幼少期の頃を思い返してみると、
順番待ちに割り込みされて泣き、
友達がケンカしているのを見て泣き、
幼稚園の頃は毎日泣いてた覚えがある。
ものすごく刺激に弱い子どもだった。
それが、いつしか勉強や運動で褒められることが増え、
三姉妹の長女で妹たちのお世話をするようになったりして、
(夜に妹たちのお守りをしてお留守番とか、よくやってたなと思う。)
誰かの役に立つことで認められるようになったと感じていた私は、
「大丈夫」と言うようになった気がする。
なんかね、平気な姿を見せることが
カッコいいことなんだと思ってた。
そうやってたら、親も周りも褒めてくれてたしね。
だからね、しんどいなって思う時も、
平気な自分でいるために、しんどさを感じるスイッチをオフにしてた。
気持ちも身体も。
今でも、このスイッチオフする感覚はよく分かる。
でもね、そうしてる時の自分って、
なんだか私自身にとっても遠くに感じるんだよね。
ここにいるのにいない感じ。
ぽつんと切り離されてる感じがする。
そんな風に、自分が思う正しい姿や答えに合わせるために、
たくさんのスイッチをオフしてきたと思う。
そうやって、正しく愛される自分になったら、
社会に受け入れられて、愛されると思ってたから。
でもね、社会に受け入れられたようでいて、
本当の自分は置いてけぼりだから、
誰とも繋がれないんだよね。
人の中にいて深まる孤独、寂しさ。
スイッチオフをやめるってことは、
遠ざけてきた痛みを感じるようになるということであり、
正直、あまりやりたくないと思ったりもするけど。
もっと深い喜びがあるのを、私は心のどこかで知っているから。
体感覚を指針に、
私は今日もこうして生きてるんだと思います。
体感覚を指針にする生き方で、一緒に歩いていきませんか。
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