内モンゴル冒険記 | フィリピン・アラバンのななつことば
突然ですが、

内モンゴルの思い出を語ります。



十数年前、内モンゴル人の友人の結婚式のためシリンホトに行った。


北京からバスで移動。

そして何もないバス停で一人降ろされた。

他の乗客はどこか別のところに行ってしまった。


迎えに来てくれるはずの友人はいない。

ひとりウルルン滞在記。


電話するとこを求めて見知らぬ何もないところをスーツケースをひきずって歩いたよ。

携帯もwifiも普及していない頃だったから
とっても困った。


結果、見かねた親切な漢族の人が

電話かけられるところまで車で送ってくれて

友人にやっと連絡がついた。


「アツコサン、早くついたのねー」やって。


漢族には気をつけてって言われてたので

「いい人もいたよ」って報告したら
「いい漢族もイマス」って言ってたわ。


この話、中国人の方に話しても

スゴイね、勇敢だね!ってウケる。


当時は大変だったけど

今となっては話せるネタになってラッキー。


人生ウケてなんぼですわ。






花嫁が飲み過ぎで吐いてた。

三日三晩飲み通しだった。

急に誰かが歌い出してた。

そしてどんどん始まるコラボ。




若者は年長者に説教されてた。





漢族との交際を反対されてる話を聞いた。






滞在中は友人の親戚の女の子が一緒にいてくれて
色々お世話してもらったり、お話ししたりして過ごした。

モンゴル相撲の選手なんだって。

私の中国語の「qi の発音が違うよ」って指摘されたわ。



日本語で「我是中国人」はどう言うの?

って聞かれたから


「わたしはちゅうごくじん」

って教えたけど


なんだか悲しくなって

「わたしはモンゴルぞく」

っていう言い方も伝えておいた。









未来が見える、とかいう人に
私の未来を見てもらった。

曰く


「アツコさんには3つの道があります。


2つ目の道を行けば明るい未来になります。」


いまだに


私はどの道を歩んでいるのかわかりません。








でも



中国語で見える世界が本当に変わったよ。