中国留学のはなし | フィリピン・アラバンのななつことば
高校2年の時「中国行きたい」って親に言った。

親はそんなにいい顔をしなかった。

「そんなモン行かんでもいいやろ」

父譲りの頑固な私。
そうですか、とアッサリ引き下がる筈がない。
大いに粘った。

頑固VS頑固の戦いに娘が勝った。

その後それがキッカケで専攻に中国語を選んだ。その時も戦いはあったけど、結局は応援してくれた。

大学3年時に交換留学で西安に行った。

留学2ヶ月後にSARS騒動が起こり、周りの留学生が次々と帰国して行く。親に心配かけたくないから帰るって友達も帰って行った。

私も帰らないといけないのかな、と思って親に電話した。

「現地にいるあなたが判断すればいい。頑張れ」

って言ってくれた。

すいません、ちょっと盛りました。
実際のセリフは

「えー、帰ってくんのぉ?(ちょっと迷惑そう)
もうちょっと様子みたら?
うん、温子がんばれー」

危機が伝わってなかったのだろうか…

結局私は帰国は選ばなかった。SARSにも罹ることなく、騒動はおさまった。

同じ年の秋には反日デモも経験し、たった一年弱の中国西安留学だったけど本当に色々あった。

でも非常時の中国を経験できた事は今となっては大きな財産。

20歳という人生の節目を異国で過ごせて良かった。

あそこで見た事、聞いたこと、話したこと、出会ったヒトたち、全てが私の今の価値観に大きく影響していると思う。

あの時、親に行かせてもらえた私は果報者だ。この点で親にはとても感謝してる。

親の役割って結局は子を信じることなのかなと思う。


4年前に留学先の大学を10年ぶりに訪問した時の写真。