大分生まれ貧乏育ち富津在住、新婚のえとう窓口です!!
数年前の『大改造!!劇的ビフォーアフター』で大分の実家リフォームを見てくれた方、そして昨年の千葉県富津市の新居リフォームを見てくれた方の多くは、僕の結婚前の家族構成を【母・僕・弟】の3人家族と思われている方が多いかと思います。
実際、テレビに出させてもらってるのは母と弟だけですから当然の事かもしれません。
でも、僕には3歳上の姉がいます。
現在47歳。
20年以上前に結婚して、実家を出ました。子どもも2人います。
今でも大分市内には住んでいるので、母や弟とはしょっちゅう会って、大変仲良くしております。
基本的にテレビに出るのは恥ずかしいのと、もう実家リフォームの頃には実家に住んでなかったし、名字も変わって子どものプライバシーもあるので、これからも露出はしないと思いますが。
これまで、散々貧乏話をしてきましたので、今更事細かに語る必要もないのと思うのですが、もしかしたら一番苦しんだのは姉かもしれません。
僕は男の子だったので、貧乏を学校のみんなに打ち明け笑いに変えていましたが、姉はそういうわけにはいかなかったと思います。
思春期の、一番おしゃれをしたり買い物したりしたい時期に、我慢我慢の極貧生活をしていました。
寒い冬。
すきま風の通る暖房器具のない家。外と同じ気温で寝る時、冷たい部屋の冷たい薄い布団にくるまって「地獄や」と言ってたのを忘れることができません。
バケツのお風呂も、姉にとっては地獄だったでしょう。
アルバイトをしながら高校を卒業し、大学や短大を断念して、家計を助けるために働き始めました。
そして、幼い弟を母と一緒に育ててくれました。
僕の大学の入学金を用意してくれ、人生初のスーツを仕立ててくれたのも姉でした。
自分の事には全くお金を使えずに………。
苦労したからでしょう。
長男の僕が大学を卒業したにもかかわらず、就職もせず、実家に仕送りもせず、東京でお笑いの夢を追いかけてる事に、姉は厳しかったです。
もちろん最初は応援してくれてましたが、僕が30歳を過ぎても、35歳になっても全くテレビに出られないのに、なかなか夢を諦めない。
姉は結婚したあとも、我が子の子育てをしながら弟の面倒もみていました。
性格の明るい姉でしたが、自分勝手な僕には常々厳しく言ってました。
「あんた、いつまで夢とか言いよんの??お金持ちの家なら自由にしてもいいけど、実家がどんな状況か、わかるやろ??すぐにでも働いて少しでも仕送りをするべきや。」
時を経て、おかげさまで何とか少しテレビに出れたものの、やはり自分勝手な人生を歩んだ手前、なかなか姉には頭が上がらなかったのは事実。
この数年間、僕の中で何となくモヤモヤしてる関係でしたが、それが吹き飛きとぶキッカケがありました。
それは………。
僕の結婚です!!
姉は、とにかく喜んでくれました!!
家族に報告したとき、誰よりも喜んでくれました!!
姉にとっては弟二人に加えて、子どもも二人とも男の子だからでしょうか。
「妹ができて本当に嬉しい!!」
僕にとって忘れられない言葉です。
妻とも、とても仲良くしてくれてます!!
「こんなキレイな人と結婚できて良かったなぁ!!感謝しよえ!!あんたみたいなブサイクの子供が心配やったけど、奥さんがキレイやけん安心したわ!!」
表現に気になる点はありますが、喜んでくれてるのには変わりありません(>_<)
ようやくわだかまりが解けたようなきがしました!!
そして、ハワイでの家族婚。
ずっと泣いてくれてました。
何度も「おめでとう」を言ってくれました。
70歳を越えた母は、姉が一緒だからハワイまで安心して行くことができました。
貧乏一家がハワイで挙式をするという奇跡、これは姉がいてくれて実現したものと言えます。
しかも姉はこんなもを作ってくれました。
ハワイの思い出をいつまでも大切にしてくれ、僕ら夫婦へのサプライズでした!!
何ページにもわたり、たくさんの思い出が!!
「写真のチョイス、配置や大きさも全部私が決めたんで!!アルバムも一番大きいやつにしたんで!!結構時間もかかったんで!!センスあるやろ??」
ちょっと姉からの圧が強かったですが、心から嬉しかったです!Σ(×_×;)!
そしてこの前、こんなものが新居に届きました。
そしてお花。
電報を読んだとき、思わず泣いてしまいました。
僕らの結婚を、本当に喜んでくれてるのが本当に嬉しい!!
母と姉と弟、3人からのサプライズプレゼントでしたが、計画したのはやっぱり姉でした!!
「ちゃんと届いた??ビックリしたやろ??みんなでお祝いしようと頑張ったんで!!お花は二人が好きなブルーにしたんで!!センスあるやろ??」
やっぱり圧が強かったけど………。
お姉ちゃん、ありがとう!!!