第八章 第八祖佛陀難提尊者が、七祖婆須密多尊者に出逢って話した。「私はいまここで貴方と佛道の議論をしたいです」と。婆須密多尊者が言った。「君が議論をするならば、それは最も大切なものが疎外される。最も大切なものは議論の中に入らない。それなのに議論をしたいというのは結局君が何かを議論したいというならば、それは最も大切なものが疎外される。最も大切なものは議論の中に入らない」と。佛陀難提は尊者の指摘により、本来の生命は自身の思いを超えた物だと気が付いた。
第八祖佛陀難提尊者、七祖婆須密多尊者に値ふて曰く、今来て与と論義せむ。尊者曰く、仁者論ずれば即ち義ならず。義は即ち論ぜざればなり。若し論義せむと擬すれば終に義の論に非ずと。師、尊者の義勝れたりと知て。無生の理を悟る。{本則及び現代語訳}
師は迦摩羅国の人であり、姓は瞿曇姓であり、頭の上には肉の髻があった。弁ずれば饒舌で滞ることがない。そのころ第七祖婆須密多尊者が、布教のために迦摩羅国にやって来て、広く佛事を弘めた。佛陀難提は尊者の座前に出て。自ら申し上げた。「私は佛陀難提と言います。いま貴方と義を論じようとしています」と。尊者が言った、「仁者論ずれば即ち義ならず。義は即ち論ならず」と。乃至・・・無生の理を悟った。
師は迦摩羅国の人也。姓は瞿曇氏。頂上に肉髻あり。弁は捷く礙りなし。第七祖婆須密多尊者、行化して迦摩羅国に至り、広く佛事を興せり。師、宝座の前に於て。自ら謂ふ。我が名は佛陀難提。いま師と義を論ぜんとすと。尊者曰く、仁者論ずれば即ち義ならず。義は即ち論ならずと。乃至・・・無生の理を悟る。 {機縁及び現代語訳}
語註―第八祖佛陀難提尊者(Buddhanandi)前20-紀元40頃)『付法蔵因縁伝』では第七祖とされ、彌遮迦尊者の付法を得ている。記述もごくわずかで、他には仏陀密多に付法したとあるのみです。『伝光録』におけるこの章の機縁はほぼ『景徳伝灯録』の婆須蜜章と仏陀難提章を合糅したものと思われます。政治的には既にマウリア朝が終り、シュンガ朝となり、さらに北インドではミリンダ王のグリーク朝に移ろうとして、首都も徐々に西北インドへと変わってゆく時代です。迦摩羅国―所在不明。一説には『大唐西域記』巻十にある迦摩縷波国Kāmarūpaではないかという。現在のインドアッサム州ゴウハティ Guwahatiの北に位置するカマルプルKamalpurにあたる。瞿曇―ゴータマ姓、精しくは釈迦牟尼章を参照。
実に夫れ真実の義は論ずべきにあらず、真実の論はまた義を帯せず、ゆへに論あり。義あるはこれ義にあらず、論にあらず。ゆへにいふ、若し論義を擬すれば終ひに義論に非ずと。ついに一法の義とすべきなく、一法の論とすべきなし。然も佛に二種の語なし、故に佛語をみるは佛身を見るなり。佛身を見ば佛舌を証する也。然れば縦ひ心境不二と説も。猶是れ真実の論にあらず。設ひ変易せずといふとも、猶是れ義にあらず。故に言ののぶべきなく、理のあらはすべきなしといふとも、猶是れ義通ずるにあらず、性はすなはち真なり、心はすなはち正なりと説も、又是れ何の論ぞ。然も光境ともに亡ずといふも、猶是れ真実の論にあらず。光境ともに亡ぜざるも、又是れ義にあらず。然れば賓と説き、主と説き一と説き同と説くも、かさねて是れ義の論にあらず。
こヽにいたりて、文殊大士無言無説と説くも、是れ真実の宣にあらず。維摩大士據座默然せしも。又是れ義の論にあらず。此の処に到りて、文殊猶見錯り。維摩猶云錯と。なに況や智慧第一の舍利弗、神通第一の目犍連。此の義を見ること未だ夢にも見ず。あだか生盲の物色をみざるがごとし。然も佛の言。佛性は声聞縁覚の夢にも未だしらざるところなり。
大般涅槃経卷八「如来性品第四之五」に云く、「善男子よ是の如き佛性は、唯だ佛のみ能く知りて、声聞緣覚の及ぶ所に非ず。」
十住の菩薩、猶とほく鶴をみて、是れ水なるか、これ鶴なるかとあやまる。且く計較思惟して。良とに是れ鶴なりと見るといへども。猶を是れ決定ならず。
『同經同品』に云く、善男子よ、譬へば渇人の曠野を行くが如し、是の人渇逼まりて遍く行きて水を求むるに、叢樹有るを見て、樹に白鶴有り。是の人迷閟して、是れ水なるや是れ樹なるやと分別すること能はず。諦らかに観すること已まざれば、乃ち是白鶴及び叢樹なるを見るが如し。善男子よ、十住菩薩、如来の性に於いて少分を知見すること、亦た復た是の如し。』
然も十住の菩薩、猶を是れ佛性を見ること明了ならず。
「同経同品に云く、十住菩薩は己が身に於いて、如来の性を見ると雖も、亦た復た是の如く大ひに明了ならず。」然も少しく如来の所説によりて、自性あることをしりて、歓喜して曰く。我れ無量劫生死の間だに流転して、この常住なることをわきまへざりしことは、無我の為に惑乱せられてなり。「同経同品に云く、十住猶を未だ所有の佛性を見ること能はず。如来既に説て、。即便ち少しく見る。是れ菩薩摩訶薩既に見ることを得る。已に咸く是の言を作さく、甚だ奇なり。世尊、我等無量生死に流転して、常に無我の為に惑乱せらる。」
然も見聞を絶し、身心を忘じ、迷悟をさけ、染浄を離れたりといふとも、この義を見ること夢にも又見ること不得。故に空中に向ひて求むることなかれ。色中におきて求むること勿れ、何況や佛に求め祖に求めんや。然も諸人者曠大劫より以来今日にいたるまで、幾回か生死を経歴し。幾回か身心を起滅し来る。或ひはおもふべし、此の生死去来は夢幻妄想なりと。殊に笑べし、これ何の説話ぞ。抑も生死去来するものあるか。なにを真実の人体といはんや、なにを夢幻妄想なりといはん。故に虚妄とも会すべからず、真実とも会すべからず。もし虚妄と会し真実と会せば、此の処にいたりて始終不是なり。故に此の一段の事、子細に須く参徹して始てえん。謾に空を擬し正を擬してもて、恁麼のところとおもふことなかれ。たとひ平坦の水の如く、清潔清浄なりとあきらめて、虚空染浄なきが如くなりといふとも、卒に未だ此のところを明らめえんや。
洞山和尚潙山・雲巌に参じて、たちまち万法と同参し、全身説法すといふとも、猶是れ不具なることありき。これによりて、雲巌重て慰めて曰く、這事を承当せんこと子細にすべしと。此れによりて疑ひ猶のこることありて、暫く雲巌を辞し、他所へゆきしに、水を渡る時影をみて、速かに此事をえて、説偈曰。切忌隨他覓。迢迢與我疎。我今独自往。処処得逢渠。渠今正是我。我今不是渠。応須恁麼会。方得契如如。 如是解して、卒に雲巌の嫡子として、洞宗の根本たり。然も全身説法を会するのみにあらず、露柱燈籠塵塵爾り、刹刹爾り、法法爾り、三世一切説を会すといふとも、猶不至処ありて慰めき。なに況や、今人知見の中に会して、心是れ佛と会し。身これ佛と会し、或は佛道如何なるべしとも会せず。ただ春の華開くをみ、秋の葉散るをみ、法住法位とおもへり。是れわらふにたへたるものなり。佛法如是ならば、何によりて釈迦出世し、達磨西来せん。然るに上釈尊より唐土以来の祖師、佛祖位中に別なし。誰か是れ大悟せざりつる。人ことに依文解義もて義とし論とせば。いくそばくの佛祖かあらん。故にかれをなげすて。このところを参徹して、自ら佛祖なることをえん。故に祖師の道殊に大悟大徹せずんば。其の人にあらず。故に純清絶点にもとどまらず、虚空明白にもとどまらず。故に船子和尚曰。直須蔵身処沒蹤迹。沒蹤跡処莫蔵身。吾三十年在薬山祇明斯事。純清絶点是非蔵身処也。光境共に忘ずといふとも。猶このところに蔵身することなかれといふ。更に古今と説くべきところなし。迷悟と論ずべきことなし。恁麼に参徹する時、十方壁落なく。四面又門なし。処処脱白露浄なり。故に大須子細。卒爾なることなかれ。今朝此の因縁を説破せんとするに、卑頌あり要聞麼 {機縁}
{拈提現代語訳} 真実とは何かを考えれば、結局それは議論の枠を超えている。またそれを考えようとすれば人間の思惑は外れている。だから議論はできても、その意味や存在自体を考える事は出来ないのだ。そこで私は言おう、もし議論をしようとしても、それは実の議論ではない。真実の姿は議論を超えた物であり、人間の思いで捉えられるものは何もないのだ。所で佛の教えに正面と裏面と謂う別なものはない。佛の教えとは佛の姿を見る事以外に何もない。佛の姿を見るとは自覚の本心に気付く事だ。だから出逢うところ我が生命と説明するのも、それが説明だけならばホンモノの世界ではない。たとえ変化しないものと言っても、それは実のところではない。だからそれは言葉で表現できるものでなく、人間の知覚能力を超えた物であるが、・・・そのように捉えても真実の姿が分ることはない。本来の生命は真理である、アタマで理解できる物は、その限りで真正の義と説いても、そもそも君は何が言いたいのだ。見る者と見られるものが一緒になくなったとしても、それは本当の議論ではない。だからと言って、見る者と見られるものが一緒になくならないとしても、同じく本当の議論ではない。そこで客観的に観察し、また主観的に観察し、一つの物をただ角度の違いで区別しないで同一のものだと分別するのも本当の議論ではない。 そういうことだから文殊菩薩は『維摩経入不二法門品』で「説くことなし」と説いているが、それはまた真実を論じてはいない。だから維摩居士はただ黙って坐った。しかしこれとて真実の論ではない。そうすると智慧の権化としても文殊も、默不二法門の体現者である維摩居士でさえも、実相を見誤っている。そう考えるならば智慧第一の舍利弗尊者、神通第一の目犍連でさえも、真実義の世界は夢にさえ見る事の出来ない。あたかも生まれながら視覚の無い人が、目前の事象を視認できないのと同じだ。そもそも佛の説いた言葉によれば、自覚の生命とは声聞、縁覚という自己の覚りのみに執着する修行者には夢にさえ見る事の出来ないことだ。『大般涅槃経』卷八「如来性品第四之五」に云っている。「善男子よ、是の如き佛性は、唯だ佛のみ能く知りて、声聞緣覚の及ぶ所に非ず。」と。五十二位の菩薩行の十一~二十位に至る十住の菩薩でさえも、遠目で見た鶴を「水」か「鶴」かと俄かには認識できない。しばらく状況を勘案して漸くこれが「鶴」であると認識するのも、やはり確定的でない。先ほどの『大般涅槃経』の同じ章に出ている。「善男子よ、譬へば渇人の曠野を行くが如し、是の人渇逼まりて遍く行きて水を求むるに、叢樹有るを見て、樹に白鶴有り。是の人迷閟にして是れ水なるか、是れ樹なるかを分別すること能はず。諦かに観ずること已まざれば、乃ち白鶴及び叢樹なるを見るが如し。善男子よ、十住の菩薩、如来性に於て少分を知見すること、亦た復た是の如し。」と。このように十住の菩薩がなかなか佛の生命に気が付かない。また同じ経の同じ章には「十住の菩薩己身に於て、如來の性を見ると雖も、亦た復た是の如く大ひに明了ならず。」と。私たちは如来の教えに由り、佛の生命を生きていることを知って、それを喜び、「自分が永遠の長きにわたり生死流転してきた中に、永遠なる佛の生命を知らなかったことは、「無我」という言葉に誤魔化されてきたからである。また同じ経の同じ章には「十住猶を未だ能く有る所の佛性を見ざれども、如来は既に説けり。即便ち少かに見たり。是の菩薩摩訶薩は既に見ることを得たりと。已に咸く是の言を作せるは、甚だ奇なり。世尊よ、我等流轉無量の生死にて、常に無我の為に所惑亂せらると」。これらの経文によって、見聞を絶し。身心を忘じ、迷悟をさけ。染淨を離れたと思ってみても、この義(佛の生命のすがた)は夢にだも見る事はない。そこで、見えない所や、見える所にその義(佛の生命のすがた)があると考えてはならない。ましてや過去の佛や祖師に求めることは出来ないのだ。それなのに諸君は永遠の過去から今日まで、幾度となく生死を経験し、身や心を具えてきた。「だからこの生死去来は夢幻、妄想だ」と考えたりもする。でもそれは結局笑い話だ。よく考えれば生死去来する主体があるのか、真実の自己というものがあるのか、またなにが夢幻、妄想なのだろうか。そこでこの出逢いを虚妄とも真実とも理解することは出来ない。もしこの出逢いを虚妄だ、真実だ理解すれば今ここにある自己そのものが成り立たない。この一連の話は、修行者各自が各自の生き様の中に具現するほかにないのだ。つまり「良い」と言い「悪い」と言っている諸君の分別をやめる事だ。その分別が続く限り、佛の生命が具体的になることはない。 むかし洞山禅師が潙山靈祐や雲巖曇晟の下で修行し自身が「万法と同学」であり、自己の「全身が説法している」と気が付いたが、まだそれに躊躇した洞山を見た雲巌禅師は洞山に言った。「これは最も大切なことだが、それは君自身が自らの生き様の中に具現するほかないのだ。」と告げた。洞山はなお腑に落ちない所があったので、雲巌禅師のもとを離れ、他所に向った。その道中で川の流れを渡ったとき、自身の影が水に移るのを見て、直ちにその事に気づき、これを詩に詠った。 「他人に対して求めてはならない。それは自分が自分ととんでもない距離を置くことになるからだ。私はいまただ自分自身の道を歩むと、その途中にしばしば他人に出逢うようになる。その出逢うところの他人とは実は自己の分身なのだ。その私とは他人と別物ではない。―そう気が付いたとき自他を超えたたった一つの生命に出逢う事が出来た。」 このように受け止めて、終に雲巌禅師の正しい跡継ぎとして曹洞宗の根源となった。ここでは全身説法を理解しただけでなく、夜の本堂であちこちに突っ立っている丸柱や火の灯らない燈籠にも、世界中にも、あらゆる物事にも佛の生命が満ち溢れており、過去現在未来におけるすべての教えを理解したのだが、それでもまだ不完全な事に気が付いた。しかしながら今の修行者が自身のアタマで捉えて佛の生命を佛の姿と理解し、この身こそが佛の生命だと理解し、あるいは自覚の生命はどのように生きるべきかを理解せずに、ただいたずらに春咲く花を見て、秋の落ち葉を見て、これこそが法の有り方であり、法の姿だと勘違いしてはいけない。その勘違いはとんでもない笑い話だ。自覚の生命がそんなものなら釈尊がこの世に出て、達磨様がインドから東方に道を伝える必要があるか。然るに釈尊から中国の祖師に至るまで、みな等しく自覚の生命を生きてきた。修行者は教えに従って自覚の生命を覚知するのでなく、具体的な修行の日々を大切に生きるべきである。これこそが急所であり、そこにこそ自覚の生命が宿るのだ。そこを常にネラウべきである。それが出来ない者は修行者ではない。だから清くて全く穢れのないことにこだわらず、大空の広く澄みわたっていることも価値としないことが大切だ。それに就いて船子徳誠禅師は「身を隠して跡を留めなかった。身を隠したという跡も残さなかった。私は三十年間薬山禅師の下でこの事だけを学んだ。清くて全く穢れのない所が隠れ場所ではなかった」と言っている。 自分と自分の住む世界とが、一緒に無くなったとしても、そこにわが身をかくしてならないと教えている。そこには昔もなく今もない。迷いだ覚りだと考える余地もない。このように気付いてみれば、どこにも閉ざす壁もなく、迎える門もない。すべてが真新しい清らかな世界と成る。だからしっかりと腰を落ち着けて物事を眺めなければならない。いい加減は禁物だ。今朝もまたこの道理を要約するのに拙い詩を作った。聞いてほしい。{拈提}
須菩提、維摩居士の言葉もまだ不徹底。 目連・舎利弗尊者さえもしっかりと目を見開いていない。
私たちが真実の世界に目を見開くには、どんな塩梅がいいだろか。
善吉、維摩の談未だ到らず 目連鶖子、盲を見るが如し。
若し人親しく這の意を 会せんと欲せば、 鹽味何れの時か的当せざらん。
(善吉維摩談未到 目連鶖子見如盲 若人親欲會這意 鹽味何時不的当) {頌古}
語註―善吉―佛十大弟子の一人、解空第一とされる須菩提尊者の漢訳名。維摩居士(ゆいまこじー梵:Vimala-kiirti、ヴィマラ・キールティー毘摩羅詰、維摩詰、漢訳:浄名、無垢称、生没年未詳)は在家の佛弟子(居士とは在家の弟子)。古代インド毘舎離城(ヴァイシャリー)の富豪で、釈尊の在家弟子となったという。前世は妙喜国に在していたが 化生して、その身を在俗に委し、大乗仏教の奥義に達したと伝えられ釈迦世尊の教化を輔けた。無生忍を得た法身の大居士といわれる。架空の人物とも考えられるが、実在説もある。彼が病気になった際には、釈尊が誰かに見舞いに行くよう勧めたが、舎利弗や目連、大迦葉などの阿羅漢衆は彼にやり込められた事があるので、誰も行こうとしない。また弥勒などの大乗の菩薩たちも同じような経験があって誰も見舞いに行かなかった。そこで佛弟子の文殊菩薩が、彼の方丈の居室に訪れたときの問答は有名だ。大般涅槃経―Mahaaparinibbaana Suttaは、釈尊の入滅(=大般涅槃を叙述する経典類の総称。>阿含経典類から大乗経典まで数種ある。ここでは大乗の『涅槃経』を指す。初期の『涅槃経』とあらすじは同じだが、「一切衆生悉有仏性」を説くなど、趣旨が異なる。成立年代 龍樹の年代には知られていないことなどから、この経の編纂には瑜伽行唯識派が関与したとされ、四世紀くらいの成立と考えられる。漢訳本① 『大般泥洹経』六巻〔法顕本>法顕仏陀跋陀羅訳 ②『大般涅槃経』四〇巻〔北本 三蔵法師の曇無讖訳。⓷『大般涅槃経』三十六巻〔南本〕慧厳 慧観 霊運により校合訂正した経典。大乗涅槃経の基本的教理は、①如来常住 ②一切衆生悉有仏性 ③常楽我浄④一闡提成仏 以上の四つに要約される。『涅槃経』は、釈尊入滅という初期仏教の涅槃経典と同じ場面を舞台にとり、如来の般涅槃は方便であり、実の如来は常住で不変だとして、如来の法身の不滅性を主張する。その徳性を常楽我浄の四波羅蜜に見いだし、「一切衆生はことごとく仏性を有する」(一切衆生悉有仏性)と宣言する。この経は、『法華経』の一乗思想を継承しつつ、仏性思想によってそれを発展させた。この仏性は、別の経典では如来蔵ともいう。なお「一切衆生悉有仏性」は、近代の大乗仏教において衆生には皆仏性があるという解釈から「一切悉有仏性」とも言われるようになった。十住の菩薩―『涅槃経』では菩薩の修行の階次を五十位に分け、第四十一位より五十位までを十住とする。
