MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』19宿目~20宿目のまとめ。
【19宿目】 2019年11月28日(木)放送
旅の内容:●江尻宿 → 府中宿▲石垣で作るいちご?!■弥生式?!くっすん★家康公終の住処で発掘調査
スタートは静岡県静岡市駿河区・久能山東照宮。目標点は静岡市葵区・府中宿[駿府城]。約13キロのコース。
午前8:00、静岡県静岡市駿河区久能山東照宮からオープニング。朝から快晴で、暖かい日差しが心地よい。
久能山内で、『石垣いちご発祥の地』の碑を見る。そこから振り返ると、ビニールハウスがたくさん並んでいるのが見える。
久能山の石段を下りて、
午前8:15、スタートから0.2キロ、『早川農園』さんを取材する。
3代目の早川栄美さんに案内され、ビニールハウス内にある石垣いちごの畑へ移動する。なんと珍しいことに、石垣を組んで、その隙間にいちごの苗を植える栽培方法で作っている。
1896年に久能山東照宮の宮司が、いちごの苗を神社の車夫に与えた。そのいちごを植えると、畑の真ん中よりも石垣近くの方が、成長が早いことに気付いた。
そこから、石垣の隙間に苗を植え、早い時期に収穫する栽培方法が久能地域に広まったとされる(諸説あり)。
南向きに石垣を組むことで、太陽光の熱をたくさん吸収できる。熱を吸収した石垣は、暖かく冷めにくくなる。久能地域では『いちご』の語呂で、1月~5月が食べ頃。
早川農園さんでは、元旦からいちご狩りを体験できる。
まだ、いちご狩りには時期が早いので、
お店にもどり、フローズンいちごをいただく。冷凍した食べ頃のいちごに、練乳をかけたもの。いつもどおり、知覚過敏で悶絶するくっすんに、「はよ歯医者行きなさい。」とツッコむ河田アナであった。
2人が散歩中のビーグル犬と飼い主さんを見ていると、車に乗った男性から、写真を頼まれる。出身は静岡で、東大阪に10年ぐらいずっと住んでいて、家業を継ぐため実家にもどってきた。関西にいた頃は、ちちんぷいぷいをよく見ていたとのこと。
午前10:40、スタートから7キロ、住宅地の真ん中にある、登呂遺跡に到着。弥生時代後期の住居遺跡で、日本で初めて発見された水田跡を含む。1943年に、軍事工場建設のため、地面を掘り返してときに発見された。
竪穴住居や高床倉庫が復元された。
学芸員さんの梶山さんに、遺跡の中を案内してもらう。
まずは、竪穴住居の中を見学する。中に入ると、外から見たより広く感じる。竪穴住居1軒に4~10人が生活していたとされ、登呂遺跡全体で100人ほどの集落だと考えられている。
「スタジオに行ったら、南光さんに怒られるとかいうこともないじゃないですか。」やら「僕はほんま、こういう所で生きていきたい。」やらと、弥生時代のナチュラルな生活に憧れるくっすん。
そんなくっすんのために、登呂遺跡博物館内で古代人の服装に着替えてもらう。しかし、着替えようとした矢先、スタッフさんに呼ばれる2人。
急かせるスタッフさんの後を追いかけ、博物館の屋上へ出ると、真っ青な快晴の空の下、雄大な富士山の全体がくっきりはっきり見えて、大感動。弥生人も、富士山を見て感動していただろうなと想像する2人。
スタッフさんが屋上から登呂遺跡の全景を撮影していたところ、偶然富士山を発見したのだ。
CM明け・・・午前11:15、静岡市登呂遺跡。弥生時代の服装にチェンジしたくっすん。ほぼ布一枚着ているだけなので、寒くて「ハクション!」。布の中央に穴を開けて、頭からかぶる貫頭衣。寒い時期は、鹿などの動物の毛皮を着ていたんじゃないかと梶山さん。「毛皮用意してくださいよ。」と寒さに震えるくっすん。
水田に向かい、石包丁で稲刈りを体験する。見た目よりも鋭利で、さくさく稲を刈るくっすんだが、「ただ、寒いです。」と鼻をすする。
続いて、古代の火起こし体験。まいぎり式の火起こし器を使って、先生の指導に従い、ハンドルを押しては上げの繰り返し。しばらく繰り返すと、煙が出てくる。すると、テンションがあがり、奇声を発しながらスピードアップ。
がんばること3分、種火ができる。種火にかんなクズをのせてフーフー空気を送り、火がついて大喜びするくっすんと、祝福する河田アナ。
古代人体験の締めくくりは、弥生土器で炊いた、古代米の試食。蒸らしを入れて1時間かけて炊いた、赤いご飯をいただく。その味は、甘くて意外に美味しいと2人の感想。体験に来た子供たちにも、好評とのこと。
午後0:10、登呂遺跡を後にして、旧東海道を目指し、北へ歩く。
旧東海に合流してすぐ、
午後1:15、スタートから12キロ、府中宿に到着。府中宿は、本陣2軒・脇本陣2軒・旅籠43軒が建ち並び、人口約1万4000人の規模を誇った。
午後1:30、スタートから12.5キロ、『静岡おでん おがわ』にて昼食。
3代目女将の小川光枝さん曰く、しずおかおでんではなく、『しぞーかおでん』と発音する。昭和23年の創業以来、牛すじと醤油を継ぎ足した、濃厚なお出汁を使っている。
戦後の物のない時代、それまで処分していた牛すじなどを、しょう油と煮込んで出汁をとり、静岡の漁港で作られた練り物を具材にして、静岡おでんが広まったといわれる。
おがわさんでは、全ての具材が串に刺さっている。黒はんぺんは、イワシとサバをすり身にした練り物で、真っ黒な色をしている。
静岡おでんではお皿にスープを入れず、イワシとサバでできた魚粉と青のりをかけて食べる。
牛すじと黒はんぺんを食べてから、3代目女将にインタビューする河田アナ。
静岡の人は子供の頃から、駄菓子屋さんでおでんを食べていた。おがわさんも元々駄菓子屋さんで、コンビニがでてきた頃から駄菓子屋さんを辞めた。
かつては、静岡市内に100軒を超えるおでん屋台があった。現在でも、おでん屋さんが集まる、おでん街が残る。
また、2019年9月に、あべのハルカスの近鉄百貨店の催事に出展した際、3代目の、娘さん・長男の嫁さんが大阪に来ていた。お2人に大阪の印象をうかがう。
大阪人に静岡おでんが受け入れられるか心配だったけど、大阪で食べて静岡出張のときに寄ってくれた方もいた。そして、大阪で値切られたりしなかったとのこと。
午後2:50、駿府城の門を通り、
スタートから13キロ、駿府城[家康公銅像前]に到着。徳川家康は息子・秀忠に将軍の座を譲り、1607年に江戸から駿府城に移って、そこで生涯を終えた。
駿府城は火災などで失われ、現在は公園になっている。門や櫓の一部だけ、復元されている。
静岡観光交流文化局の松下さんに案内され、園内にある駿府城天守台発掘調査の現場を見学させてもらう。明治時代にお城が取り壊されて以降、天守台はずっと地面に埋まっていた。2016年からの発掘調査で、再びその姿を現した。
天守台の上にどんな天守が建っていたのか、正確な設計図が残っていないので分からないが、昔の絵から7階建てと考えられる。
発掘作業員の方にお話しをうかがう。作業員の方々は家康公が使っていた兜をイメージしたヘルメットをかぶり、後ろに葵の紋がついた作業着を着ている。
金箔瓦を発見したとき、テンションがあがったとのこと。豊臣秀吉の配下の大名が、家康の前に駿府城を築いたが、金箔瓦はそのときの遺構と考えられる。
博物館で見るようなものを発掘して、見ていただけることに、ホントにやりがいを感じている。
最後に、松下さんに通行手形を書いてもらい、お2人に府中宿の通行許可をいただく。
こうして、東海道五十三次・19宿目の府中宿への旅を無事終えた。
■簡易チャート
スタート: 静岡県静岡市駿河区・久能山東照宮 →『早川農園』(0.2km) → 登呂遺跡 (7km) → 府中宿 (12km) →昼食:『静岡おでん おがわ』(12.5km) → 目標地点:駿府城[家康公銅像前] (13km) → 駿府城天守台発掘調査の現場前
【20宿目】 2019年12月05日(木)放送
旅の内容:●府中宿 → 鞠子宿▲2人は弥次喜多?!■シンプルで美味しいお餅★鞠子宿の浮世絵から飛びだしたお店?!
スタートは静岡県静岡市府中宿・駿河城公園。目標点は静岡市鞠子宿[丁子屋]。約7キロのコース。
午前8:30、静岡県静岡市府中宿駿河城公園の、徳川家康公の銅像前からオープニング。ロケ日の朝はどんより曇り空、気温12℃で肌寒い。
今回は、鞠子宿を目指す。前回は、府中宿の浮世絵を紹介していなかったけど、ここで紹介。府中宿から鞠子宿までの道中にある、安倍川と川越の様子を描いている。
駿府城公園を出たところで、お濠沿いに『弥次さんと喜多さん』の銅像を発見する。2人が伊勢詣のため東海道を旅する様子を書いたのが、1802年に出版された、十辺舎一九作の『東海道中膝栗毛』。これが当時大ヒットとなり、人気があり過ぎて膝栗毛シリーズの執筆が21年も続いた。
せっかくだから、河田アナとくっすんの名コンビが、ちょんまげのズラをかぶって弥次喜多に扮し、寸劇をする。博識で教養は高いが、生まれつきの遊び人・弥次さん(河田アナ)。元役者で男前だがお調子者・喜多さん(くっすん)。「我ら弥次喜多、いざ東海道の旅へ。(2人)」とジャンプ(終)。
スタッフさんにやらされた寸劇だが、やったあとで「クオリティが低すぎませんか、大丈夫ですか?」と心配する河田アナ。スタッフさん曰く、2人の軽い感じが弥次喜多さんにピッタリみたい。「ほっといてくれ。」と気分を害する河田アナ。「ホンマ、ペランペランなコーナーみたいな扱い、やめてもらえます。」と、くっすんもご立腹。
午前9:30、スタートから2.9キロ、安倍川のそばにある、元祖安倍川もち『石部屋(せきべや)』を取材する。
安倍川もちは、きな粉とこしあ餡をつかった、静岡を代表するお餅。石部屋が、現存する安倍川もち店の中で、一番古くから営業している老舗。
お店の中に入ると、15代目店主の長田さんが店頭で安倍川もちを作っている。手でもちをちぎって、きな粉の桶に放りこむ作業。安倍川もちを作って30~40年とのこと。
店頭の商品サンプルを見ると、きな粉の餅に砂糖がのっかっている。元々はきな粉のみをつかったお餅だった。昔は砂糖が高価で食べられなかったが、1800年ころに静岡でサトウキビが作られ始め、安倍川もちに使われるようになった。
2人は店内で、15代目ご自慢の安倍川もちをいただく。きな粉もちにたっぷりお砂糖がのっているので、甘すぎるかと思いきや、ちょうどいい甘さと河田アナ。つきたてのお餅の食感がたまらない。
石部屋には、2019年の夏に訪れた、ピーコさんのサインが飾られている。ピーコさんはお酒好きなので、わさび醤油をつかった『からみ餅』を食べたとのこと。
15代目から弥次喜多についてのお話しをうかがう。昔はお笑いの方とか落語家がコスプレをして、弥次喜多をきどって東海道をブラリとしていたという。ただ、最近はない。
身に覚えのある河田アナが、「ちょんまげのカツラをかぶって、あんなんかぶってテレビ出る人って・・・。」と果敢に聞いてみると、「今、時代が違うからね。20年30年前くらいはあったけど・・・。」と時代遅れに認定される2人。
午前10:45、お店を後にし、
スタートから3キロ、安倍川沿いの道を歩く。安倍川は、静岡市内を流れ駿河湾に至る、全長約51キロの川。
広重の府中宿の浮世絵について、静岡観光ボランティアガイドの大橋さんにお話しをうかがう。
川沿いの道にある、浮世絵が描かれた場所まで案内してもらう。そして、浮世絵と今の風景を見比べてみる。遠くに描かれている山は、ほぼいっしょ。浮世絵の方が川の水量が多いが、今が秋なので少ないだけ。全体的に、面影がかなり残っている。
浮世絵には、いろいろなスタイルの川越が描かれている。川越のカゴに乗って渡る人、川越に肩車されて渡る人、川越に先導してもらって歩いて渡る人などがいる。
川越の案内料金は、川の水位によって変動した。胸の辺りまでの水位がマックスで、1人につき64文(現代の貨幣価値で約2,000円)。カゴに乗っているご婦人は、川越を何人も雇っているので、豪華な旅行だと思われる。
庶民な河田アナとくっすんは、自分たちだったら一番安いコースだろうなと思う。
『東海道中膝栗毛』の中で弥次さん喜多さんも、安倍川を川越の肩車で渡っている。その際、今日は川の水位が深いからと、マックス64文を要求された。仕方なく要求どおり64文払って、対岸へ渡った。到着した弥次喜多が出発するときに川の方を見ると、川越の2人が川上の浅いところを渡って帰っていった。
「実際は深いところを渡ってくれたから、まあ、インチキではないですよね。」とフォローする大橋さん。当時の膝栗毛読者も、川越あるあるとして共感したのかもしれない。
CM明け・・・午前11:35、静岡県静岡市安倍川を橋で渡る。誰とも出会う気配がない。
スタートから5キロ、弥次喜多の話しをする2人。喜多さんがちょっとおっちょおこちょいなところが、読者の笑いを誘った。
せっかくだから、喜多さんの失敗話しを再現する河田アナ(弥次)とくっすん(喜多)。鞠子宿まで、もう少しの弥次さん喜多さん。そこに、美人な女性旅人(AD小林さん)が前からやってくる。
弥次さん曰く、昔から白い手ぬぐいを頭からかぶれば、良い男に見える。女性からカッコよく見られたいと、頭に手ぬぐいらしきモノを巻く喜多さん。
しかし、すれ違いざまに喜多さんを見た女性旅人は、なぜか笑いながら通り過ぎた。なぜ笑われたか、皆目見当がつかない喜多さん。弥次さんが、頭にかぶっているモノをよく見てみるようにいって、喜多さんが確認すると、なんと白フンドシであった。
「そりゃ、頭からフンドシかぶってたら、笑われるワケだ。」と言って高笑いする弥次さんと、しょんぼりする喜多さん。と道端で小芝居していたら、後ろから来た自転車の人に、チリンチリンと鳴らされた。
午後0:55、小芝居の撮影に40分も費やした2人は、先を急ぐ。
スタートから6.3キロ、鞠子宿に到着。東京の日本橋から数えて20番目の宿場町。『丸子宿』とも表記され、東西に約740メートル・200軒の民家で約800人が住んでいた。
広重の鞠子宿の浮世絵は、宿場内で描かれたとされる。一軒の茶店がメインに描かれ、その茶店のモデルといわれているお店が、今も営業している。
浮世絵の場所へ向かう2人は、宿場内のあちこちの民家で、木製の看板が掲げられていることに気づく。
『三州屋』の看板を掲げている酒屋さんのご主人に、理由をうかがう。
看板は、屋号看板。江戸時代に旅籠・お店だった場所の家に、当時の屋号を掲げている。旅行でやってきた人に、宿場町の雰囲気を少しでも味わってもらおうとのこと。
三州屋さんは、三州瓦で有名な愛知県の高浜市から、駿府城を建てるために連れてこられたそう。その後、旅籠→質屋と商売を替え、現在の酒造店になった。酒屋を創めて111年くらい、100年ごとに商売替えをしているので、「次は何やろうかな?」とおっしゃる。
午後1:40、
スタートから7キロ、目標地点の『丁子屋』に到着。1596年に創業し、400年以上この場所で営業している。
14代目の奥さん・柴山さんにお話しをうかがう。
少し離れた場所からお店を眺めると、浮世絵とそっくり同じお店の外観で、背景の小高い山の形も一致している。浮世絵にはどこにも『丁子屋』と書かれてないが、この2点から丁子屋だといわれている。
丁子屋が昔から作り続けている、鞠子宿の名物がとろろ汁。鞠子では昔から良質な自然薯が採れたことから、とろろ汁にして提供した。
浮世絵の茶屋に、『名物とろろ汁』の看板が掲げてある。男のお客さん2人は、何か食べている様子。実は、この2人が弥次さん喜多さんといわれている。東海道中膝栗毛の中では、鞠子宿で夫婦喧嘩に巻き込まれ、とろろ汁を食べられなかった。そこで、広重さんの洒落っ気で、浮世絵の中で食べさてあげようとしたのではないか。
ぷいぷいの弥次喜多・河田アナくっすんはお店に入って、名物とろろ汁がメインの『丸子定食』を食べる。自然薯のとろろに、白みそ・かつお節・卵を加えたモノを、ご飯粒が泳ぐくらいたっぷりかけて食べる。
白みその優しいお味がちょうど良いと河田アナ。喜多さん弥次さんになったつもりで、タイムスリップした気持ちだとくっすん。
河田アナが「喧嘩されないでしょ?ご主人と。」と奥さんに聞いてみると、「喧嘩めちゃめちゃしますよ。」と即答される。
最後に、14代目の奥さんに通行手形を書いてもらい、鞠子宿の通行許可をいただく。
こうして、東海道五十三次・20宿目の鞠子宿への旅を無事終えた。
■簡易チャート
スタート: 静岡県静岡市府中宿・駿河城公園 →『弥次さんと喜多さん』の銅像 → 『石部屋』 (2.9km) → 安倍川 (3km) → 鞠子宿 (6.9km) →『三州屋』→ 目標地点 &昼食:『丁子屋』 (7km)