MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』13宿目~14宿目のまとめ。
【13宿目】 2019年09月05日(木)放送
旅の内容:●沼津宿 → 原宿▲牧水の愛した千本松原■トイレの神様にお願い★富士山はいずこ?!
スタートは静岡県沼津市・沼津深海水族館。目標地点は静岡県沼津市・原宿の浮世絵が描かれた場所。約12キロのコース。
午前8:30、静岡県沼津市にある、沼津港深海水族館からオープニング。深海をゆらりと漂う魚のように、くっすん登場。
まずは歌川広重の東海道五十三次・原宿の浮世絵をフリップで確認する。旅人のバックに、大~きく富士山が描かれている。浮世絵が描かれた場所である、原宿の少し先まで歩く。
ロケ日の天気予報は晴れで、今日こそは富士山とご対面だと期待する2人。
スタートから1キロ、『沼津市若山牧水記念館』に到着。若山牧水記念館では、牧水ゆかりの品々を300点以上展示している。
若山牧水は、明治から昭和にかけて活躍した歌人で、生涯で約9,000首の短歌を詠んだ。
スタッフの大島さんに、館内を案内してもらう。
牧水の一番代表的な短歌が書かれている掛け軸を拝見、『幾山河 こえさりゆかば 寂しさの はてなむ國ぞ けふも旅ゆく 牧水』。
牧水の歌は、比較的平易な言葉を使ってリズムがあり、共感を得ている。
この歌を詠んだ頃はちょうど好きな人がいて、「本当にこの人は、僕のことが好きなんだろうか?どう思っているだろう?」という不安があったとのこと。
それを聞いて、「すっごい分かります。」と共感するくっすん。くっすんの場合、朝パッと目覚めてまず最初、奥さんに「(僕のこと好き?)」と確かめる。河田アナが「うっとおしいでしょ。」と大島さんに共感を求めると、「すごいですね~、まあ~うらやましい。」と返ってくる。
牧水はたくさんの恋の歌を詠み、大学時代の恋人との恋愛を歌った短歌を多数掲載した、歌集『別離』を明治43年に発表した。等身大の恋愛観が若者を中心に共感を呼んで大ヒットして、牧水は全国的な歌人となった。
別離の中で、恋人の小枝子さんを想って詠んだ歌がこちら。『わが小枝子 思ひいづれは ふくみたる 酒のにほひの 寂しくもあるかな』。この歌にも、共感するくっすん。牧水の歌に触発され、「短歌がもう、あふれんばかりに今湧いてきてます。」と豪語する。
せっかくだから、くっすんが奥さんに対する思いをしたためる。そして、発表。『振り返ると いつも千絵が 笑ってくれた 千絵だけ見つめて 千絵に真実愛(TRUE LOVE) くっすん』。
「TRUE LOVE言うてもうてるやん。全部パクッてるやん。」とツッコむ河田アナ。「(歌詞をパクッてるけどスタジオの藤井)フミヤさんは、たぶん、良いって言ってくれると思う。」とくっすん。
午前9:55、スタートから1.5キロ、牧水も愛したという景勝地、千本松原を歩く。鎌倉時代にはあったとされ、たくさんの松が並び立つ。牧水は、晩年に千本松原の近くに移り住み、毎日散歩をした。
現在も松の木が増殖中で、駿河湾沿い約10キロに30万本以上生えているとみられる。
千本松原の松に囲まれながら、河田アナのお便りコーナー。兵庫県丹波市の60代男性から。
『今から40数年前、私は三島市で1年間、学生生活を送っていました。当時の友達と、よく沼津の千本浜海岸へ行きました。海岸沿いに松並木があり、その先に富士山がそびえ、富士山など絵でしか見たことのない私は、感動で興奮したことを今でも覚えています。その後東京へ移って以来、千本浜海岸へは訪れることもないまま、60歳を過ぎてしまいました。沼津を通られたら、ぜひ千本浜海岸へ寄って、もう一度見せていただければとお便りしました。よろしくお願いします。』
千本松原のすぐそばにある、千本浜海岸へ立ち寄る。ここまでの道中、幾度とあった富士山ビューポイントで、一度も富士山を拝めていない2人。海岸で、女の子をだっこした地元の女性に、富士山がどっちの方角に見えるか尋ねる。女性が指さす方を見やると、案の定白い雲がかかって、富士山は隠れんぼ。
富士山の度重なるお預けに、フンマンが爆発するくっすん。「富士山のバカ~。」と突如海岸で走りだす。
河田アナもビックリしちゃったけど、ビックリさせちゃった女性に、くっすんの代わりに謝罪した。
ダッシュして気が済んだのか、遠くで座っているくっすん。河田アナは呼び戻し、くっすんが戻ってくる間に、「最近ホントね、わけわからない行動が多いんですよ。家庭がうまくいってないのかな?」と視聴者に語る。
旧東海道へ戻り、
午前10:45、スタジオゲストの藤井フミヤさんの話題になる。河田アナはちちんぷいぷいで何年も前に、フミヤさんにインタビューしたことがあり、初めて男の人が色気あるなと感じたとのこと。
そしてなんでか、2人でいっしょに『TURE LOVE』を熱唱しだす。
熱唱しながら歩くこと20分、
午前11:25、スタートから6キロ、トイレの神様を祀っている、祥雲寺に到着。1588年に創建された、東海道沿いのお寺。
ご住職の永田さんに、境内のトイレに案内してもらう。
男・女トイレに行く前の部屋には、トイレの神様・『烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)』の、コワモテな像が祀られている。烏枢沙摩明王は炎・火の神様で、人々の穢れや煩悩を焼く尽くす。
昔からトイレは不潔な場所で、怨霊の侵入口とされていた。烏枢沙摩明王がトイレにやってくる怨霊を焼き払い、人々を守るといわれる。
祥雲寺で2006年にトイレ[東司]を新築した際、烏枢沙摩明王の像を祀った。明王像の前には、トイレの便座を模した椅子があり、そこに座ってお参りする斬新なシステム。
まずは河田アナが便座型椅子に座って、お参りする。
続いてくっすんの番。烏枢沙摩明王は”下の病気”・”夫人病”にご利益があるといわれ、切れ痔を治してくださいと真剣にお願いする。お参りが済んだ直後、「すごくお尻が楽になりました。」と言って、「ウソ言うな。」と河田アナにツッコまれる。
CM明け・・・午後1:55、静岡県沼津市。お昼ごはんを済ませ、東海道を西へ歩く。
スタートから8キロ、地元の方に富士山がどれくらいの確率で見えるのかうかがう。「そこに見えますよ。」と指さす方角を見ると、住宅のかげに隠れて、富士山の先っちょだけおぼろげに見える。2人の気づかぬ間に、富士山が見えるようになっていた。
この調子なら富士山が全部見えるかもと期待しながら少し歩き、
原宿に到着。原宿は東海道の中でも規模の小さい宿場で、現在は当時の面影は残っていない。
原宿から隣の吉原宿の間に、『浮島ヶ原』と呼ばれる湿地帯があった。原宿の”原”は浮島ヶ原の”原”に由来しているとされる。
原宿から歩くこと40分、
午後2:40、スタートから12キロ、目標地点の『原宿の浮世絵が描かれた場所』に到着。
原・浮島のガイドの内藤さんに、広重の原宿の浮世絵についてうかがう。
江戸時代は、旧東海道と富士山の間に浮島ヶ原があり、視界を防ぐモノがなかったため、この辺りからの富士山の景色は東海道随一だったみたい。
浮世絵では富士山のデカさを表すために、頂上が絵の枠から飛び出ている。
現在では、浮世絵が描かれた場所から富士山の方向を見ても、家が建ち並んで見えない。
東海道を離れて北へ700メートルほど歩き、現在でも富士山が綺麗に見えるビューポイントまで案内してもらう。
だがしかし、先ほどまで見えていた富士山は、またもや雲にかくれんぼ。内藤さんによると、この十日間はほとんど富士山が見えてなくて、ロケ日にたまたま顔を出したのでラッキーだと思っていたのだが、2人の間が悪かった。
来週はココからスタートなので、朝イチの富士山が見られることを期待する。
最後に、内藤さんに通行手形を書いてもらい、原宿の通行許可をいただく。
こうして、東海道五十三次・13宿目の原宿への旅を無事終えた。
■簡易チャート
スタート: 静岡県沼津市・沼津深海水族館 →『沼津市若山牧水記念館』(1km) → 千本松原 (1.5km) → 千本浜海岸 → 祥雲寺 (6km) → お昼ごはん → 原宿 (8km)→ 目標地点:『原宿の浮世絵が描かれた場所』 (12km)
【14宿目】 2019年09月19日(木)放送
旅の内容:●原宿 → 吉原宿▲とっても悲しい三股の伝説■毘沙門天様の空飛ぶ靴?!★移動する宿場?!
スタートは静岡県沼津市・『原宿の浮世絵が描かれた場所』。目標地点は静岡県富士市・吉原宿。約9キロのコース。
午前8:00、静岡県沼津市にある、歌川広重の『原宿の浮世絵が描かれた場所』からオープニング。朝から夏が戻ってきたような暑さで、ロケ日の予想最高気温は34℃。
2人が後ろを振り向けば、本来だと見えてるはずの富士山は、やっぱり雲に隠れている。「見えないのにだんだん慣れてきました。」と、半ば諦めの気持ちの河田アナ。
スタートから1キロ、静岡県沼津市から富士市へ入る。「富士市に入った~。」と大声で叫ぶくっすん。2人はそばにおられた方に、大きな声出してすみませんと謝る。
スタートから2キロ、三股の伝説が語り継がれる、六王子神社に到着。本殿の前で、河田アナがその伝説を語りだす。
プロローグ
安土桃山時代に7人の巫女が修行のため、千葉から京都へ向かっていた。静岡界隈のお茶屋さんで休憩していたところ、なにやらその村の雰囲気が怪しさプンプン。
村人に話しを聞くと、ここから西へ少し行ったところに、三股淵とよばれる、3つの川が合流する地点があり、災いを防ぐために12年ごとにイケニエを大蛇にさしだしているという。
そのイケニエはクジで決められるルールで、たまたま居合わせた7人の巫女も、理不尽なことに強制的にクジを引かされた。7人の巫女で最も若い阿字(あじ)という女性が、イケニエに選ばれてしまった。残りの6人は、事態を知らせるため急いで国(千葉)へもどろうとした。
伝説のクライマックスは、富士市役所の井上さんに語っていただく。
6人の巫女は『お阿字を見捨てて国へ戻るわけにはいかない。』と、北にある沼に身を投げた。
そんな悲劇を聞いて、くっすんに「もし僕がお阿字やったら、河田さんどうされます?」と問われ、「帰ります、神戸(国)に。」と即答する。
一方、イケニエになる当日、地元の僧侶によって大蛇が退治されたために、阿字は命拾いした。そして、6人の巫女が身を投げた事実を知らされる。私一人では国に帰れないと、阿字も身を投げた。
そんなこんなで地元の人たちは、三股淵付近の阿字神社に阿字を祀り、六王子神社に6人の巫女を祀った。
午前9:40、三股の伝説の悲劇に浸りながら歩く。
軽トラックの荷台に野菜や果物を乗せて、移動販売しているおとうさんに出合う。巨峰を見て、「ブドウ買いたい。」とくっすん。
移動販売を始めて60年くらいで、現在85歳。河田アナがしんどくないかと聞くと、「それが常識だから、慣れてる。」と、深いお言葉を頂戴する。
くっすんがどうしても食べたいという巨峰(山梨産)を買って、食べながらしばしの休憩をとる。
スタートから4.5キロ、『ようこそ元吉原へ』の看板を見つける。もと・吉原とは?、河田アナがフリップの地図で解説する。2人は東海道を歩いて、現在元吉原宿にいる。平たく言えば、吉原宿が移動している(くっすんもビックリ)。
1601年に東海道が整備された頃、元吉原に宿場があった。しかし、海が近く高潮などの影響をうけるので、1640年頃には内陸部へ移転した(中吉原宿)。だがしかし、その宿場も1680年に高潮により壊滅的な被害をうけ、さらに内陸へ移転した(新吉原宿)。
町の掲示板に貼ってある、綺麗に写った富士山の写真を見て、「こんな絵がほしい。」と嘆くくっすん。現在、東海道の中で最も富士山に近い場所を歩いている。
どうしても富士山が見たい2人は、とある民家のお庭で、2つの富士山を発見する。それは、富士山の塗装が施してあるカラーコーン。騒いでいたら、お家の方が出てこられたので、富士山に全然お目にかかれないところ、ちょうどお庭で富士山を見つけたことを伝える。
世界遺産になって富士山グッズがいっぱい作られたけど、買おうと思ったら良いものがなくて、通信販売で買った。そして、実は富士山に登ったことはないとのこと。富士山の近くに住んでいる人は、いつでもお庭みたいに富士山が見られるので、登っていない人も結構いるらしい。
スタートから5キロ、異国情緒あふれる、毘沙門天妙法寺に到着。
本殿前にある、龍神香炉堂の前で、ご住職の高橋さんにお話しをうかがう。
毘沙門天妙法寺は、聖徳太子が作ったとされる毘沙門天を祀っている。
先代の住職(父親)が大学の先生で、仏教の歴史を教えていた。何十回も外国へ行って調査を行った。そこで、その土地その土地で自分が感動した仏教の遺跡を、自分のお寺で再現しようとした。だから、中国・パキスタン・ネパールと様々な様式の建物を境内に散りばめた。
2人は先代住職の行動力や斬新な考えに感心するが、ご住職は先代住職にとてもついていけないと、身もフタもないことをおっしゃる。何が大変かといえば、参拝者の皆さんに説明するのが大変。毎日同じ説明を繰り返しているとのこと。
ご住職に案内され、境内にある毘沙門天の『くつ石』を参拝する。昔から自然にある、靴の形をした大きな石で、山伏や東海道を歩く旅人が健脚を祈願した。最近では、足を使うスポーツ選手の祈願も多く、Jリーグの清水エスパレスの方々が毎年シーズン開幕前に祈願する。
くつ石は、インドで毘沙門天が悪い者を懲らしめようと蹴っ飛ばした際に、飛んでいった靴だと伝わる。
東海道五十三次を無事最後まで歩けるよう祈願し(くっすんは付け根の健康も)、お寺を後にする。
CM明け・・・午前11:50、気温34℃の真夏日でバテバテ。
スタートから7.5キロ、『名勝左富士』の石碑前に到着。広重の描いた吉原宿の浮世絵では、松並木を間を進む、京都方面へ向かう馬に乗った旅人と、左側に見える富士山が印象的。東海道を東から西へ歩いた場合に、左側に富士山が見えるのは、神奈川県茅ケ崎市にある『南湖の左富士』と、この場所のみ。
吉原宿が2回内陸部へ移転したため、東海道が一旦北上するルートに変わった。名勝左富士では、道が北東へ向いているため、富士山が左側に見えるようになった。
石碑の前で、富士市立博物館の館長・木ノ内さんにお話しをうかがう。
本来は富士山が見えている方向には・・・、や~っぱり厚い雲が邪魔している。この展開には、慣れっこの2人。
でも、キレイにくっきり写っている、現在の名勝左富士の写真を見て、富士山が見られない悲しみがこみ上げてくる河田アナ。建物や電柱・信号機などが建って、浮世絵の面影がほとんどなくなったけど、1本だけ残った松の木と富士山は昔のまま。
大正時代の頃の名勝左富士の写真を見ると、松並木がたくさんあって、富士山の前に建つ建物もないので、浮世絵の雰囲気にかなり近い。
昔の旅人は方位磁石を持っているわけでもないので、進んでいる方角も分からないまま歩いた。いままで右側に見えていた富士山が、突然左側に見えたのでビックリしたであろう。それで、吉原と言えば左富士というくらいブレークした。
館長さんに通行手形を書いてもらい、吉原宿の通行許可をいただく。
館長さんとお別れして、
午後1:10、一番新しい吉原宿を目指していると、空一面すっかり雲で覆われている。『ここまで曇れば諦めもつく。来週こそは・・・(富士山を見よう)。』と決まり文句を言う河田アナ。
スタートから9キロ、目標地点の吉原宿[新吉原宿]に到着。高潮などの影響で、2度移転した吉原宿。1680年頃にこの地に落ち着き、新吉原宿と呼ばれるようになった。江戸時代後期には、旅籠が約60軒立ち並んで賑わった。
現在は商店街(吉原商店街)となっている。吉原宿の案内板を見ると、2人はちょうど本陣のあった場所にいる。
こうして、東海道五十三次・14宿目の吉原宿への旅を無事終えようとした・・・。が、道路を挟んで向かい側のお店、の前にある『富士 つけナポリタン』のノボリが気になっていたくっすん。視聴者の皆さんも興味があるだろうと理由をつける、くっすんの食いしん坊パワーに押され、急きょ取材することに・・・。
『cafe sofarii』にて昼食。河田アナ・くっすんともに、『つけナポリタン』を食べる。中華そばっぽい麺を、牛すじのトマトベースのソースにつけていただく。富士市のご当地グルメ・つけナポリタンの発祥は2008年頃で、地元の給食でも出される。
ご当地グルメに舌鼓を打ちながら、東海道五十三次・14宿目の吉原宿への旅を無事終えた。
■簡易チャート
スタート:静岡県沼津市・『原宿の浮世絵が描かれた場所』→ 六王子神社 (2km) → 元吉原宿 (4.5km) → 毘沙門天妙法寺 (5km) → 『名勝左富士』の石碑 (7.5km) → 目標地点:吉原宿 [新吉原宿](吉原商店街) (9km) → お昼ごはん:『cafe sofarii』

