MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の特別編『ちちんぷいぷい&ミント 夏休みウィーク』[山形県鶴岡市羽黒山]のまとめ。

 

2019年08月08日(木)放送 
 

旅の内容:●今回はゲストを迎え3人旅▲ライバル登場で焦るくっすん?!■地獄から試練乗り越えてっぺんへはじめまして 奇跡の秘仏とご対面
スタートは山形鶴岡市・羽黒山大鳥居。目標地点は山形県鶴岡市・出羽三山神社。約5キロの山道コース。

午前9:00、山形県鶴岡市にある、羽黒山の大鳥居前からオープニング。夏休みスペシャルということで、東海道は置いといて山形まで遠征。鳥居の周りは、一面のどかな景色が広がっている。 

 

 ちちんぷいぷい&ミントで、夏休みウィークのテーマは『はじめまして』。昔偉のはじめましては、羽黒山山頂(標高414m)にある出羽三山神社の秘仏が、なんと本邦初公開

 

 スタッフさん曰く、お二人さん(河田アナ&くっすん)では心もとないからと、今回は特別、仏に精通した強力な助っ人を呼んだ。

 二人の背後から仏様のコスプレをした女性が登場し、ビックリ。何者かと問うと、「薬師如来です。」とのこと。よく見ると、法衣はカーテンだし、左手に持っているのは薬壺・・・ではなくタマネギ。

 

 河田アナがさらに誰ですか?と問うと、具体的に言えば、大阪市交野市にある獅子窟寺の薬師如来(国宝)だという。ここで女性が自己紹介、「仏像に近い芸人のみほとけです。」。2人は、その説明ではちんぷんかんぷん。

 みほとけさんは鎌倉出身、元アイドルでありながら仏像が好きすぎて、もっと仏像の素晴らしさを広めたいと芸人に転身した、仏像芸人

 

 くっすんは、みほとけさんを今までテレビで拝見したことがないというと、昔偉で地上波テレビはじめまして。

 しかし、仏教界ではすでに名が知られていて、お寺さんで広く読まれている雑誌・『月刊仏事』でグラビア特集された。というわけで、ナムいみほとけさんが仲間に加わった

 

 

 薬師如来のコスプレ姿ではさすがに歩きにくいので、赤いジャージに着替えたみほとけさん。胸には『みほとけ』の名前入り、背中には『み』の字の菅笠をしょって、昔偉になじんでいる。

 『み』の菅笠を見て、「これ作ったら、また、何回も出てこれるじゃないですか。僕がどんどん霞んでいくじゃないですか。」と、自らの立場を危ぶむくっすん。

 

午前9:30、大鳥居を張り切ってスタート。歩きながら、みほとけさんに仏様の道を志した経緯をうかがう。

 高校2年生のとき京都の六波羅密寺に行って、教科書にも載るぐらい有名な『空也上人立像(国の重文)』を初めて見たとき、恋に落ちたとのこと。人たちを救うために念仏を唱えて歩きまわった、苦しい人を救うんだっていう切なさが顔に表れていてカッコいいとな。

 

午前10:10、スタートから2キロ、『羽黒山正善院 黄金堂』に到着。源頼朝が鎌倉時代に、奥州藤原氏討伐の戦勝祈願で寄進したとされる。その後、羽黒山を訪れるものが無事に参拝できるよう、祈願する場所になっている。

 

 副住職の長南さんに、仁王門についてお話しをうかがう。

 仁王門にぶらさげられている数々の草鞋は、羽黒山をお参りしたくてもいろんな事情で行けない人たちが、仁王さまに代わりに参拝してもらうため。

 

 仁王門の仁王様を拝観して、江戸時代の頃の作品っぽく、筋肉もりもりなところが、慶派仏師の写実的な技法の作風に近いと、みほとけさん。副住職もおっしゃる通りだと、その仏像知識に舌を巻く。

 

 3人で黄金堂に手を合わせ、旅の安全を祈願する。副住職にホラ貝の音色で見送ってもらい、お寺を後にする。

 すると、すぐに宿坊が並ぶ『手向(とうげ)の宿坊街』に入る。全盛期には336軒の宿坊があった。現在でも、27軒の宿坊が立ち並ぶ。

 

スタートから3キロ、午前10:50、羽黒山への玄関口・随神門に到着。到着の尺八がうまく吹けず、「がんばってください。」とみほとけさんに励まされるくっすん。

 1695年に創建された随神門は、随神が羽黒山の神域への悪霊の侵入を防いでいる。

 

 ここから羽黒山伏の吉住さんに、案内していただく。着ている市松模様の衣装は、神道系の山伏装束。市松模様は結界を意味し、邪気を祓うとされている。

 羽黒山の山頂まで2,446段の石段を上り、お参りすれば生まれ変わるといわれる。

 

 吉住さんがホラ貝を吹きながら随神門をくぐり、後に続く。入口からすぐに、石段を下る。羽黒山の石段の中で、唯一の下り坂であり、一度地獄に堕ちるという意味がある。地獄から山頂まで這い上がることで、悟りに至る羽黒山修験道。

 

スタートから3.5キロ、午前11:40、羽黒山五重塔(国宝)に到着。平将門が938年に創建したとされる。みほとけさん情報では、日本で一番北にある国宝の五重塔で、お寺マニアにはたまらないらしい。

 くっすんも負けじと「皆さん、五重塔はお釈迦さまのお墓、らしいですよ。」とナムい情報を披露する。しかし、みほとけさんに「ってさっき教えました。」とすぐにバラされる。「まさかこんな堂々と言うと思わなかったですよ。」と、くっすんの性格を知らなかった。

 

 現在150年ぶりに、五重塔の内部を公開中(2019年4月27日~11月30日)なので、中に入って拝観する。元は観世音菩薩・軍荼利明王・妙見菩薩を祀っていたが、明治の廃仏毀釈により、現在まで大国主命を祀っている。

 

 今回の特別拝観では全国的にも例をみない、2階から内部の構造も公開している。特設の外付け階段を上り、2階の窓から頭をつっこんで五重塔内部を拝観する。「骨組みもすごいんですけど、芯柱、中心に立っているふっとい柱が、抱きしめた~い。」と大興奮のみほとけさん。

 その芯柱は塔を直接支えているワケではなく、一説には、地震がきたときに建物と違った揺れ方をすることによって、免震構造により建物の倒壊を防いでいるという。昔の人の造った建物の、技術力に驚嘆する3人であった。

 

午後0:10、五重塔を離れ、羽黒山の『一の坂』を上っていく。山伏の吉住さんとは、ここでお別れ。ホラ貝で見送ってもらい、3人で山頂を目指す。

 標高414メートルの羽黒山を、3つの坂で2,000段以上の石段を上る。

 

CM明け・・・午後0:15、山形県鶴岡市羽黒山で『一の坂』を上りはじめている。一段一段が低く、石段の間隔はバラバラ。現在の気温は33℃で、真夏の暑さでしんどい。

 「もっと急いで行った方が楽かも、逆に。」と、一人早足で先へ進むくっすん。「遅いな。」とゼエゼエいいながら、くっすんの姿は見えなくなった。

 しばらく河田アナとみほとけさんだけで上っていると、上の方から感情の高ぶった尺八の音が聞こえてくる。

 

 尺八を吹いているくっすんの元まで行くと、皆さんを勇気づけようと吹いてみたという。そして、「とにかくですね、今のところ僕、出どころゼロなんで。少しでも出場所を作らないという、思いで必死です。」と本音を吐露するくっすん。

 

 合流して、3人でしばらく石段を上ると、角度のえげつない二の坂』が姿を現す。「壁やん。」と憤るくっすんと、走るのやるんやったらココのが良かったちゃうと冷徹な河田アナ。

 

 『二の坂』の角度にあきれる3人。石段ダッシュをしたくっすんは後退し、若いみほとけさんは軽やかに前進する。河田アナがみほとけさんの若さに驚かされていると、スタッフさんから「くっすんさんが見当たらないですけど・・・。」の声。

 2人が振り返ってくっすんさんの姿を探せば、石段の脇の草のかげに寝転がっているくっすんさんを発見する。倒れたまま「助けて~。・・・下りてきてー。」と懇願し、見せ場?を作る。河田アナが「置いていってって?」と聞き返す。

 

 なんとか起き上がり、「ええとこ、見せたかったんですもん。みほとけというね、24歳の小娘に負けてられないっすよ、もうホントに。」と対抗意識を燃やすくっすんさんであった。

 

 再び3人合流し、東京からやってきたご夫婦とすれ違う。山頂までの石段の数をうかがうと、あと半分ちょっととのこと。3人いっしょに『半分ちょっと!』とオウム返しする。

 思ったより石段が残っていたのはショックだったけど、もうちょっと上ったところに見える茶屋を頼みに、歩を進める。

 

 午後0:50、スタートから4キロ、江戸時代から店を構える『二の坂茶屋』にて一服。石段の参道のちょうど中間地点にあり、庄内平野を一望できる絶景ポイントでもある。

 名物は御年85歳の女将さんが、杵でついて作るお餅。けっこうな重さの杵でぺったんぺったんする様は、とてもパワフル。

 

 河田アナ・くっすん・みほとけさんは、それぞれ『杵つき力餅 ミックス餅5個抹茶付き』をいただく。きなこ味とあんこ味の2種ミックス。お餅だけでなく、お餅にかかっているあんこも手作り。

 暑さと石段で疲れた体に、たまらない美味しさ。女将さんの茶屋を楽しみにして、お餅を食べに来てくれる、とても愛されちゃってるお茶屋さん。

 

 お茶屋のために毎回、石段を7~8キロの荷物を背負ってやってくるという、元気過ぎる女将さん。「人間乗せるドローンでもあれば・・・。」と冗談もお上手で、くっすんさんも見習わなければならないネ。

 

 お茶屋さんの女将さんたちに元気をおすそ分けしてもらい、ラストスパート。

午後1:15、『三の坂』をゆく。石段の連続で、みほとけさんにもさすがに疲労の色がみえる。

 

石段を上り続けて2時間、ゴールだと願う紅い鳥居が見える。山頂鳥居をくぐり、

午後2:00、スタートから5キロ、目標地点の出羽三山神社に到着。東北修験道の聖地・出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)の神を合わせて祀る神社で、まずは三神合祭殿を参拝する。

 

 三神合祭殿の前で、禰宜の住吉さんにお話しをうかがう。

 江戸時代までは羽黒山寂光寺というお寺だったが、明治時代の廃仏毀釈により出羽三山神社になった。

 

 禰宜さんに羽黒山頂儀式殿へ案内してもらい、ついに本邦初公開の秘仏を拝観させていただく。厨子の中におわすのは、『羽黒三所大権現』。真ん中に大日如来、向かって左に観世音菩薩、右に阿弥陀如来を配する。仏像芸人のみほとけさんは、感動で胸いっぱいと瞳を輝かす。

 

 1811年に火災で本殿が焼けて、ご本尊も焼失した。75代別当の覚諄(かくじゅん)がまた火事があってはいけないと、1818年に本尊を収めた厨子を2つ作り、保険として1つを羽黒山の宿坊へ預けた。

 お寺のあった御本尊は、廃仏毀釈により焼失したが、宿坊に預けられたご本尊は、他言無用という言いつけを守り、200年間隠され守られ続けてきた。

 

 その隠し御本尊が、2018年2月に宿坊で200年ぶりに発見され、出羽三山神社に帰還した。そんな奇跡なお話しを聞いて、「廃仏毀釈っていう、少し悲しい歴史がありますけども、神社もお寺も手を組んで、こうやっていっしょになられてるっていうのがずっと続いてるのが、私はすごく嬉しい気持ちになります。」とみほとけさん。

 

 最後に200年ぶりに発見された秘仏に手を合わせ、こうして3人は、無事山形の旅を終えた。

 

■簡易チャート

スタート: 山形鶴岡市・羽黒山大鳥居 →『羽黒山正善院 黄金堂』(2km)  →『手向の宿坊街』→ 随神門 (3km) → 羽黒山五重塔 (3.5km) →『一の坂』→『二の坂』→ 休憩(もぐもぐタイム):『二の坂茶屋』(4km) →『三の坂』→ 山頂鳥居 → 目標地点:出羽三山神社 (5km) 

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』9宿目~10宿目のまとめ。

【9宿目】 2019年07月18日(木)放送 

旅の内容:●大磯宿  小田原宿▲教育熱心なてーしょー?!■ドリフのコントでおなじみ 川渡しはツライよ?!★領民に気を遣う小田原城主

スタートは神奈川県大磯町・鴫立庵。目標地点は神奈川県小田原市・小田原宿。約18キロのコース。

午前8:00、神奈川県大磯町にある、鴫立庵の前からオープニング。河田アナの手元の温度計は22℃を指し、肌寒い。

 

 まずは、歌川広重の小田原宿の浮世絵をフリップで確認する。橋のない川を、人々が水に浸かりながら渡っている。また、川渡しの人たちが、輿を担いだり台に乗せたりして、旅人を向こう岸へ運んでいる。

 

 スタート地点から旧東海道へ入って、西へ向かう。

 歩きながら、河田アナが大磯の歴史を語る。大磯は明治時代に、政界の奥座敷と呼ばれた。大隈重信山縣有朋西園寺公望などが、療養目的で別荘を構えた。

 

午前8:30、普段は立ち入り禁止の敷地へ特別入れてもらい、

スタートから1キロ、初代内閣総理大臣・伊藤博文の自宅だった、『滄浪閣』の外観を見学する。

 

 玄関前で、河田アナが滄浪閣を解説する。

 1896(明治29)年に、博文が妻・梅子の療養のために、大磯に建てた別荘。大磯を気に入り、翌年には本邸にした。

 

 大磯町郷土資料館の富田さんに、大磯での博文の暮らしぶりをうかがう。

 町民は、博文のことを大将がなまった『てーしょー』と親しみをこめて呼んだ。また、博文は地元小学生の入学祝いに、10銭を入金した預金通帳を配ったとのこと。子供のうちからお金を大切にしなさい、という気持ちでポケットマネーからだした。

 

 幕末大好きの河田アナが、博文について補足説明する。長州藩(山口県)出自で、松下村塾で吉田松陰の弟子だったので、教育に熱心だったのでは・・・とくっすんに熱く語りかけるも、「何を言っているんですか?」とまったく理解されてない。さらに、吉田松陰に会ったことないですと言うので、「そらそうでしょ。」と間髪入れずツッコむ河田アナ。

 

午前9:00、滄浪閣を後にして、東海道を再び歩く。

 

スタートから5キロ、とあるパン屋さんの前で、自転車でパンを買いにきて帰ろうとしている、おとうさんに出合う。東京の日本橋から東海道を通って京都の三条大橋まで歩くと伝えると、ご苦労様ですとねぎらってもらう。

 湘南で一番おいしいというパン屋に、いつも自転車で買いに来ているとのこと。

 

 せっかくだから、くっすんが取材交渉して許可をもらい、『パン屋クレメンス(創業23年)』を取材する。

 販売を担当している、おかあさんにお話しをうかがう。

 店主の旦那さんがパンを焼いていて、夫婦で切り盛りしている。玄米の食パンが一番人気商品とのこと。

 

 玄米食パンの耳を試食させてもらう。玄米の粒々が目で確認できる。生地がモチモチしていて、玄米の香りがほのかにする。「こんなおいしい食パン、初めてです。」とくっすんがコメントすると、「ウソばっかり。」と返される。

 

午前10:30、スタートから7.5キロ、神奈川県小田原市へ入る。

 

 相模湾を横目に歩き、

スタートから9キロ、軽トラを使っての移動式魚屋さんに出会う。相模湾で捕れた新鮮な魚介類を、氷入りの発砲スチロール箱に入れ、販売している。常連さんのおかあさんは、わざわざ遠くまで買いに行かなくていいので、とても助かっている。

 この時季の相模湾では、アジが旬で美味しいとのこと。お魚を、車にあるまな板の上で、その場でさばいてくれるサービスが嬉しい。

 

午後11:50、東海道を外れ、

スタートから13キロ、広重の小田原宿の浮世絵が刻まれた、石碑の前に到着。この辺からの視点で、浮世絵が描かれている。浮世絵の奥の山裾に、小田原城が描かれているが、建物で全体は見えないけど、現在でも小田原城の天守の先っちょは見える。

 

 浮世絵に描かれている酒匂(さかわ)を越えれば、すぐに小田原宿。

 昔は川越人足(かわごえにんそく)という川渡しに人たちにお金を払い、台に乗って川を渡った。お金があんまりない人は、料金の安い川越人足の肩車で渡った。お金に全く余裕がない人は、服を脱いで自力で渡ったという。

 

 今の時代は、文明の利器・酒匂橋という全長約370メートルの大きな橋が架かっているので、誰でもスイスイ川を渡れる。そいいうくだりで、スタッフさんから白い布が2枚、河田アナに手渡される。なんじゃろと思って広げてみると、白いフンドシ。

 

 スタッフさんの企画で、浮世絵と同じように歩いて川を渡る羽目に・・・。なんとか渡らずに済むように、あれこれしゃべる河田アナだったが、結局、ジャージから白フンドシと足袋に着替え、リュックと菅笠はそのまま装着。こんな日に限って、夏なのに肌寒い。

 ここで、酒匂川漁業協同組合の篠本会長さんに登場してもらい、川渡りの助言をいただく。酒匂川を熟知している会長さんによれば、今日の水量だと大丈夫とのこと。

 

午後0:45、河川敷に下りて、寒むがりながら川の方へ下りる。砂利で形成された細い陸地から進み、足が水にちょっと浸かると、「冷た。」と予想以上に冷たかったので引き返す河田アナ、とつられて戻るくっすん。

 怖気づく2人に、「駄目です。」と退路を断つスタッフさん。マジの泣き顔で、「嫌や~。」とくっすん。

 

CM明け・・・午後0:45、神奈川県小田原市酒匂川河川敷。白フン姿で川を渡らんとしている2人。水に足首が浸かるぐらいで「冷たい。」を連呼するくっすん。会長さんに安全な場所を選んでもらい、進む。

 

 川の真ん中辺りでは水の流れが強く、「足もってかれますよ。」とくっすん、言ったそばから転んで、危うく全身を水に浸かるところだった。転んだ拍子に水しぶきがあがり、河田アナにかかって迷惑。その後も、川の流れに翻弄され、水の中をフラフラ歩くくっすん。

 川底がヌルッとしているのは、鮎が食べるコケが付いているから。川の流れと滑るコケに苦戦しながら進んでいると、水位が深くなり膝の上まで水に浸かる。

 

約20分かけて川幅200メートルを渡って、

午後1:15、向こう岸へ上陸。見守っていた会長さんに労を労ってもらう。普通に川を渡るだけで大変なのに、人を担いで渡っていたという昔の人は偉かった、と身をもって知ることができた。

 

 昼食を済ませ、

スタートから15.5キロ、小田原市の市街地へ向かう。

午後2:40、小田原宿[山王口跡]に到着。山王口は宿場の江戸側の入口であり、小田原は東海道の最初の城下町。

 

午後3:00、スタートから17キロ、お城っぽい建物を発見する。小田原城と思うくっすんと、何かが違うと思う河田アナ。建物の前にいた人に聞いてみると、ういろう屋さんとのこと。

 くっすんが取材交渉し、『ういろう』を突撃取材する。店頭で代表取締役に名刺をいただく。そこに書かれた名前は、なんと外郎(ういろう)藤右衛門さんで25代目。 元(中国)の役人だった陳延祐が、元が明に滅ばされたとき、九州の博多に亡命した。延祐は日本に帰化し、陳外郎と名乗ったのが外郎家の始祖に当たる。医者でもあった陳外郎は、薬のういろうを中国から日本へ持ちこんだ。

 

 陳外郎の息子は外郎家を名乗り、朝廷や室町幕府に仕えた。そして、室町時代には珍しかった黒糖を使い、お菓子のういろうを考案した。

 

 2人は店頭でういろうを試食し、舌つづみを打つ。「ウォーターベッドみたいです。」と食感を例えるくっすん、理解できない河田アナと25代目。

 

 当初は博多に住んでいた外郎家だったが、1504年に北条早雲の招きで小田原に移り住んだ。早雲との約束を守って、今も小田原に店を構え続けている。

 

スタートから7時間30分

スタートから18キロ、午後3:30、目標地点の小田原城、の天守前に到着。

 

 小田原城天守閣の館長の諏訪間さんにお話しをうかがう。天守は江戸時代に建てられたが、明治時代に廃城となり取り壊されてしまった。昭和35年に、江戸時代の模型を元に鉄筋コンクリート造りで復元された。

 

 天守閣の中にある、資料館を案内してもらう。展示されている、小田原北条氏の始祖・北条早雲の像などを拝見する。

 小田原北条家当主が公式文書に押したハンコを、『虎朱印』と呼ぶ。ハンコの文字は禄寿応穏の4字が使われている。『末端の領民の禄(財産)と寿(生命)を平穏にするため、小田原北条家が守ります』という意味が込められていた。

 また税金は、早雲時代から4公6民の割合にして、領民の取り分を多くした。お殿様が一般庶民にこんなに気を遣うなんて珍しいと河田アナのコメント。

 

 最後は、館長に通行手形を書いてもらい、小田原宿の通行許可をいただく。

 天守最上階から相模の城下町を見下ろし、東海道五十三次・9宿目への旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート: 神奈川県大磯町・鴫立庵 → 『滄浪閣』 (1km)  → 『パン屋クレメンス』 (5km) → 小田原宿の石碑 (13km) → 酒匂川 → 昼食 → 小田原宿[山王口跡] → 『ういろう』(17km) → 目標地点:小田原城 (18km) 

 

 

 

【10宿目】 2019年07月25日(木)放送 

旅の内容:●小田原宿  箱根宿の工房を見学■『天下の険』 峠越えはツライよ?!★改めババアの恐怖?!

スタートは神奈川県小田原市・小田原宿[小田原城]。目標地点は神奈川県箱根町・箱根宿[箱根関所]。約18キロのコース。

午前6:30、神奈川県小田原市にある、小田原城天守の前からオープニング。これから歩く、小田原宿~箱根宿~三島宿を結ぶ32キロを箱根八里と言い、東海道の難所として挙げられる。

 

 さっそく、歌川広重の箱根宿の浮世絵をフリップで確認する。壁のようにそそり立つ箱根の山を手前に、はるか奥の方に富士山が描かれている構図。左隅の湖が、芦ノ湖。昔の旅人は、さぞ峠越えで苦しんだであろう。

 

 あいにくの雨で、ビニール傘を差して歩く。

スタートから5.5キロ、箱根湯本温泉のそばを通る。

 

午前8:30、温泉街を通るが、まだお店が開いてない。

 さいたまからやってきた、浴衣姿の女性2人組に出会う。さいたまから箱根まで車で1時間半ほどで来た。宿泊した旅館は、露天風呂が種類豊富で広かったとのこと。

 

 温泉街を抜けると、坂道が急になってくる。

スタートから8キロ、河田アナが「こっからず~っと上りますよ。」とくっすんに忠告する。ただいま標高100メートルを超えたあたりで、ここから標高805メートルの峠まで、長い坂道が続く。箱根の山道は、その険しさから『天下の険』と呼ばれてきた。

 

午前9:45、スタートから11キロ、ずっとアスファルトで舗装された道を歩いてきたが、本格的な山道・『箱根旧街道』へ踏みこむ。

 昔から箱根の山道は天気が悪いと、泥に足をとられたり滑ったりして非常に歩きにくかった。そこで江戸幕府は、1680年に箱根道を石畳に改修した。今も当時の石畳が箱根に残っていて、今歩いている。

 

 ロケ日は雨で箱根道が濡れてよく滑るが、昔の人は草鞋だったので歩きやすかったのかな?と河田アナ。

 くっすんは腰が痛くなってきて、「箱根で、雑魚寝したい。」とギャグも足も滑らす。河田アナは、「テープの無駄遣いするの、やめてもらっていいですか?」とご立腹。

 

 500メートルほどの石畳を歩き、舗装された道にもどる。「(先が)思いやられるわ。」としゃがみこみ、早くも疲労をにじますくっすん。

 

午前10:20、スタートから11.5キロ、箱根寄木細工の工房・『金指ウッドクラフト』を見学する。1989年創業の工房で、寄木細工で職人歴60年の金指さんに、寄木細工を見せてもらう。

 

 幾何学模様が美しいコースターは、お手頃な値段。寄木細工は色鮮やかなのに、木の天然の色を活かし、着色していない。様々な色の木を組み合わすことで、独特な模様を生み出す。

 江戸時代から作られ、旅人や湯治客の土産物として重宝された。

 

 箱根細工の作り方を教えてもらう。

①色の違う木の板を、張り合わせる。

②張り合わせてできた板を、いろいろな角度をつけて切断し、三角柱や四角柱などの形をした木材を作る。

③種々の細長い木材を組み合わせ、模様を作る。

 

 出来上がった様々な模様を組み合わせ、複雑な模様を組みあげる。美しい模様をだすには、木のサイズを正確に測り、正確に切って、わずかなズレも許されない職人技が求められる。

 幾何学模様となった木のブロックを機械で薄くスライスし、小箱などの表面に貼りつければ、箱根寄木細工の完成。

 

 手先の器用さだけでなく、デザインする力も必要で、金指さんも自分でデザインを考えることが多い。

 さらに、金指さんは『無垢』と呼ばれるオリジナルの技法を考案した。幾何学模様のブロックを薄くスライスせず、直接削ることでコップや器などの丸みを帯びた作品ができるようになった。

 

 金指さんには、現在2人のお若いお弟子さんがいる。木の色に魅せられ感動して、職人の道を歩む鈴木さん、お師匠から独立して箱根細工だけで食べていけるようになりたい藤野さん。

 

 金指さんは、箱根駅伝往路優勝校に贈られるトロフィーを、1997年から製作している。箱根寄木細工の技術を結集した、緻密な立体的トロフィーで、箱根駅伝のテレビ中継の際には必ず映しだされる。

 

CM明け・・・お昼ごはんを済ませ、午後0:40、神奈川県箱根町・江戸時代から残る石畳の道と、舗装された道を、交互に進んでいる。

 

スタートから12.5キロ、モノスゴイ急角度な階段を上る。くっすんの膝が悲鳴をあげ、半泣き?階段で、くっすんさんと、今回初ロケ・新人ADの小林くんが後方に遅れる。

 河田アナが「小林くん、大丈夫か?」と気にかける。ないがしろにされたくっすんがすねる

 

午後1:35、スタートから14.5キロ、疲れがたっぷり溜まったところで、砂漠にオアシス・『甘酒茶屋』で一服。標高約700メートルに位置する茶屋で、江戸時代から400年続く。

 江戸時代には箱根の山道に9軒の茶屋があったが、現在ではこの茶屋だけが残っている。

 

 酒かすと砂糖を使わず、米麹のみで作った甘酒をホットでいただく。13代目店主さんの山本さん曰く、昔の人は汗をかいて疲れた体に、飲み物として甘酒を飲んでいた。

 

スタートから15キロ、雨の石畳の道を、ひーこらひーこら歩く。

 

 日本橋から東海道を歩いてきたという、同士の男性に出会う。頭に菅笠をかぶり、リュックに『東海道53次 踏破に挑む』と書いた、スケッチブックをぶらさげている。

 学生の土居さんは、東海道を歩いた人のブログがいっぱいあって、触発された。日本橋から箱根の現在地まで、毎日歩いて4日目。リュックにテントを入れていて、野宿している猛者。

 そんなパワフルな東海道中記をうかがい、河田アナはスタジオの人たち(特に南光さん)に知られたら、外に泊まれとか言い出すやんと危惧する。

 

 昨日はたまたま出会った人に、「うちの屋上はテント張っても大丈夫。」と助けてもらったそう。長旅では、人の温かみがありがたいね。

 

箱根の山道を上り始めてから7時間半、

午後3:15、箱根峠の頂上(標高805メートル)に到達。

 

20分ほど山道を下り、

スタートから17キロ、芦ノ湖の見える、下界(標高730メートル)へもどってくる。

 

 湖畔沿いにある、成川美術館に立ち寄る。広重の箱根宿の浮世絵に近い風景を、庭園から臨む。曇り空で全体的に霞んでいるが、それも味わいがある眼下の芦ノ湖。晴れた日には、富士山が遠くにどっかりと見える。

 

 美術館の学芸員の野坂さんに、箱根宿の浮世絵についてうかがう。浮世絵に描かれているとんがった山は実際には存在しなくて、箱根の山の険しさを表現するために強調して描いたとのこと。広重は箱根を幾度となく訪れているので、とても難儀したことを絵に反映させている。盛り過ぎだとくっすんのコメント。

 

スタートから約9時間30分

スタートから18キロ、午後4:00、箱根宿[箱根関所]に到着。1619年に設置され、箱根を通行する旅人や荷物の取締りが行われた。明治2年に廃止となったが、平成19年に同じ場所に同じ規模で再現された。

 

 箱根関所のスタッフの道久さんにお話しをうかがう。関所はもっとこじんまりとしているイメージをもっている河田アナだったが、箱根関所はデカい。江戸時代に全国に設置された関所のなかでも、江戸防衛の拠点として重要視された。

 

 関所では、『入鉄砲と出女』といって、江戸に鉄砲などの武器類が持ちこまれないよう、また江戸から関西方面に向かう女性に、人質に取られている大名の妻や子どもがまぎれていないか、チェックした。とにかく、江戸幕府への反乱が起きないよう、危険な芽を摘み取ろうとした。

 

 出女をどのように取り締まっていたのか、取り調べの様子を再現した、等身大フィギュアを拝見する。神妙な面持ちで正座して座っている女性が、出女。その後ろで、恐ろしい形相で出女の髪をいじっている老婆が、人見女。

 人見女は出女専門の取り調べをする役人で、改めババアと呼ばれて恐れられたとか。

 

 出女は関所を通るとき、通行手形が必須だった。通行手形には、手形の発行を受けた人の髪型や顔や手足の特徴などが細かく記されていて、本人と一致しているか改めババアが検めた。

 

 

 最後に、箱根関所のスタッフの道久さんに通行手形を書いてもらい、箱根宿の通行許可をいただく。

 こうして、東海道五十三次・10宿目への旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート: 神奈川県小田原市・小田原宿[小田原城] → 箱根温泉街 →『金指ウッドクラフト』(11.5km) → 昼食 → 『甘酒茶屋』(14.5km) → 箱根峠の頂上 → 成川美術館 [庭園] → 目標地点:箱根宿[箱根関所] (18km) 

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』7宿目~8宿目のまとめ。

【7宿目】 2019年06月27日(木)放送 

旅の内容:●藤沢宿  平塚宿川をさかのぼる生首?!■サザンの街 サザンの海★ひらつかのロマンチックな七夕まつり

スタートは神奈川県藤沢市・藤沢宿[遊行寺]。目標地点は神奈川県横浜市・平塚宿[京方見附]。約16キロ?のコース。

午前8:00、神奈川県藤沢市にある、遊行寺の入口からオープニング。関東地方は梅雨入りの中、朝から晴れてなにより。一日晴れの予報で、気温も上がらずロケ日和。

 

 出発の前に、歌川広重の平塚宿の浮世絵を拝見。まん丸お山が大きく描かれて、その向こうに富士山がチラッと見えている。今現在お山がどういう風に見えるか、確認したい。

 

午前8:15、前回通った遊行寺橋を再び渡る。橋の下を流れる境川は、相模湾へと流れ込む。

 

 旧東海道へ戻り、西へ西へ歩く。

午前8:30、住宅街の路地を進み、

スタートから1キロ、『伝義経首洗井戸』に到着。1189年に源義経が岩手県の平泉で自害したとき、鎌倉幕府は義経の首を藤沢の海に捨ててしまった。その首は境川をさかのぼって、井戸の近くに流れ着いた。

 とある村人が義経の首を見つけ、井戸の水で洗い清めて葬ったとされる。

 

午前9:15、幼稚園のお子さんと、バスを待っている保護者さんたちに出会う。5歳の男の子と妹さんの、お母さんがご懐妊とのことで、せっかくだからくっすんが安産祈願を買って出る。

 お母さんのお腹に両手を当てながら、「元気な赤ちゃん・・・生まれろ、ポン。」と唱え、おもむろに尺八を奏でるくっすん。なかなか上手にできたが、リアクションに困るこどもたちだった。

 

旧東海道を更に西へ進み、

午前9:30、スタートら4.5キロ、神奈川県藤沢市から茅ケ崎市へ入る。

 

午前10:50、カートでお散歩中の子供たちと、引率のシッターさんにすれ違い、

スタートから8キロ、JR『茅ヶ崎駅』前にて、くっすんの鼻が磯の香りを感じる。くっすんは海に行きたいと言い出し、河田アナが却下しようとしたが、しょっちゅう東海道からそれてるからいいでしょと、海を見に寄り道することに・・・。

 

 茅ヶ崎市は、サザンオールスターズの桑田佳祐さんの出身地。JR『茅ヶ崎駅』前で耳をすませば、サザンの名曲『希望の轍』の発車メロディが聞こえ、興奮する2人。地元の皆さんの要望に応えるかたちで、2014年に採用された。

 

 駅の西側を歩けば、その名も『サザン通り商店街』がある。2000年に改名した商店街で、サザンの曲名が書かれたパネルが商店街のあちこちに設置されていて、探すのも楽しい。

 

 通りすがりの自転車に乗った女性に、桑田佳祐さんにあったことがあるか聞いてみたら、あるとのこと。あるどころか、よく知っている

 40年ほど前に桑田さんの実家近くに住んでいていたとき、佳祐さんが大学生の頃。お父さんの駐車場で、よくエレキギターをバンバン鳴らしていたみたい。

 

午前11:30、スタートから10キロ、憧れの『サザンビーチちがさき海水浴場』に到着。東には江島、南の沖には『えぼし岩』が見え、サザンの歌の世界が体感できる、ファンの聖地。

 妻といっしょにきて、エボシ岩が歌詞にでてくる『チャコの海岸物語』を歌いたいとくっすん。

 

 ビーチのシンボルとして、大きなC型のオブジェ・『茅ヶ崎サザンC』が設置されている。茅ヶ崎の頭文字であるCの、切れ目の部分に恋人同士で立つと、円の形に結ばれ縁結びとなるようデザインされた。

 河田アナとくっすんも、仲良く円の形に結ばれる。

 

 サザンCの前で、サーフィンを終えて自転車で帰るところの、ご夫婦に出会う。奥さんは大阪出身で、旦那さんは東京出身。茅ヶ崎の海でサーフィンつながりで結ばれた。

 結婚式をサザンビーチで行った際、風が強いから参加者一同砂まみれになったとのこと。

 

午後1:00、湘南の海を満喫し、旧東海道へと引き返す。

スタートから12キロ、東海道へカムバック。すると、久々にくっすんの付け根が痛みだす。「なんでビーチまでいったんや・・・。」と後悔する。

 

CM明け・・・午後1:30、神奈川県茅ケ崎市。湘南の海から、旧東海道へと戻ってきた河田とくっすん。

 千ノ川に架かる鳥井戸橋を渡り、

スタートから12.5キロ、『東海道 南湖の左富士之碑』に到着。江戸から東海道を西へ進むと、東海道の北側にある富士山は、通常旅人の右側に見える。ところがどっこいあら不思議、南湖の左富士では左側に見える。

 広重の『五十三次名所図会』の浮世絵にも、『藤澤 南湖の松原左り不二』という左富士が描かれている。

 

 千之川の下流方向に左富士がどっかりと見えるはず・・・なのだが、今回はお天気の関係で目を凝らせどもまったく見えない。

 南湖では、旧東海道を北西に進むので、富士山が左側に見える。旧東海道で左富士が拝めるのは、南湖と静岡県富士市の2ヶ所だけ。

 

 神奈川県茅ケ崎市から平塚市へ入る。500メートルを超える巨大な橋を渡って、相模川を渡る。

 

 昼食を済ませ、

午後2:40、平塚市の市街地へやってくる。

スタートから16キロ、JR『平塚駅』近くの『湘南スターモール商店街』を歩く。平塚市は七夕祭りが有名で、仙台の七夕祭りに匹敵するぐらい大規模に開催される。7月7日あたりの3日間に開催され、約150万人が来場する『湘南ひらつか七夕まつり』。

 

 『まちかど広場』に行ってみると、早くも七夕の飾りつけがされている。

 毎年オーディションで、3人の織姫様が選ばれている。その中のお二人が、広場に来てくれた。

 

 お二人に、『湘南ひらつか 織姫』の活動内容をうかがう。

 七夕まつりでは、パレードに参加したり、ステージで七夕のPRをしたり。

 まつり以外では、市外のイベントに参加して平塚の観光パンフレットを配布したり、ラジオやテレビで平塚のPRをしたり。

 

 ゼニ大好きのくっすんは、「ちなみにギャラ、どれくらいもらうんですか?」と聞いてみたり。河田アナがお金のためにやっているわけではないのだよ、とうまくまとめておいて、「ちなみに、ちょっとくらいもらえるんですか?」と聞いてみたり。

 笑ってごまかすしかない、純粋な織姫様を困らせてはいけないよ。

 

 七夕まつりでは、織姫を先頭に1000人以上が踊る『千人踊り』。河田とくっすんは、織姫さんの踊りを見ながら、見よう見まねで踊ってみた。

 織姫のお2人に、平塚宿の通行手形を書いてもらう。裏には、「七夕まつりでおまちしてます☆☆」と有り難い添えてもらい、平塚宿の通行許可をいただく。

 

午後3:15、スタートから17キロ、目標地点の平塚宿[江戸見附]に到着。平塚宿はかつて東西1.5キロに本陣や旅籠など200軒以上の建物が建ち並んだ。しかし、第2次世界大戦の空襲により、古い建物はほとんど焼失した。

 

 平塚宿を移動していると、広重の浮世絵に描かれている、もっこりとした山・高麗山(こまやま)が見えてくる。さらに、平塚宿の書かれた場所まで、もう少し歩く。

 

午後3:45、スタートから18キロ、平塚宿[京方見附]に到着。平塚のボランティアガイドの吉川さんに、平塚宿の浮世絵についてうかがう。

 高麗山の丸さと富士山の尖りを強調して、対照的に描いている。現在は建物(ダイハツさんの販売所)があって富士山は見えなくなったけれど、浮世絵の場所から来たへ行くと、今も高麗山と富士山をいっしょに見ることができる。

 

 昔は東海道を歩いていると、高麗山が真正面に見えた。夕刻・黄昏時ならば、「あの山越えるのは大変だから、ここで泊まっていきなさい。」と客を引いた。実際は高麗山をそれるので、ちょっとしたウソ

 こうして、東海道五十三次・7宿目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート: 神奈川県藤沢市・藤沢宿[遊行寺] → 遊行寺橋 →『伝義経首洗井戸』(1km)  → JR『茅ヶ崎駅』  サザンビーチちがさき海水浴場』(10km) → 『東海道 南湖の左富士之碑』(12.5km) → 昼食 →『湘南スターモール商店街』 (16km) → 『まちかど広場』→ 目標地点:平塚宿[江戸見附] (17km) → 平塚宿[京方見附] (18km) ※【くっすんの寄り道で距離増】

 

 

 

【8宿目】 2019年07月04日(木)放送


旅の内容:●平塚宿  大磯宿▲曽我兄弟のあゝ無情?!■大磯宿の浮世絵にこめられた思ひ★日本初の海水浴場で潮湯治?!

スタートは神奈川県平塚市・平塚宿[京方見附]。目標地点は神奈川県大磯町・鴫立庵。約5キロのコース。

午前8:30、神奈川県平塚市にある、平塚宿の京方見附からオープニング。薄曇りでヒンヤリしている。

 さっそく、河田アナのお便りコーナーで、京都市の男性から。

 「今回の東海道五十三次のテーマのひとつは、歌川広重の描いた浮世絵の場所が、今どうなっているかということで、バラエティ豊かに歴史街道を歩いておられますね~。送付いたしました本・『東海道』には、浮世絵とほぼ同じ位置から写したと思われる、大正時代の写真があり、番組を進めるうえでひとつの参考になるかと思います。」

 

 頂いた本は『東海道ー東海道五十三次 広重と大正時代の写真ー』で、見開きのページの、左側に広重の浮世絵が、右側に大正時代に撮影された写真が、同じアングルで載っている。令和の平塚宿にて、平塚宿のページを開いたので、江戸時代と大正時代を合わせ、3つの時代の平塚宿が並んだ。

 

午前8:40、神奈川県平塚市から大磯町へ入る。

 

 高麗山を横目に、

スタートから0.7キロ、東海道沿いにある、善福寺に到着。1229年に平塚入道が創建された。入道は、日本三大仇討ちのひとつ・『曽我物語』の主人公である曽我十郎と、虎御前の子供である。

 

 境内にて、河田アナが『曽我物語』のあらすじを語る。

 鎌倉時代のお話し、曽我十郎(兄)と曽我五郎(弟)という兄弟がいた。曽我兄弟の父・河津祐泰は、工藤祐経と領土争いをしていた。ある日、祐泰は祐経の家来によって、弓矢で暗殺された。父を亡くしたとき、まだ幼かった兄弟は、ずいぶん苦労したそうな。

 暗殺から17年後、曽我兄弟は父の敵・工藤祐経を討った。しかし、十郎はそのとき討ち死にし、五郎も捕まって打ち首にされた。

 

 そんな悲しいストーリーを聞いていて、くっすんの頭の中ではアン・ルイスさんの『あゝ無情』の曲がずっと流れているという。『曽我物語』のストーリーにマッチしているのか、分からない河田アナ。

 

 同じ場所で、ご住職の伊東さんに『曽我物語』の背景についてうかがう。

 この物語を語り継いだのが、十郎の恋人で平塚入道の親である、虎御前。善福寺から東海道をちょっと西にいったところにある化粧坂(けわいざか)、虎御前はそこの遊郭の遊女であった。

 曽我兄弟は工藤祐経の情報を得るため、大磯の遊郭を度々訪れた。十郎はそこで虎御前と出会い、恋仲になった。

 

午前9:20、化粧坂を上る。名前の由来は、坂のそばにある『化粧井戸』で、虎御前が化粧していたとされることから。

 化粧井戸の前で、青い千鳥柄の着物を着た曽我十郎と、赤い着物を着た虎御前の浮世絵を、フリップで紹介する河田アナ。

 

 アジサイを横目に化粧坂を西へ歩き、

スタートから2キロ、大磯宿[江戸見附]に到着。江戸時代に大磯宿は、長さ1.3キロに大名などが宿泊する本陣3つ、旅籠が60件以上あったといわれ、東海道の宿場町としてにぎわった。

 

 大磯のガイドの杉本さんに、大磯宿の浮世絵について話しをうかがう。

 浮世絵の中で降りそそいでいる激しい雨は『虎が雨』といわれて、虎御前の涙雨とされる。曽我十郎の命日である、旧暦5月28日に降る雨は、俳句の夏の季語にもなっている。

 さらに、手前にいる馬の腰に青い着物がかけられているのは、曽我十郎の青い着物を暗示している。広重の粋なはからいで、十郎の形見の小袖が描かれた。

 

 ガイドさんの軽妙なトークを聞いて、「お上手ですね、純子さん。」と褒めるくっすん。

 

午前9:50、東海道をちょっと南へそれて、海水浴場へ向かう。

 

スタートから3キロ、サーファーで賑わっている、大磯海水浴場に到着。明治18年に整備された、日本で最初の海水浴場。

 この海水浴場を作ったのが松本良順という医者で、江戸時代末期には徳川家茂慶喜に仕えた。明治時代に、名前を松本順と改めた。

 

 当初の海水浴場の浮世絵を見てみると、多くの人で賑わっている。海の中で、つき立てられた長い棒に掴まっている人が、気になるくっすん。

 そこで、「(当時の海水浴を)再現してもらいます、くっすんに。」と切り出す河田アナ。

 

CM明け・・・大磯海水浴場、昔の海水浴を再現するくっすん。実況は河田直也、解説は大磯ガイド協会・小松次夫でお送りします・・・。

 昔の海水浴は遊びじゃないのよ、健康増進病気治療のために開設された。海水浴を、潮湯治と呼んでいた。

 

 DJ風タレント44歳のくっすん、満を持して白いフンドシ一丁で登場。砂浜で準備運動してから、海へ1歩2歩と入っていく。たるんだ背中が印象的だと軽くディスる河田アナ。

 

 くっすんは、海に刺さった棒(物干し竿)を目指す。当時は岩場に棒を差して、それに掴まって海水浴した。潮流で体に刺激を与え、皮膚病や神経痛などの治療をはかった。

 棒にしがみつくくっすん。すると、海辺に赤いフンドシの男が2人登場(番組スタッフ)。明治時代には、海水浴客をサポートしたり救助するため、水泳の上手な男が各海の家から選ばれた、通称赤フン?

 

 波でもみくちゃになって沈んだくっすんを、赤フン2人が助けに向かう。そして、無事レスキュー完了。

 潮湯治を資料でしか知らなかった小松さんは、今回の再現を実際に見て、「こりゃ、すごいな。」と感じて今後のガイドに使わせてもらうとのこと。やった甲斐があったと2人。

 

午前11:30、潮湯治を終えて、身も心もすっきりしたとくっすん。

 高波で体力を消耗したようで、海水浴場に隣接する、『めしや大磯港』にて昼食。河田アナは『刺身定食(ヒラスズキ・ワラサ・生しらす・アジ・シメサバ・クロダイ)』を、くっすんは『黒ムツ定食』を食べる。ちなみに、くっすんはムツゴロウさんが好きらしい。

 

午後1:30、大磯港のとなりにある、照ヶ崎海岸を歩いていると、望遠レンズのカメラでアオバトを撮影しているおとうさんに出合う。岩場に潮水を飲みに来る姿を狙っていると話しを聞いていたら、ちょうどアオバトが飛来してきたので、シャッターチャンスだと急かす河田アナ。

 

 照ヶ崎海岸は、日本で数少ないアオバトの集団飛来地で、海岸が神奈川県の天然記念物に指定されている。

 シャッターチャンスは逃したけど、波しぶきをバックにアオバトの写真を撮りたい。

 

午後2:10、旧東海道へ戻る。

スタートから5キロ、目標地点の鴫立庵(しぎたつあん)に到着。1664年に草庵が建てられ、今も残る貴重な歴史的建造物。現在は俳句道場として知られ、落柿舎(きょうと)と無名庵(滋賀)とともに、日本三大俳諧道場の1つに数えられる。

 

 室内で、鴫立庵俳句会の代表の若園先生にお話しをうかがう。鴫立庵では月1回、ベテラン20人ぐらいで句会を行っている。

 年に1度、地元の小・中学生が俳句を投句し、優秀作品を選出している。選ばれた作品を読んで、情景が目に浮かぶと感心する2人。かえって大人より上手いと先生。

 

 そこで、「はい。」と威勢よく挙手するくっすん。俳句は得意中の得意と豪語して、強引に一句詠む。「潮湯治 なんか似てるね 塩麹」と読むと、二の句が継げない先生。河田アナと視聴者の大方の予想通りの展開で、時が止まった(上手い句を詠んで絶賛されるパターンも、まれにある)。

 今日の取材で知った潮湯治という言葉を、どうしても使いたかったようだと河田アナが注釈を入れる。『潮湯治』という言葉は古いので『海水浴』とか『泳ぎ』とかを用いた方がよいが、そうすると塩麹が利かなくなってくると、先生の感想。

 

 最後は、先生に大磯宿の通行手形を書いてもらう。手形の裏には、『高麗山 樹々うつうつと 虎が雨』と一句添えていただく。くっすんの頭には、高麗山はおっぱいのような山だとイメージが刷りこまれている・・・。平塚宿の高麗山と、大磯宿の虎が雨が盛りこまれた、『東海道五十三次』にもってこいの句。

 こうして、東海道五十三次・8宿目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート: 神奈川県平塚市・平塚宿[京方見附] → 善福寺 (0.7km)  → 化粧坂  大磯宿[江戸見附] (2km) → 大磯海水浴場 (3km) → 昼食:『めしや大磯港』→ 照ヶ崎海岸 → 目標地点:鴫立庵 (5km)