開運 スピリチュアル算命学 -33ページ目

最近やっていること

ほんにご無沙汰な更新になってしまった。

忙しさにかまけて時間ばかりが過ぎていくんだけど。

それはさておき、そういう時だからこそ、自分の意識との対話は大事。

最近日常的にやっているのは、自分の意識を体の隅々に行き渡らせること。


何それ?って感じだと思うのだけれど、ものすごく大事な訳。

人間の行動って、人が考えて、自分の心に従って行動していると思っていても実は全然違う。

長い間の習慣だったり、断片的な強い感情に縛られている部分が圧倒的に多い。

脳は、人の行動が効率的になるように、ある意味パターンを覚えて行動する。
スポーツを練習すると体が覚える、と言うのが典型的な例なんだけれど、有る場面でどういう対処をするか?と言う部分にも働いていて、その結果、自分の意識とは異なった反応をしてしまうことが多いわけ。

それが、しかも本人は、意識が考えた反応をしていると思っているから、実際の行動と自分の行動が一致しない、その結果、望んだ状態には絶対にならない、むしろ、望まない状況に陥っていく。
※こういう人は会話の中で、「あなたの工程する状態に自分は居るでしょ?」とか言うことを言って、自分を安心させようとしたりもします。俺は優しくないから、言質も勝手に「OK」と思わせる隙も与えないようにしているけど。

ちょっと前置きが長かったけれど、その行動をゆがめる断片的な感情というものは、体の感じた体感とともに体に存在しています。何か、の感情を覚えたときに、体のどこかに違和感(ずきずきとか、どきどきとかもあり)を感じたら、そこにその記憶があると思って良い。

体の隅々に意識を行き渡らせるというのは、そういうものに網を張る、と言う訳。
いちいち、自分の体の指先とか、あっちこっちを意識するなんて事してないでしょ?

「気がつかない」と書いたけれど、こうやって網を張っておくことで、何かが発動するときを察知し用という目論見。

以前の自分だったら出来なかったけれど、今は思いの他リアルに出来てる。

それは、気を感じる能力が強くなったからかな、と思っています。
体の手足とか主要な部分だけじゃなくて、内臓とか脳とかもじっくり見てる。

変な人、に聞こえると思うけれど、気功にある程度熟達してくると色々できるね。

こういう自分の中との対話の術を身につけていくと、スピリチュアルな事も、色々説明できる。

昔の人は、自然に対する恐れの中で自然の中に神を見いだし、それを崇拝し畏怖する心から自由になれなかった。

でも、宗教者や精神性の高い人は、自然の中ではなく、自らの中に神の存在の可能性を見いだしたのではないだろうか。

「内なる神」との対話。そこに行き着くためのツールは色々あるけれど、実はここに書いてあることと同じ状況を目指していたのではないか、と思う。

ヒンズー教も仏教も同じような事を言ってる。

自分のとらわれをなくすことで、真なる自分の心にたどり着く。

それが内なる神との対話の第一歩。

やかんはペタお断り~にします

意図不明なのが連日つくのでね。

命式整理中

この体調悪が始まったのが先週の土曜日。

もう一週間も経つのに治らん。結局は、急性副鼻腔炎という事らしい。

風邪っぴきなとこに、アレルギーで鼻の通りが悪くなっちゃって、蓄膿に雑菌がたまり繁殖しちゃった、みたいな。で、相変わらず8度台の熱でまくりな生活しとります。

もう7度台は熱はない、にも等しい感じ。

それはさておき、そういう状況なので、地道な事やってます。

今日は朝から、今までに見た命式の整理。

ちゃんと見た人も居れば、さらっとしか見ていない人もいて、見直すのも楽しいもんです。

人それぞれのキャラとか、生き様がやはり被さってくる。

その人が宿命を燃焼させようと一生懸命生きている様がわかってくる。

ちょっと、人に優しくなれるかな、という気持ちになっている朝でした。

たぶん、気のせいなんだけどね。