森末さんに話を聞くチャンスがありました。世界一の視点とはどんなものなのか、その一端をご紹介したいと思います。(土曜日にラジオで一部を放送したので書いてもOKでしょう)
ロス五輪は、前回のモスクワオリンピック・ボイコット問題が尾を引き、体操王国・ソ連が不参加。日本チームは、団体戦は銀を獲れるだろうと想定していたが、まさかのアメリカが金、日本は銅に沈む。
だが、個人・跳馬で1本目7位だった森末は、2本目の試技で見事な着地を見せ、同点2位が4人もいるという混戦の中に滑り込み、銀を獲得する。
「終わったら、役員が飛んできて2位だって言うんです。え?って驚きましたね。表彰台がギュウギュウ詰めだった(笑)」
こうして、銅
、銀
を獲得した森末が、最後に挑んだのが、鉄棒である。森末は既に団体、規定演技で10点満点を2回出していた。当時のロサンゼルス・オリンピックでは、規定演技から4日後、オリンピック体操競技の最終日に個人戦決勝が行われる。つまり、森末はトップのまま4日間を過ごすことになったのである。
このことが、森末を精神的に追い詰めたという。
「熱は38度、39度と出る。ドーピング問題があるから薬は飲めない、食事は吐いてしまう……こうみえてプレッシャーに弱いので、フラフラでした」。
だれかに誘拐されないか、そうすればでなくて済むのにとまで思ったという。銅も獲った。銀も獲った。もういいじゃないか……。メダルを獲ったことで、自分の半分は弱気になっていく。あとの半分は……。だが現実は甘くはなかった。
中国選手が10点、具志堅幸司選手が10点を出す。合計得点19.975、19.950……。
「その瞬間、3度目の10点を取って金メダルを獲るか、失敗して4位になるか、そのどちらしかないということがわかりました」。
着地に失敗すると0.1の減点になる。つまり、19.90しか取れないのだ。金か4位。そして森末が立つ。これでロサンゼルスオリンピックの体操競技はすべて終了する。その最終競技者となったのである。
森末は、意を決して、鉄棒へと向かう。
(つづきます…)


