さて、弘前城です。
現存する天守閣がある、もっとも北にあるお城が、この弘前城です。
(江戸時代に作られたということですね)
有名なのは、桜の季節に撮られたものですけど、勘弁してください(笑)。
天守閣といっても、もともと本丸の真ん中にあった本来の天守閣は焼失し、本丸の角にあった櫓を改造したもの。ハッキリ言って、この大きさの櫓なら、熊本城にはいくつもあります(笑)宇土櫓は、この倍くらいの大きさがあるでしょう。
それでもこの天守閣は、
1810年、江戸時代後期に造られたということだけで、非常に珍しい存在です(天守の再建は原則的に認められませんでした)。
面白いのは、この角の2面と、裏側(本丸側)の2面では、外観の造りがちがうこと。この表側は美しく視覚的に天守を大きくするように工夫されていますが、裏側は素っ気ないものです。
弘前藩は、北海道に展開する松前藩が危機に陥ったときに駆けつける北の守りの要でした。蝦夷地警護には、城の守りをキチンとする必要があるというのが理屈だったようです。(シャクシャインの乱などに出兵しています)
津軽藩は、いち早く奥羽列藩同盟を抜けたため、
明治政府軍に城を破壊されることがなく、こうして現代に伝わっているというわけです。
中央政庁からみた津軽藩の位置づけは、北海道との関係でした。このことが、後に青森県庁(当時は弘前県)が青森市に移ってしまう原因にもなります。内陸の弘前より、青函連絡船の基地となる青森のほうが便利だったというわけです。