突然ですが九寨溝の思い出 | フィリピン・アラバンのななつことば
今日も「突然中国の事を語るシリーズ」やります。



2003年10月、九寨溝の思い出。

留学時代に学校の遠足旅行で四川へ行った。

西安からの成都までの汽車とバス旅。
多分5泊くらいはしたと思う。



景色がどうだったということよりも
その道中で先生や同学(クラスメート)と
話したことばかりを思い出す。



私の留学先は当時中国にしては小規模な学校で
留学生全体で100人もいなかったと思う。

だからほぼ全員の顔は把握できた。

それでも他のクラスの人達とゆっくり話すチャンスはそんなにないので、それができたこの遠足旅行はとっても楽しかった。


いつもは絶対に中国語しか話さない、でも実は日本語が結構話せる先生がちょっと日本語を披露してくれたり、
(「这是 “両手に花” ,是吧?(この状況は「両手に花」って言うんでしょ)」って仰って、たまげた)

ヨーロッパの留学生にヨーロッパでの中国語学習事情を聞いたりしたことを覚えてる。




韓国人のお父さんで2人の小さいお子さんと奥さんを連れて家族留学されている方がいて、そのご家族も来られてた。

6歳くらいの上の男の子がひたすら
「你在干什么〜!」(何してんの〜!)って叫んでたのが面白かった。下の子は2、3歳くらいだった気がする。

奥さんはあまり中国語が話せなかったのであんまりお話しできなかったっんだけど、駐妻になった今、その奥さんめっちゃスゴイわって思う。
お父さん(みんなからそう呼ばれてた)の経済力もスゴイけど。

お父さんと結婚前の同棲はどう考えるか、について議論したのを覚えてる。



そんな思い出の九寨溝。
景観が地震の影響でもう戻らないって聞いた。


ショック❗️悲しいなあ。


映画のロケにも使われたところなんですよ。




当時のわたし、頭つんつんでパンパン〜