蟻蚊虻にいたるまで。その依報正報ことごとくこれ色なり。一辺の所見かくのごとし。然れどもすなはち、またこれ声色にあらず。ゆへに三界のいづべきなく、道果の証すべきなし。かくのごとく会すといへども、和修再び問ふ。何物か諸佛菩提の本性なると。曠大劫よりこのかた、錯らざること恁麼なりといへども。一度び有ることをしらざれば、徒に眼にさへらる。ゆへに諸佛出生の処を明らめんと、恁麼にとふ。よぶにしたがひて応じ、たヽくにしたがひていづることをしらしめんとして、ことさらに和修の袈裟の角をとりてひきしらしむ。時に和修大悟す。実にそれ無量劫よりこのかた。あひ錯らざることかくのごとくなりといへども、一度築著せざるがごときは、自己の諸佛の智母なることをも知るべからず。これによりて諸佛番々出世し、祖師代々指説す。かつて一法の人に授くべきなく。さらに一法の他に受くべきなしといへども。自面にさぐりて鼻孔にさはるがごとくなるべし。参禅は須らく自ら參悟すべし。さとりおはりては人にあふべし。もし人にあはずんば、徒に依草附木なり。実に参禅いたづらにすべからず。一生むなしくすべからざること、今の和修の因縁をもてあきらめつべし。徒に自然天然の見を発すべからず。己見旧見をさきとすべからず。またおもふべし、佛祖の道は人をゑらび機をゑらぶ、われらがたへるところにあらずと。恁麼の所見実にこれ愚劣の中の愚劣なり。昔人いづれかこれ父母所生の身にあらざる、いづれかこれ恩愛名利の人ならざりし。然れども一度すでに参ぜしとき、かならず参徹しき。ゆへに天竺よりわが朝にいたるまで、正像末の三時異なるとも、証果の聖賢、山をしめ海をしむ。然れば汝ら諸人、見聞を具足すること、すでに古人に異ならず。たとひいづれのところにいたるとも、ことごとくいふべし、汝等この人なりと。迦葉・阿難と四大・五蘊かはれるところなし。何によりてか道におきて古人にかはるべき。たヾ究理弁道せざるによりて、徒に人身を失却するのみにあらず、つゐに己れあることをしらず。かくのごとくむなしくすべからずと相承して、阿難もかさねて迦葉を師とし、阿難陀また和修を接し、師資の道伝通す。かくのごとく流通しきたる。正法眼蔵涅槃妙心佛の在世と異なることなし。ゆへに佛生国にうまれざることをうらむることなかれ、佛在世にあはざることをかなしむことなかれ。昔し厚植善根。深く般若の良縁をむすぶ、これによりて大乗の会裡にあつまる。実にこれ迦葉と肩をならべ、阿難と膝を交ゆるごとし。然れば一日は賓主たりとも、終身すなはち佛祖たらん。みだりに古今の情に封ぜらるヽことなかれ。声色の法にとヾこふることなかれ。夜間をも日裡をも、むなしくわたることなかれ。子細に弁道功夫して、古人の徹処にいたり、今時の印記をうくべし。適来の因縁をあかさんとおもふに、また卑頌あり、聞んと要すや麼.{拈提}
目もくらむ高い岩山から流れ出る無源の水が、気が付かないうちに
石を穿ち、雲を払いながらこんこんとわき出て来る。
そんな中に雪が吹き付け、桜の花びらが筏をなして、
流れ続ける白滝の水が凡夫の料簡を吹き飛ばしてくれる。
萬仭の巖上、無源の水 、石を穿ち雲を払て湧沸し来たる。
雪を散らし花を飛ばして乱乱を縱いままにす。一條の白練、塵埃を絶す。
萬仭巖上無源水 穿石拂雲湧沸來 散雪飛花縱亂亂 一條白練絶塵埃 [頌古及び現代語訳]
この段は太祖様が商那和修尊者の自覚の因縁を自在に拈提されます。「手のひらに太陽を」というラジオ歌謡に「手のひらを太陽に すかしてみれば まっかに流れる ぼくの血潮 ミミズだって オケラだって アメンボだって みんな みんな生きているんだ」という詩を思い出せば、難しい説明は要らないでしょう。
そこで太祖様は「一度び有ることをしらざれば、徒に眼にさへらる。」と確認される。ここで誤ってならないのは、「一度悟りをひらいてみなければいけない」というたった一度だけの自覚体験を勧めているのではありません。あくまでも、自身の呼吸は自身がその時その時で行うのと同じように、今の人生は今の自分が生きて行くのみであり、たとえそれが良くても悪くても、誰も代わってくれない人生だと気が付き、確認しなおしていかなければならないという事です。このことを太祖は何回も強調されます。それが当然として阿難様と和修尊者の問答でも示されます。
「参禅は須自參悟。さとりおはりては人にあふべし。もし人にあはずんば、徒に依草附木なり」とは、坐禅修行がただ悟れば良いのではなく、常に師や先輩、修行仲間とともに行わなければ、独善に陥ることを忠告します。
「たとひいづれのところにいたるとも、ことごとくいふべし、汝等この人なりと。迦葉・阿難と四大・五蘊かはれるところなし。何によりてか道におきて古人にかはるべき。たヾ究理弁道せざるによりて、徒に人身を失却するのみにあらず、つゐに己れあることをしらず。」と示し、「昔し厚植善根。深く般若の良縁をむすぶ、これによりて大乗の会裡にあつまる。実にこれ迦葉と肩をならべ、阿難と膝を交ゆるごとし。」と譴責されます。
どの段でも同じですが、太祖様は佛世尊や伝法の祖師は決して過去の歴史上の存在ではなく、現にこの大乗寺で修行生活を続ける各自自身の覚悟のみに在ることを強調します。これを「ゆへに佛生国にうまれざることをうらむることなかれ、佛在世にあはざることをかなしむことなかれ。昔し厚植善根。深く般若の良縁をむすぶ、これによりて大乗の会裡にあつまる。実にこれ迦葉と肩をならべ、阿難と膝を交ゆるごとし。然れば一日は賓主たりとも、終身すなはち佛祖たらん。みだりに古今の情に封ぜらるヽことなかれ。」と述べます。
語註― 壊色・不生色 比丘・僧侶の着用する衣服は通常、五條、七條及び九條から二十五條の大衣の三種類となる。これらはインド人の在家者が白衣を用いるのに対して染めて濁った色とした。これを壞色―えじきといい、濁った色を意味するカシャーヤ(kaṣāya)と言いますが、これは袈裟色とも訳されますが、意味は濁った色を意味し、転じて僧の衣服を袈裟と呼ぶようになった。白衣を染める場合、靑・黄・白・赤・黑の五正色と中間の色、八大色(紫礦・紅藍・鬱金香・丹・大靑・紅茜・黄丹・鉛丹・蘇方)を避けた色。実際には靑黒色・木蘭色・赤濁色などが袈裟色とされる『大唐西国記』巻一の「梵衍那国―ヴァーミアン」の段に「商諾迦縛娑大阿羅漢の所持せる鉄鉢あり・・・又、九條の僧伽胝衣有り、絳赤色にして設諾迦草の皮もて績ぎて成りしもの也。・・今は少しく損じたり。信に徴有るなり。」と出ており、商那和修尊者が北インドに縁があったことが知られます。恁麼とはー「何か?」とか「これ」とかいう単純な言葉ですが、それでは「これ」とは何か、「何か」とは何かと突き詰めたら言葉に窮します。それなのに私たちはそれとは関係なしに生きている。この事実を「恁麼」と呼んでいます。ただこの場合、必ず行に生きる無意識の自己を基本としています。正像末の三時―仏教の歴史観、佛の敎・行・証のすべて揃った世を正法―千年または五百年、像法―正法に似るが行が亡くなった世で千年、末法―佛の教えのみとなった世、一万年とされ。しかし宗門の高祖や太祖のおしえでは正像末の三時は時代に在るのではなく、修行する各個人にあると説いています。四大・五蘊ー「四大とは、地・水・火・風なり。五蘊とは、色・受・想・行・識なり。澡浴してさらに清浄の四大五蘊ならしむるなり。」と『正法眼蔵洗面』にあります。一切衆生を構成する要素を掲げますが、ここでは生理的・心理的なもの、観念を離れて現に生きる自身の姿を言います。
