MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』5宿目~6宿目のまとめ。
【5宿目】 2019年05月23日(木)放送
旅の内容:●保土ヶ谷宿 → 戸塚宿▲ぷいぷいの山の神?!■手間暇を惜しまない鎌倉ハム★昭和天皇に仕えた本陣の末裔
スタートは神奈川県横浜市・保土ヶ谷宿。目標地点は神奈川県横浜市・『戸塚宿 本陣跡』。約9キロのコース。
午前8:30、神奈川県横浜市保土ヶ谷区にある、保土ヶ谷本陣跡の前からオープニング。顔を両の手の甲で隠して、パカッと開きながらあいさつするくっすん。桃太郎が好きだから、桃太郎を意識したとのこと。
河田アナに保土ヶ谷と桃太郎は関係ないと、ばっさり切られる。
午前8:45、スタートから0.7キロ、松の並木道を歩く。1604年に、江戸幕府が諸国の街道沿いに並木を植えるように命じた。その目的は、並木で旅人に夏は木陰を作り、冬は風雪から守るため。
保土ヶ谷区では、昭和の都市開発で失われた松並木を、2007年に再現させた。
午前9:20、スタートから2キロ、江戸を出てから東海道の最初の難所・『権太坂』に到着。葛飾北斎の富嶽三十六景『東海道 保土ヶ谷』には、旅人の行き交う権太坂が描かれている。
名前の由来は、その昔旅人が地元の老人に坂の名前を聞いたところ、自分の名前を聞かれたと勘違いして『権太』と答えたことから(割とよくあるパターン)。
箱根駅伝で長く過酷な坂道が続くため、各校のエースが走る『花の2区』。その2区の入口が権太坂である。しかし、箱根駅伝では、2人が今歩いている旧東海道の元祖・権太坂ではなく、お隣の国道1号を走る。
ぷいぷいの山の神(自称)・くっすんは、足がムズムズして、箱根に向けて権太坂を走り出す。「あ~。」と何度も叫びながら勢いよく駆け上り、河田アナが歩いて追いつくと、電信柱の陰でヴィクトリー尺八を吹く(良い音で)。
勢いは感じるが方向性の定まらないくっすんを、「とりあえずこれで様子を見るという方向で・・・。」と視聴者に向かって訴える河田アナ。
午前10:00、スタートから3.5キロ、権太坂の頂上へ到達。ちょうど、武蔵国と相模国の国境にあたる。
国境の道標の前で、滋賀県の視聴者からのお便りを紹介。
『河田さん、楠雄さん、こんにちは。私も友人と東海道五十三次を歩いている一人です。仕事の合間に歩いています。2年前、京都三条から歩きだして、今は岡崎です。いつか会えたらいいですね。』
お便りでくっすんの名前を間違えるのが、定番?になっている。静岡のどこかで出会えることを期待して、お互いがんばりましょうと河田アナ。
お散歩中の子供たちと、引率するシッターさんとすれ違う。
午前11:10、スタートから7キロ、赤いレンガの建物・『鎌倉ハム倉庫』に到着。現在は横浜市戸塚区の住所にあるが、以前は神奈川県鎌倉郡の一部であった。
1874年に、イギリス人のウィリアム・カーティスが鎌倉郡でハムの製造を始めた。カーティスは周りにハムの製造方法を秘密にしていたが、自分の工場が火事になったときに、近隣の日本人が一生懸命消火活動を手伝ってくれたことに感激し、日本人にハムの作り方を伝授した。
この地域の地主だった、斎藤万三もハムの製造法を教わり、ハムを保管していたところが鎌倉ハム倉庫。
ハム倉庫から50メートル歩き、『さいとうハム製造本舗』を取材する。
社長の斎藤幸代さんにお話しをうかがう。
ハム倉庫の所有者は本家さんで、さいとうさんは分家とのこと。社長の夫である斎藤正二さんが、小さい頃に食べた本家のハムの味を忘れられなくて、昭和33年にハムの製造を始めた。
現在日本ではロースハムが主流だが、本家のハムは豚のもも肉をつかっていた。
ハムの製造工程を見学させてもらう。
1.カーティスの時代は豚肉に塩や胡椒を直接すりこんでいたとされるが、現在は塩・胡椒・砂糖などが入った、漬ダレに豚肉を7~10日間漬けこむ。
2.肉の形が崩れないように布で包んで紐で縛り、2時間以上スモークする。
3.肉の中心が70℃になるまで、2時間かけてゆでる。
4.氷の入った冷水に入れて締めれば完成。
出来立てホカホカのハムを試食させてもらう。めちゃめちゃ美味しいのは、2人の顔を見ればわかる。「もう一切れ、いただいていいですか?」と厚かましいくっすん。
CM明け・・・午後0時50分、神奈川県横浜市戸塚区。ウォーキングの服装をした大人の団体さんと出会う。先頭を歩く男性は関西出身で、ちちんぷいぷい(河田アナ・くっすん)を知っている。
名古屋からの方々で、2年半前に京都からスタートして、月1のペースで東海道を歩いている。ロケ日から3日間かけて、ゴールの日本橋を目指すとのこと。
河田アナが、東海道の旅を始めたばかりだと告げると、「まだ遠いで。」ともうすぐゴールの先輩に言われる。山の神?くっすんは、箱根が苦しいか気になって聞いてみると、口を揃えて苦しいとのこと。「根性で頑張ります。」と応える、元気ハツラツ河田アナ。
東海道を歩いて旅する仲間同士、ハイタッチで元気をもらったりあげたり。ちなみに、パーティーのメンバーは42人で、平均年齢は75歳。40代の2人も、負けてはいられない。
午後1:10、スタートから8キロ、工事中の敷地の前にある、江戸側の入口・『戸塚宿 江戸見附』に到着。
戸塚の歴史ガイドをしている、『戸塚見知楽会』の代表・根岸さんに、江戸見附の前から、広重が描いた『戸塚宿』の浮世絵の場所まで案内してもらう。
宿場の中心部まで歩くこと400メートル、歩道のガードレールの前に、広重の『戸塚宿』の絵の、デカデカと載った看板がある。看板の正面にある大橋が、絵に描かれている橋で、位置関係も合っている。
絵の中で茶屋の奥に見える山は大山といい、信仰の対象となっている霊山。こちらは実際の位置とは異なり、本当なら橋の右側に描かれるはず。バランスよく名所を盛りこむために、意図的に山の位置を変えたと考えられる。絵に描かれている現場に行って、ちょっとした違いを見つけるのも面白いと河田アナ。
柏尾川(かしおがわ)にかかる『吉田大橋』を渡る。大橋は1986年に現在の形に架け直され、戸塚宿の浮世絵のレリーフが飾られている。
江戸・日本橋から戸塚宿までは約42キロで、当時の男性が1日に歩ける平均的な距離だといわれている。日本橋を早朝に出発した旅人は、戸塚宿で1泊目を迎えた。当時の戸塚宿は、全長2.2キロ、本陣2つ・脇本陣3つ・旅籠75つもあった。
昼食を済ませ、
午後2:50、スタートから9キロ、目標地点の『戸塚宿 本陣跡[澤邊本陣跡]』に到着。明治天皇が東京行幸のときに、この本陣に宿泊した。
本陣を代々守ってきた澤邊(さわべ)家の末裔の方が、本陣跡奥にあるご自宅に住んでいる。現澤邊家当主の澤邊操さん(90歳)に、ご自宅前でお話しをうかがう。
まずは、これまでの道のりを話すと、労をねぎらってくれた。
操さんは21代目当主で、公務員として宮内庁に40年勤めたとのこと。具体的には、女嬬(にょじゅ)という肩書で、昭和天皇に仕えてお食事・お茶や御身の周りの世話をされた。昭和天皇は無口なお方でだけど、普通の人といっしょでアイロンをかけると「どうもありがとう。」っておっしゃった。
昭和天皇に仕えた、戸塚宿・澤邊本陣の21代目に、戸塚宿の通行手形を書いてもらい、「通ってけっこうです。」と通行許可をいただく。
こうして、東海道五十三次・5日目の旅を無事終えた。
■簡易チャート
スタート:神奈川県横浜市・保土ヶ谷宿『保土ヶ谷本陣跡』→ 『権太坂』 (2km) →『鎌倉ハム倉庫』(7km) →『さいとうハム製造本舗』→『戸塚宿 江戸見附』 (8km) →『吉田大橋』→ 昼食 →目標地点:『戸塚宿 本陣跡[澤邊本陣跡]』(9km) →澤邊さんち
【6宿目・前編】 2019年06月06日(木)放送
旅の内容:●戸塚宿 → 藤沢宿?▲悪天候との闘い■僧侶が作ったラビリンス★無念の中断を決断
スタートは神奈川県横浜市・戸塚宿。目標地点は神奈川県藤沢市・藤沢宿。いったん旧東海道を離れて、鎌倉市の観光名所・歴史ポイントに立ち寄る、約15キロの寄り道コース。
午前8:30、神奈川県横浜市・戸塚宿にある、澤邊本陣跡からオープニング。くっすんは案内板の影から登場し、「大雨です。」と声を大にして言う。朝から雨風が強く、2人ともビニール傘を差して雨合羽姿。
静岡県で強い雨を降らせている雲が、横浜にこれからやってくるので、安全に配慮しながら歩きたいなどと話していたら、くっすんのビニール傘がひっくりかえる始末。
ロケ日(2019年5月21日)は、寒冷前線と湿った空気の影響で、大気の状態が不安定。大雨と強風が、スタートから二人の行く手を阻む。さっきニュースを確認したところ、土砂災害警戒情報で浜松の辺りで避難勧告も出ているほど。
風が強すぎて、ビニール傘をもってかれそうになるので、建物の影でちょっと待機するくっすん。傘を差すと危ないと言った矢先、突風で一瞬にして傘を壊される河田アナ。仕方ないので、傘を差すのは諦め、カッパで歩く。
容赦なく風雨を顔面に受け、くっすんは「これでロケするの?(×2)これでロケやるんですか?」と戦意喪失気味。かたや河田アナは「まだいけるよ。」と、けろりとしている。
雨風は、しだいに強さを増してくる。
午前9:10、スタートから1キロ、ここまでいつもの2倍の時間がかかっている。安全に配慮しながら休憩をはさみつつ、目的地を目指す。
激しく叩きつけられる雨粒に、「ずぅーとね、小石を投げられている感じ、顔に。」とグロッキーなくっすん。
スタートから2.5キロ、くっすんが、ぶら下がっている巨大な何かを発見する。近づくと巨大なわらじと分かり、『南谷戸の大わらじ』と立て看板に書いてある。
大わらじを見ていたら、トンカツが食べたくなってきたとくっすん。全然共感できねぇ河田アナ。
この辺りの地名『南谷戸』が名前の由来になった、大きなわらじのモニュメントは全長3.5m・幅1.5m・重さ200kg。南谷戸は、旧東海道や鎌倉街道から近く、昔から往来の多い場所。多くの旅人がわらじを履きかえたり、休憩をとったりしたため、いつしか道中安全の名所となった。
大わらじは大正初期に作られ、現在は3年ごとに作り替えられている。
午前10:00、住宅街を歩いていると、ルートを外れた場所で富士山がよく見える、とスタッフさんから情報をもらう。河田アナはこんな悪天候では絶対富士山は見えへんやろと、立ち寄る気はない。絶対見えないと確信している河田アナに対し、「風が強いから、景色きれいかも分からないですよ。」と、もしかしたら見えるかもと主張するくっすん。
そこまで言うならと、くっすんに小型カメラを持たせ、偵察してきてもらう。すると、坂道を駆けあがりながら大きな奇声をあげるので、住宅街では近所迷惑だからとやめてほしいと思う河田アナ。
富士山の見える交差点・富士ヶ丘にきてみれば、周囲に見える山々は白く白く霞んで見える。それなのに「あれ違います?、富士山。」と指さすくっすん。その先にあるのは、特に目立つところのない小高い丘だったが、「富士山見えたぞ。」とはしゃぐ。
CM明け・・・歩くのも困難な雨風の中を歩き、
午前10:30、コンビニの軒先で雨宿りがてらに、河田アナが気象予報士の広瀬さんにスマホで、これからの天気を教えてもらう。戸塚から藤沢に向かって歩いていたと状況を説明すると、体に打ちつけるような感じの雨風だと、まるで2人を見ていたかのように、雨雲の様子からピタリと言い当てる。
この後さらに強い雨雲がやってきて、もしかしたら危険な状況かも、と広瀬さんの予報。より一層、注意して歩く。
スタートから5キロ、御霊神社の前を通り、
昔お坊さんたちが手作業で大がかりな洞窟を彫って修行をしていたという、定泉寺に到着。室町時代に創建された真言宗のお寺。
本堂の前で、ご住職の渡辺さんにお話しをうかがい、洞窟内を案内していただく。本堂の裏にある『田谷の洞窟』は、僧侶たちの修行場であるが、一般には礼拝の場として公開されている。入口入ってすぐのところで、ロウソクに火を点けて手に持ち、真っ暗な洞窟を進む。
洞窟内は1年中16~17℃に保たれている。洞窟内の壁は柔らかい粘土質の岩で、触れると崩れる恐れがある。壁の表面の凹凸は、のみで彫った痕が残っている。
鎌倉にある鶴岡八幡宮の僧侶たちによって彫られた、迷路のように入り組んだ大洞窟の総延長距離は約1キロにおよぶ。鎌倉時代から彫りはじめられ、約600年の歳月を経てたくさんの人たちが携わり、江戸時代に今の形になった。
洞窟の奥の方までくると、埼玉県の秩父三十四観音霊場のご本尊、34体が彫られ祀られている、広い部屋にでる。ここでお参りすることで、34か所のお寺を参拝したと同等の功徳を授かるという。
全国各地にある札所巡礼の夢を、叶えてあげるための洞窟でもあった。他にも西国三十三観音霊場のご本尊33体が彫られた部屋、坂東三十三観音霊場のご本尊33体が彫られた部屋があり、3つの部屋を参拝すれば日本百観音を巡った計算になる。
さらに、四国八十八ヶ所霊場のご本尊88体が彫られた部屋もあり、全部回れば188の札所を回ったことになる。
最後は、高野山の奥ノ院を表現した部屋で、弘法大師に手を合わせる。
お参りを終えて洞窟から出ると、さらに雨風が強くなっていた。雨が強いので進むか中断するかの選択を迫られる。スタッフさんに「安全のために今日はここで、中断しましょう。」の一言をうけ、中断を決断する2人。日を改めて、リベンジを誓う。
こうして、東海道五十三次・6日目の旅は中断した。
■簡易チャート
スタート:神奈川県横浜市・戸塚宿『澤邊本陣跡』→『南谷戸の大わらじ』(2.5km) → 定泉寺 (5km) →『田谷の洞窟』→ 荒天のため中断
【6宿目・後編】 2019年06月13日(木)放送
旅の内容:●戸塚宿 → 藤沢宿▲名優くっすん?!■大船を見守る観音様★藤沢の由来を知るお寺
スタートは神奈川県横浜市・戸塚宿。目標地点は神奈川県藤沢市・藤沢宿。いったん旧東海道を離れて、鎌倉市の観光名所・歴史ポイントに立ち寄る、約15キロの寄り道コース。現在は、5キロ地点の定泉寺。
午前8:00、神奈川県横浜市にある、定泉寺の本堂前からオープニング。前回の嵐のような天気から、本日は気持ちの良い晴れ。日差しが強いので、どんどん気温があがりそう。
定泉寺の境内を出ると、さっそくお便りコーナー。兵庫県尼崎市の女性からのお手紙で、昔偉大好きの6歳の息子さんが、『世界遺産』と書かれた通行手形を持って、にっこりしている写真を同封してくれた。
「息子は特にこのコーナーが大好きで、くっすんのヘタレっぷりに毎回喜んでいます。通行手形というものを知り、作りたいと言いだし、おじいちゃんに木を切ってもらい、字は息子が書きました。世界遺産と書いている理由は、奈良吉野に行った際に購入した通行手形に世界遺産と書かれていて、それをまねて書いたそうです。」
京都までいっぱいいっぱい通行手形書いてもらうので、応援してねと応える河田アナ。
午前8:20、快調に横浜市内を南に歩く。
午前8:40、スタートから2.5キロ、神奈川県横浜市から鎌倉市に入り、JR『大船駅』の横を通る。
スタートから3キロ、駅からすぐ近くにある、鎌倉女子大学を取材する。『鎌倉女子大学 大船キャンパス』は、2003年に大船撮影所跡に建てられた。教育学部や児童学部などがあり、学校の先生や保育士を目指す学生さんが多いそう。
大学図書館内にある、大船撮影所の写真展示場所まで、職員の米山さんに案内してもらう。予約をすれば、一般の方でも見学できる。
いま広大な大船キャンパスの建っている場所に、 昭和11年から平成12年まで映画の撮影所があった。
『大船撮影所65年 その歩み』の展示では、撮影所で撮られた映画のスチール写真が、公開年ごとに壁に貼られていて、拝見。渥美清主演の『男はつらいよ』の第一作目は、くっすん・河田アナの生まれる5年前に公開された。
くっすんは寅さんのセリフといえば、「結構毛だらけ、猫灰だらけ。お尻の周りは糞だらけ、ですよね?」と河田アナに同意を求めるが、ぜんぜん知らない。寅さんに数あるであろう名言の中で、なぜそれを選んだ?と聞くと、くっすんの頭の中にすりこまれているという。
『男はつらいよ』の他にも、『砂の器』や『幸福の黄色いハンカチ』など、数々の名作映画が大船撮影所から生まれた。
スチール写真の展示の他に、撮影所の名残が大学に残っていないか米山さんにうかがう。鎌倉女子大学には演劇部があって、撮影所さながらの演技をしているとのこと。
せっかくだから、演劇部の活動を見学させてもらう。演劇部の学生さんは、入学した後で松竹の撮影所だったと知ったとのこと。
鎌倉女子大学演劇部は、定期的に構内で演劇を披露している。出演者と裏方に分かれ、脚本も自分たちで書いている。
現在『ようこそ黒猫カフェへ』という演劇を、7月の本番に向けて稽古中。見た目は人間だが正体は黒猫であるカフェ店主(ネコ耳)に、3人の客がそれぞれ悩みを相談するというストーリー構成となっている。
稽古の様子を見せてもらった後、くっすんが腕組みしながら「今日は特別に、僕とお芝居・・・してもらいましょう。」ともちかける。河田アナに即座に却下されるも、半ば強引に話しを進める。しかも、くっすんは脚本をほぼ忘れて、アドリブでしゃべるという。
こうして、黒猫カフェ店主と珍妙な客の、寸劇が幕を開ける。
客がカフェのドアを開けて入ってくる
店主 いらっしゃいませ
客 ここは何のお店ですか
店主 ここはカフェですが・・・
客 カフェ・・・座ってもいいですか
店主 はい、どうぞお座りください
客 ノドが・・・ノドがカラカラなんですよ
客がテーブルにつく
店主 ああ、そうですか とりあえず紅茶をご用意させていただきます
客 できれば、クリームソーダをください
店主 わかりました
店の奥に消える店主
しばらくしてキンキンに冷えたクリームソーダをもってくる
客 いただきます
店主 はい、どうぞ
クリームソーダを一気に飲み干す客
客 なんておいしいクリームソーダなんだ
店主 ありがとうございます
客 やはり・・・ ・・・店長が出した飲み物は、愛が入るんですね
店主 そうですね・・・愛を・・・
ハートポーズをとる店主
客 ありがとー
ー終ー
お芝居を終えて、「最高に楽しかったです。」とくっすん。「私も楽しかったです。」と店主さん。
午前10:50、大学を後にして、寅さんが常連客だった、ラーメン店へ向かう。
スタートから3.5キロ、『でぶそば』にて昼食。常連客が先代店主を『でぶちゃん』とかいう風に呼んでいたので、この屋号になった。
開店前に、2代目店主さんにお話しをうかがう。
店内の壁には、渥美清の漢字のサイン色紙・ひらがなのサイン色紙が飾られている。ひらがなのサインが普通で、漢字のサインはこの世にたぶん10枚しかないレアモノとのこと。
付き人の方に色紙を10枚ほど買ってきてと頼んで、思い出ばなしをしながら書いた10枚のうちの1枚。清さんが亡くなった後に、ひらがなのサインとセットで配ってもらったそう。
先代店主さんは、お店でサインをもらうと大勢のお客さんもほしがるので、もらわないように気を使っていた。清さんは、でぶそばに28年も通ったのに、俺のサインがないと言っていたとか。
お昼ご飯を食べに、映画の衣装を着たままの寅さんがよくやってきた。そして、各マドンナさんをかならず1回は招待した。
寅さんがいつも注文していたメニューを、今も変わらず提供している。河田アナ・くっすんともに、ボリュームたっぷりの『寅さんセット』を食べる。中華そばと炒飯に、シウマイが3つ付く。寅さんファンのくっすんが「タコ社長にくわせてぇな~。」とコメント。ちゃんとタコ社長さんも、来店したことがある。
午後0:40、大船駅を越え、西へ歩く。
すると、河田アナが「見えた。」と森の方を指さす。巨大な頭が木々の向こうから見えるので、「ロボット?」とくっすん。観音様だと教える河田アナ。
CM明け・・・午後1:10、鎌倉市大船。巨大観音の全身を見てみたいと接近しにいく。
スタートから4.5キロ、観音様のおわす、小高い丘を目指す。急な坂道を100メートルほど登り、大船観音寺に到着。さらに境内の階段を登り、観音様の真ん前にたどり着く。
『大船観音』は胸から上だけの像で、高さ25メートル・幅19メートルある。昭和4年に、地元の有志が平和を願って建て始めた。しかし戦争などの影響で、工事は中断された。未完成のまま永らく放置されたが、寄付金が募られ、昭和35年に完成した。
建造の前段階では、立像を計画していた。しかも、東大寺の大仏の2倍くらいの高さを予定していた。だがしかし、地盤を地質調査した結果、立像では倒壊して危険なので、やむなく今のスタイルになった。
大船観音の胎内には入ることができ、千体ほどの仏様が祀られている。そのほとんどが、参拝者によって彫られた。
2人は観音様に旅の安全を祈願し、藤沢宿を目指す。
午後1:50、河田アナの手元の温度計が30℃を示す。玄関先に出ていたおかあさんに、「暑いですね。」とあいさつする2人。クリームソーダを飲みたいとぼやくくっすん。
午後2:30、スタートから7.5キロ、神奈川県鎌倉市から藤沢市へ入る。
藤沢に住んでいる96歳のおとうさんに、「暑いですね。」とあいさつする河田アナ。音声さんのもっているガンマイクから、掃除をしていると勘違いされる。
戸塚宿から歩いてきて藤沢宿を目指していると説明すると、「ご苦労様。」とねぎらってもらう。最後に、歯医者の帰りで麻酔がまだ残っていて、しゃべりにくかったと明かされる。
午後2:50、ようやく、旧東海道に合流する。
スタートから10キロ、目的地の藤沢宿に到着。藤沢宿は江戸時代、東海道を歩く旅人や、江ノ島に向かう参拝者で賑わった。
歌川広重が1834年に描いた藤沢宿の浮世絵では、境川のほとりに建つ、江島神社の『一ノ鳥居』が存在感を示しているが、今はもうない。
その鳥居の後ろにみえる橋は、今2人の立っている『遊行寺橋』。橋を渡った先には、遊行寺が描かれている。
『遊行寺橋』を渡り、歩くこと200メートル、遊行寺に到着。正式名称を無量光院 清浄光寺といい、1325年の創建より歴代の住職の愛称である、遊行上人の住むお寺として、遊行寺とよばれるようになった。
本堂の前で、遊行寺の木本さんと合流し、アジサイのもうすぐ見頃を迎える境内を歩き、藤沢の地名の由来となった場所へ案内してもらう。
境内の一角で、昔から枯れることなく水が湧き出ている。その湧き水は、遊行寺のそばを流れる境川に流れ、多くの淵(ふち)を作った。淵の多い沢→淵沢から、藤沢に変化して、現在に至る。
東海道を歩く者は、江島神社や遊行寺など神社仏閣にお参りして、旅の安全や家内安全を祈願した。
最後は、遊行寺の木本さんに藤沢宿の通行手形を書いてもらう。手形の裏には、『南無阿弥陀佛』と有り難いお言葉をいただく。
こうして、東海道五十三次・6宿目の旅を無事終えた。
■簡易チャート
スタート: 定泉寺 (5km) →『鎌倉女子大学 大船キャンパス』(8km) → 昼食:『でぶそば』(8.5km) → 大船観音寺 (9.6km) → 『大船観音』→ 目標地点:藤沢宿[遊行寺橋] (15km) → 遊行寺




























































