MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』23宿目~25宿目のまとめ。

【23宿目】 2020年01月16日(木)放送 

旅の内容:●藤枝宿  島田宿朝ラー誕生秘話?!■花嫁さんの挨拶回りとオオヤッコ川越え川留めで潤う宿場

スタートは静岡県藤枝市・藤枝宿[交番前]。チェックポイントが島田宿で、目標点は静岡県島田市・大井川。約12キロのコース。

午前8:00、静岡県藤岡市、藤枝宿にある交番の前からオープニング。交番前にある広重の藤枝宿の絵の解説看板で、前回の旅を振り返り、次なる目的地・島田宿の絵をフリップで確認する。平たく言うと、大井川を渡る人々の絵。「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」のキャッチコピーでおなじみ、東海道屈指の難所。

 

午前8:10、快調に歩きだした2人が朝一番に出会ったのが、自転車に乗ったキャップ姿の地元のおとうさん。囲碁の場所取りに行くとのこと。「碁だか四だか分かんないけどね。」と、囲碁ジョークがさく裂。

 せっかくだから藤岡市の名物をうかがうと、朝ラーメン、略して『朝ラー』がはやっているとか。

 

スタートから1キロ、午前8:20、おとうさんに教えてもらった、『朝ラー』の店に到着。まだ開店前で、お客さんが並んでいる。

 

午前8:30、開店とともにお店に吸いこまれる2人。藤枝名物『朝ラー』発祥の店・『マルナカ』にて朝ラー。河田アナ・くっすんともに温かい『中華そば』を食べる。カツオ・豚肉・昆布などでとったスープで、朝の胃袋にやさしいあっさりしょうゆ味。

 

 20~30年前からのお店のファンのおとうさんは、最初に温かい中華そばを食べてから、冷やしを食べる。通の食べ方を見習い、2人も『冷やし(中華そば)』を食べる。ワサビが入っているのが、斬新。そして、一口スープを飲めば、味の違いは歴然。とーっても甘い。

 砂糖の入っている甘口の冷やし中華ラーメンは、マルナカ初代店主が大正時代に考案した。

 

 現在、藤岡市内では約20店舗で朝ラーメンを提供している。

 お店の方に、朝ラーメンの成り立ちをうかがう。

 朝ラーメンの提供は、昭和の初めごろから。藤枝あたりでお茶の取引が、午前3:00から始まって、午前6:00ぐらいに終わっていた。早朝に仕事を終えるお茶業界の方々に、お待たせせずにラーメンを食べてもらおうと、開店時間をどんどん早くしていった結果、朝ラーメンが生まれた。「ここで働いたら、すごく健全というか、早起きでいいですね。」とくっすん。

 

 『朝ラー』×2杯で、いきなり食べ過ぎの2人。

午前9:40、

スタートから2.5キロ、江戸時代に東海道を行き交う旅人に大人気だった、名物食品を販売する『喜久屋』を取材する。喜久屋はJR『藤枝駅』前にあり、お弁当やお惣菜を販売している。

 

 店主の村松さんに、自慢の藤枝名物についてうかがう。

 店頭に黄色い御飯のオニギリが並んでいる。その名も、『染飯(そめい)』といい、クチナシの実で色づけしている。クチナシと聞いて、「渡哲也ですよね?」と返す河田アナ。どんな歌でしたっけ?と、とぼけながら、なんとなく『くちなしの花』のサビを歌いあげる。

 

 店主さんがクチナシの実を水中で割ると、水はキレイな黄色に染まる。

 クチナシの実は古くから漢方薬として知られ、足腰の疲れを癒すと旅人の評判となった。江戸時代の染飯は、うすく伸ばした小判型だった。

 

 さっそく店内で染飯をほお張る2人。格別強い味や香りがあるわけでなく、ほんのり塩味で最後に少し香りが残るくらい。

 江戸時代から続いた名物も、一時期廃れたことがあり、昭和45年頃に昔の味を再現して販売し始めた。

 

 お店を出て、ますますお腹いっぱいの河田アナ、逆にお腹空いてきたというくっすん。その言葉通り、さらに道中、『唐揚げ専門 はっぴ商店』でからあげを買ってつまむくっすん。河田アナはお腹いっぱいなので、匂いだけおすそ分けしてもらい、残りはスタッフさんが平らげる。

 

 唐揚げ屋さんの店長さんに、サインをお願いされる河田アナとくっすん。「我々のことを知っていただいているんですか?」と問うと、「ホントは知らないんですけど・・・。」と正直なてんちょうさん。

 

スタートから6キロ、静岡県藤枝市から、島田市へ入る。

 

CM明け・・・午前11:40、静岡県島田市。放送しづらい生々しい、お金の話しをしながら歩いている2人。

 

スタートから9.5キロ、島田宿[本陣跡]に到着。島田宿は、江戸時代に本陣3軒・旅籠50軒が建ち並んだ、全長約1キロの宿場町。

 島田宿の約2キロ西に大井川があり、京都方面を目指す旅人は増水して渡れないときは、宿場に足止めされて賑わった。

 

スタートから10.5キロ、大井神社に到着。大井川の恩恵に感謝し、水害がないことを祈り建立された神社。

 

 本殿を参拝し、境内にある本殿への参道の脇にある、大奴(おおやっこ)の銅像の前で、神社を中心として行われる奇祭について、河田アナが説明する。

 『島田大祭 帯まつり』で、3年に1度・10月に開催されていて、直近では2019年。その歴史は1695年からと古く、神輿渡御や大名行列で大変賑わう。お祭りで活躍するのが、奇抜な恰好をした大奴。

 

 お祭りの役員をされている弓岡さん、お祭りで大奴を務めている市川さんに来ていただき、大奴のパフォーマンスと解説をしてもらう。

 左右にド派手な帯を巻いた、大きな刀を腰に下げながら、独特な動きで参道をゆっくり進む、大奴。右手で魔を祓いながら、足で魑魅魍魎を踏みしめるので、見物客にご利益をもたらす。

 

 お祭りでは、25人のも大奴が町を練り歩く。当初の大奴は、神輿の警護役で色とりどりの帯を下げることもなく、飾り気はなかった。

 江戸時代のこと、島田へお嫁さんが嫁いでくる際、宿場披露で重たい帯を持っての挨拶回りは、相当負担になった。そこで、お嫁さんを気遣い、代わりに大奴が帯を持って宿場披露をおこなった。以来、大奴は変貌し、島田には競うように高価な帯が自然と集まり、全国から商人が流行りの帯を見にきたとか。

 

 帯を巻いた刀の重さは、左右合わせて約15キロもあり、河田アナとくっすんもビックリ。祭りのときは、15キロのウェイトをつけた上で、3~4キロを練り歩くので、とーっても大変。

 2年後の祭りは、是非見にきてくださいと弓岡さん。

 

午後2:10、後はゴールを目指すのみ。

 

東海道を西に歩き、

午後2:40、スタートから12キロ、目標地点の大井川に到着。静岡県の島田宿と金谷宿の間を流れる大井川は、江戸時代に橋がなくて船の渡しも禁止されていた。ゆえに、この川越えは東海道最大で最大の難所とされた。

 

 大井川の堤防沿いの歩道で、島田市博物館の学芸員・朝比奈さんに、大井川越えの浮世絵についてうかがう。

 川幅が約1キロあり、上流にダムができて昔より水量が減っている。

 

 江戸時代に橋を作らなかった理由として、有力な説を3つ教えてもらう。

 ①戦のときに、江戸が攻め込まれないから。

 ②当時の技術では、大水に耐えうる橋を作ることができなかったから。

 ③橋がないと、川留めの際に島田宿と金谷宿が潤ったから。

 ③の説で、『昔の人もお金儲けを、一生懸命生きていくために考えていた、今のくっすんといっしょですね。』と河田アナ、即肯定するくっすん。日々考えることはお金のことばっかりで、今日の歩いている最中もそう。

 

 大井川を越える際に活躍したのが、川越しの案内人。島田宿には300人以上いたとされ、大井川のすぐ近くに、待合所や川会所などの川越し業務を行う施設が復元されている。

 

 川会所は、川越しの料金を払う場所で、料金所の人の等身大フィギュアが、2体配置されている。

 そのフィギュアの前に料金表があり、川の水位によって料金が変わる。深さ4尺5寸を越えると、川留めとなる。最長で、28日間の川留めの記録が残る。

 

 一般の人は、おんぶや肩車をしてもらって川越えしたが、身分の高い人は、輦台(れんだい)と呼ばれる専用の台に乗って越えた。輦台の種類もピンキリで、様々な種類がある。

 一番お安いのは、ハシゴのような輦台で、河田アナが乗り方をうかがうと、小学生がきたときには自分で乗り方を考えて乗ってみなさいと言っているとのこと。

 

 というわけで、外にハシゴ型輦台(5段)を出してもらって、2人は考えて乗ってみることに・・・。

 河田アナの考えは、ハシゴの真ん中にお尻を入れて、足を組んで座る乗り方。見た目は正解かのように安定しているが、いかんせん河田アナのお尻が挟まれて痛い・・・不正解なり。

 くっすんの考えは、ハシゴの中央の段に股を入れて、立った姿勢の乗り方。いかんせん股間が痛いので、不正解なり。

 

 朝比奈さんが正解を実演、ハシゴの一番後ろの段にお尻を乗せて、一番前の段に足を置く。さすれば、お尻も股間も痛くない。

 最後に、朝比奈さんに通行手形を書いてもらい、島田宿の通行許可をいただく。

 こうして、東海道五十三次・23宿目の島田宿への旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:静岡県藤枝市・藤枝宿[交番前] →朝ラー: 『マルナカ』 (1km) → 『喜久屋』(2.5km) → 『唐揚げ専門 はっぴ商店』 → 島田宿[本陣跡] (9.5km) → 大井神社 (10.5km) → 目標地点:大井川 (12km) → 川会所

 

 

 

【24宿目】 2020年02月06日(木)放送 

旅の内容:●島田宿  金谷宿▲長州藩御用達の宿

スタートは静岡県島田市・大井川橋。目標点は静岡県島田市・金谷宿[佐塚屋本陣跡]。約5キロのショートコース?。

午前8:00、静岡県島田市にある、大井川橋のたもとからオープニング。河川敷の下から駆けあがって、くっすん登場。朝から快晴だけど、風が冷たい。

 

午前8:10、川沿いの広い砂利道を歩き、大井川の下をくぐる。

 

スタートから2キロ、午前8:40、広重の東海道五十三次・金谷宿の浮世絵が描かれたとされる場所に到着。フリップで浮世絵を確認すると、大井川を渡り終えた人たち、もうすぐ渡り終えようとしている人たちが描かれている。大井川の向こうに広がる河原、その奥に金谷の山並みが見える。

 現在の同じ場所を見てみると、大井川が見当たらない。今は昔と違って、上流にダムができて水量をコントロールしている。水量は減って、風景が大きく変わった。

 

午前9:30、金谷宿を目指して、旧東海道にもどる。

 

スタートから4キロ、輦台に乗って大井川を渡る、身分の高い女性の描かれた看板のある、金谷宿に到着。金谷宿は、江戸時代に本陣3軒・脇本陣1軒・旅籠50軒が建ち並んだ。

 

スタートから5キロ、目標地点の金谷宿[佐塚屋本陣跡]に到着。金谷宿に3つあった本陣のひとつで、現在は佐塚書店という本屋さんになっている。

 

 佐塚本陣の16代目・17代目親子に御挨拶し、代々伝わる品を見せていただく。”長門少将”と書いてある木札で、長州藩の毛利家が本陣に泊まった際に掲げていた。大名はどこの宿に泊まるかだいたい決まっていたらしく、佐塚屋本陣は長州藩のごひいきの宿だった。

 

 最後に、16代目に通行手形を書いてもらい、16代目と17代目に金谷宿の通行許可をいただく。

 こうして、東海道五十三次・24宿目の金谷宿への旅を無事終えた・・・。

 

だがしかし、スタッフさんから撮れ高が少なすぎるから、もうひとつ先の宿まで行っていただきたい、とお願いされる。まだ午前10:00と、時間もまだまだ残っている。

 

というワケでダブルヘッダー・・・

【25宿目】

 

旅の内容:●金谷宿  日坂宿石となりて子を救う母★厳しい険しい小夜の中山で疲労困憊


目標点は静岡県掛川市・日坂宿[山英 農産物加工場]。24宿目と合わせて、約15キロのコース。

気持ちを切り替えて歩く2人。

 

町を抜けると、

午前11:10、

スタートから6.5キロ、お茶畑の横の道を歩く。抜け目ないくっすんが何かを見つける。くっすんの指差す方を河田アナが見やる。すると、とある山の木が刈り取られて、残されている木々は漢字の『』と読める。静岡茶王国のアピールに驚かされる2人であった。

 

スタートから8キロ、旧東海道ゆかりのあるモノを見るため、東海道から一旦外れる。

 

午前11:50、『元祖 小泉屋』というお店の裏に回る。

スタートから9キロ、『夜泣石(よなきいし)』の前に到着。

 小泉屋さんの女将・小泉さんに、夜泣石についてお話しをうかがう。

 昔は旧東海道の真ん中に転がっていた石。明治天皇行幸の際に場所を移され、現在はココに祀られている。

 

石となりて子を救う母

 約1000年前の夜、旧東海道を歩いていた身重の女性が山賊に襲われた。女性は殺されてしまい、赤ん坊が生まれて取り残された。こどもを助けたいという一心で、母の魂がそばにあった石に乗り移り、人の助けを求めるように泣いた。

 近くにあったお寺のお坊さんが、石の泣き声を聞きつけて、赤ん坊を助けることができた。

 

 残されたこどもは、母のお乳がないために、昔から伝わる水あめをなめて育ったという。その昔ながらの水あめを、小泉屋にていただく。もち米と麦芽糖だけを煮詰めて作った『子育飴』で、大きなツボに入ったネトネトのアメを、棒でからめとって舐める。

 

CM明け・・・午後1:15、静岡県島田市。夜泣石から引き返して、旧東海道への分岐点となる山道へ入る。『小夜の中山』と呼ばれる、かつて夜泣石があったとされる峠にアタック。

 

スタートから10キロ、河田アナが小夜の中山について解説しながら、坂を上っていると、くっすんに「しゃべれてなさ過ぎですから。」とばっさり斬られる。さらに「昔はもっと、もっとこんな坂道でも河田さんは流ちょうにしゃべれてたのに・・・。」と続けるくっすん。

 

 中年のおっさんには、ちと厳しい坂。長い急な坂で、くっすんの例のスイッチが入る。「もうこういうときはね、河田さん。一瞬で苦しみを終わらせるんです。走るんですよ・・・。」などと言いつつ、河田アナも勧誘したが当然断られたので、ひとり奇声を発しながら坂を猛ダッシュで駆け上がる。

 その先で、やはりくっすんが転がっていたが、河田アナは何事もなかったかのように通りすぎる。追いかけてくるくっすんを、しばし放置。

 

 峠にある家に住んでいる、おかあさんに出会う。お家の周りにあるお茶畑を所有しており、霧がついて美味しいお茶ができるとのこと。峠に住んでいても、良い道ができて車もあるので、生活に不自由してない。

 

 上り坂の途中、静岡県島田市から掛川市へ入る。「掛川市に、入ったぞ~。」と、元気のない声でくっすん。

 

 『小夜の中山』の頂上で、「こんな坂道走るなんて、バカですよ。」と自分を戒めるくっすん。左右にお茶畑の広がる、坂道を下る。

 そんな最中、広重の日坂宿の浮世絵を、フリップで確認する。右手に向かって、めちゃくちゃ急こう配の峠道が上っており、坂の下にさりげなく?置かれている夜泣石は、旅人に注目されている。

 

午後2:30、

スタートから13.5キロ、日坂宿の浮世絵の描かれた場所で、小夜の中山峠にある『浮世絵美術館 夢灯』の館長さん・武藤さんと落ち合い、浮世絵について解説してもらう。

 そこには『夜泣石跡』という石碑があり、間違いない。2人が今まさに下ってきた坂が、日坂宿の浮世絵に描かれている急こう配の坂であり、実際より角度をつけて険しさを強調している。

 浮世絵の奥に小さく描かれている山は、粟ヶ岳(あわがたけ)といい、夜泣石跡からは見えない。道中気になった『茶』と書かれた山である。

 

武藤さんとお別れし、進むこと500メートル、

急な下り坂が目の前に現れ、愕然とする2人。下り坂の急な具合が、視聴者に伝わっているだろうか?という河田アナ。そこで、坂に横たわったくっすんが、体を張って転がっていく。かなり勢いよく転がり、本人はおろか、河田アナ・スタッフさん・視聴者をヒヤヒヤさせる。

 

 『小夜の中山』を越えて、一安心。

午後3:00、スタートから14.5キロ、日坂宿[本陣跡]に到着。金谷宿は、江戸時代に本陣1軒・旅籠33軒が建ち並んだ。人口約750人の、こじんまりとした宿場だった。

 

 ご近所に住む、下校中の小学3年生の男の子に出会う。やっぱりお茶が好き。将来の夢は学校の先生になることで、通っている小学校に、憧れの先生がいるからとのこと。

 良いことをするとたくさん褒めてくれる、ステキな先生。くっすんも河田アナに褒めてほしいけど、「褒めるとこあったら、褒めるけど・・・。」だそう。

 

午後3:30、スタートから15キロ、目標地点の『山英 農産物加工場』に到着。昭和2年創業で、もともとは地元のお茶農家向けの肥料屋さんだった。土作りにこだわった緑茶の製造販売を、先代からおこなうようになった。

 

 特別に、工場の中を見学させてもらう。お茶の火入れを行う工程では、熱風でお茶を乾燥させることで、風味を引き立てる。

 

 見学後、工場で製造したお茶、その名も『子育銘茶』を試飲させてもらう。掛川のお茶は、蒸し時間を通常の3倍にすることで、濃厚でコクのあるお茶に仕上がる。普段飲めない高級茶で、まったり午後のティータイム。

 

最後に、専務取締役の山崎さんに通行手形を書いてもらい、日坂宿の通行許可をいただく。

 こうして、東海道五十三次・25宿目の日坂宿への旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:静岡県島田市・大井川橋 → 金谷宿の浮世絵に描かれた場所 (2km) → 金谷宿 (4km) → 佐塚屋本陣跡 (5km) → 『夜泣石』・『元祖 小泉屋 (9km) →『小夜の中山』→『夜泣石跡』(13.5km) → 日坂宿[本陣跡] (14.5km) → 目標地点:『山英 農産物加工場』(15km) 

2020年02月03日(月)、姫路城にて姫路城入場記念書・(御城印)をゲットした。

世界遺産・国宝姫路城『冬の特別公開』(通常非公開の太鼓櫓・帯の櫓)が、2020年02月01日~29日まで。それに合わせ、御城印(300円)でゲットできる。

 姫路城の有料エリア外にある、白い仮設テントで販売しているので、入城料は必要なかった。2月いっぱいと期間限定なので、忘れないうちにゲットだぜ。

 

 一日前だったら、令和二年二月二日と、キリのよい数字だったけど・・・日曜日は混むからやめた。ゾロ目マニアの方は、令和二年二月二十二日を狙ってみてはいかが。まあ、節分だから何となく縁起が良さそう・・・。

 

 あと、透かしが入っているので、ちょっと高級感がある。カラーコピーの偽造防止?

 文字はその場で筆で書いてはくれないので、ありがたみが少々薄れる。

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』21宿目~22宿目のまとめ。

【21宿目】 2019年12月12日(木)放送 

旅の内容:●鞠子宿  岡部宿▲静岡の美味しい紅茶怪奇?!トンネルの向こうに人影★親愛なる河田さんへ

スタートは静岡県静岡市駿河区・鞠子宿[丁子屋]。目標点は静岡県藤枝市・岡部宿[大旅籠 柏屋]。約8キロのショートコース。

午前8:00、静岡県静岡市駿河区、鞠子宿にある『丁子屋』の前からオープニング。『とろろ汁』の暖簾をかき分けて、隠れていたつもりのくっすんが登場。

 

 とりあえず丁子屋の前で、広重の東海道五十三次の浮世絵をフリップで確認する。東海道の難所のひとつとされる、宇津ノ谷峠を行き交う人たちが描かれている。

 

午前8:10、雲一つない晴天の空の下、はりきってスタート。

 

スタートから1.5キロ、茶畑を取材する。静岡茶は、京都の宇治茶・埼玉の狭山茶と並び、日本三大銘茶のひとつに数えられる。静岡の茶の生産量は日本一で、全国の約4割のシェアを誇る。

 静岡では、江戸時代からお茶の栽培が盛んだった。

 

 茶畑で、主の村松二六さんと会い、お話しをうかがう。

 栽培しているのは静岡茶・・・ではなく、紅茶の品種。ダージリンとアッサムを交配した、国産紅茶・紅富貴(べにふうき)。見た目は日本茶に見えるが、茶葉を発酵させることで紅茶になる。

 

 明治時代初期、多田元吉がインドなどを巡り、紅茶の原木を持ち帰った。それを丸子の地で栽培し始め、日本初の国産紅茶を作った。元吉が残した紅茶を守るため、栽培に取り組んでいるのが村松さん。

 

 くっすんが試飲できないか聞いてみると、即オッケー。村松さんのご自宅で、紅茶をご馳走になる。ご自宅の前で、奥さんの時枝さんが出迎えてもらう。

 奥さんが目の前で紅茶を淹れてくれる。村松さん流美味しい紅茶(ミルクティー)の淹れ方・・・

 ①茶葉9gに対し、、98℃の熱湯400ml入れる。

 ②時間を計って、きっちり3分蒸らす。

 ③茶葉を茶こしでこしながら、別のティーポットに移す。

 

仕上げは、おとっつあん

 ④ティーポットに牛乳50mlを注ぎ込む(色具合が難しい)。

 ⑤砂糖をどっさり?、ティーポット入れる。

 

 ティーカップで飲んでみて、美味しさに唸る河田アナと、顔をほころばせるくっすん。くっすんが「僕、認定します。おとうさんは、紅茶仙人です。」と言ったら、反応してくれない、おとっつあん。

 スタッフさんの分まで、ミルクティーを作ってくれた。

 

スタートから4キロ、宇津ノ谷地区に入る。静岡市の美しいまちづくり推進地区に指定され、昔ながらの景観を守っている。各民家の玄関前の軒先に、白い粒々の集合体がぶら下げられている。

 

午前10:10、慶龍寺に到着。1578年に創建された、曹洞宗のお寺。お寺の秘仏は、空海が石で彫ったとされる延命地蔵尊。本堂にもぶら下げられている、謎の白い粒々『十団子(とうだんご)』。

 

 本堂の中で、ご住職の加藤さんに『十団子』伝説についてお話しをうかがう。

 昔の旅人は、宇津ノ谷峠を通らなければならなかった。峠に鬼が出て、旅人を苦しめていた。

 それを聞いた、旅の僧が鬼退治のため峠へ向かった。僧が鬼を錫杖で叩くと、10の粒々に砕けた。そいでもって、その粒々を飲み干した。

 

 鬼を退治した僧侶は、なんと延命地蔵尊の化身だった。伝説にあやかり、宇津ノ谷地区では鬼に見立て団子を十個つなぎ合わせ、房にしやものを厄除けとして軒先に飾るようになったとさ。

 飾ると、一年の家内安全無病息災のご利益があるといわれる。

 

 慶龍寺を後にして、宇津ノ谷地区を歩いていると、鈴木さんに家の前で出会い、『十団子』のご利益についてうかがう。

 毎年毎年、お寺の中にある公民館で、町内の方々が手作りしている。安全に健康で暮らさせていただいているのは、十団子のおかげだとみんな思っているとのこと。

 

CM明け・・・午前11:15、 静岡市駿河区宇津ノ谷。

スタートから4.5キロ、東海道宇津ノ谷越え・旧東海道登り口へ入る。本格的な山道で当然舗装されておらず、歩きにくい。

 山道のベテラン・河田アナが、「これは絶対、人に会わんな・・・。」とぼやく。

 

 だがしかし、すぐに男性2人組に出会う。趣味のハイキング・ウォーキングで、どうせだったら、旧道を歩こうと東海道を歩いているところ。これから、日本で初めてお金をとった、明治時代のトンネルへ向かうとのこと。ぜひ通ってくださいとオススメされる。

 

 ハイキング中のお2人と別れて、峠の頂上を目指す。

 しばらくして『宇津ノ谷峠』と簡易な看板がかかっている、峠へ到達。ガッツポーズするくっすん。

 

 下り道に入り、『明治の道← →明治のトンネル』の分岐点に出る。

 せっかくだから、明治のトンネルを通る。1876(明治9)年に完成した、全長203メートルある、日本初の有料トンネル。味のある煉瓦づくりで、オレンジの照明がエレガント。

 

 トンネルの向こう側がだいぶ見えてきて、河田アナが「誰か向こうにいる?」と人影らしきものを発見する。2人は立ち止まり、ビビりのくっすんが、「立ち去れ~。×2」と御祓いする。おそらく人間だろうと考える河田アナ。霊かもしれないとおっかなびっくりのくっすん。

 トンネルの出口にだいぶ近づき、「こんにちは。」 と呼びかける2人。

 出口付近で、人じゃないことに気づく2人。

 トンネルを抜けた2人が目にしたモノは・・・、ただの配電盤だった。配電盤に『こんにちは』と呼びかけたり、御祓いをしたり、とバカバカしい気持ちになった2人であった。

 

 トンネルを通って引き返し、山道を下って、舗装された道に出る。

 峠を越えて、静岡県静岡市から藤枝市に入る。道中で昼食を済ませる。

 

午後1:30、スタートから7.5キロ、岡部宿に到着。岡部宿は、全長1.5キロ、人口2,300人の小規模な宿場。駿府城を守る重要な位置にあるため、本陣2つ・脇本陣2つ・旅籠27軒が置かれた。

 『岡部町観光ボランティアガイドの会』の高田会長に、岡部宿の浮世絵の描かれた場所まで案内してもらう。かつての東海道沿いには現在家が建ち、道路が広げられている。そして旧東海道と川の間に、山を削って国道1号が通っている。当時の面影は少なくなっている。

 

午後2:00、スタートから8キロ、目標地点の『大旅籠 柏屋(おおはたごかしばや)』に到着。江戸時代に建てられ、一部を改築しているものの、国の登録有形文化財に指定されている。

 

 柏屋の中に入ると、今しがたチェックインした旅人と出迎える旅籠の男女の、等身大フィギュアが置かれ、当時の様子を再現している。フィギュアに見入っていると、後ろから柏屋の館長・大石さんが現れビックリさせられる。

 

 館長さんにあれこれ解説してもらう。

 玄関を入ってすぐのこの場所は帳場で、今のホテルのフロントにあたる。旅籠に着いたばかりの旅人は、桶に入った水で足を洗い、汚れを落とすとともに疲れを癒す。草鞋では、さぞかし足が汚れたであろう。

 

 大名の家臣など、身分のある者が泊まったお部屋に案内してもらう。庭園に面した広い、1階のお部屋。当時の武士は、常に戦いを念頭に置いているので、襲われたときに不利になる2階を避けた。「坂本龍馬は2階で宴会していたときに、攻め込まれて斬られましたもんね。」と幕末好きの河田アナ。

 

 宿泊費は、一般客の2~3倍である、400~900文だったと考えられる。ちなみに一般の旅人の宿泊費は200~300文と思われる。現在の貨幣価値で5,000~7,500円(1文=25円計算)に相当する。河田アナ・くっすんが泊まっているビジネスホテルとだいたい同じ値段らしい。

 

 急な階段を上がり、2階へ。当時は手すりもなく、女中さんがお膳を持って上がった。一般の旅人が泊まったお部屋では、お膳を前にしてくつろぎながら酒を呑もうとしている旅人と、お酌する女中さんの等身大フィギュアが置いてある。お膳の食品サンプルも豪勢で、奮発した様子。

 

 今回は特別に、宿泊体験をさせてもらう。

 晩酌のしている部屋の隣りのお部屋に、敷布団を2つ並べ、ジャージ姿で横になる2人。高い枕に頭を乗せ、「寝心地わる。しんど。こんなんで朝まで絶対寝られへんわ。」と文句を言う河田アナ。髷が崩れない形になっていて、そのため高くなっているとのこと。昔の人はしんどかった

 くっすんは、ドテラのような掛布団をかけてもらう。意外に温かいと思うくっすん。

 

 河田アナと館長さんとがお話ししている間に、くっすんは江戸時代の変身コーナーを見つける。無料で江戸時代の衣装に着替えて、敷地内で記念撮影できる。

 この手の変身コーナーが大好きなくっすんと、いつもしぶしぶ付き合わされる河田アナ。くっすんは本格的な旅人装束に着替え、河田アナも武士の恰好になる。気合入りまくりのカメラマンくっすん、河田アナをいいねいいねと言いながら、激写する。

 

 小田和正さんの『言葉にできない』の曲にのせて・・・。庭園でスタッフさんに写真を撮ってもらう、旅人と武士。館内で撮った旅人と武士の写真が、走馬灯のように流れる。

 さらにくっすんと河田アナの東海道五十三次編の名場面とともに、くっすんの熱唱が流れる、謎演出。「河田に会えて ほんとうによかった 嬉しくて嬉しくて 言葉にできない らーらーら ららーら 言葉にできない」

 くっすんから河田アナへのメッセージ:『河田さん これからもずっと一緒に・・・くっすん』

 

最後に、館長さんに通行手形を書いてもらい、岡部宿の通行許可をいただく。

 こうして、東海道五十三次・21宿目の岡部宿への旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:静岡県静岡市駿河区・鞠子宿[丁子屋] → 村松さん家の茶畑 (1.5km) → 村松さん家 → 宇津ノ谷地区 (4km) → 慶龍寺 → 宇津ノ谷峠登り口 (4.5km) → 宇津ノ谷峠 明治のトンネル → 昼食 → 岡部宿 (7.5km) → 目標地点:『大旅籠 柏屋』(8km)

 

 

 

【22宿目】 2020年01月09日(木)放送 

旅の内容:●岡部宿  藤枝宿サッカー王国藤枝■難攻不落の田中城★藤枝名物の伝統的せんべい

スタートは静岡県藤枝市・岡部宿[大旅籠 柏屋]。目標点は藤枝市・藤枝宿。約9キロのコース。

午前9:00、静岡県藤枝市、岡部宿にある『大旅籠 柏屋』の中からオープニング。屋敷の中にある、弥二さん・喜多さんの等身大フィギュアがさもしゃべっているかのように声をあてる、くっすんと河田アナ。くっすんの2020年の目標は、1年習った尺八でコンサートを開くこと。

 

午前9:30、先ほどまで降っていた雨が止む。ロケ日の天気予報は、雨時々曇り。スタートしてほどなく、民家の軒下に吊してある、サッカーボールの飾りが気になる。

 

 大正時代は学生スポーツとして野球が人気だったが、1924年に藤枝市の中学校で、蹴球と呼ばれていたサッカーが校技に指定された。それを機に、県内にサッカー人気が広がり、静岡はサッカー王国となった。

 藤枝出身のサッカー選手としては、かつて日本代表で活躍した、中山雅史選手・長谷部選手などがいる。

 

 旧東海道沿いの家々で、いくつものサッカーボールの飾りを見かける。そんな一軒に、『サッカーロードおかべ 藤枝手まり工房』と書かれていて、ピンとくる河田アナ。

 工房の中を見ると、天井からたくさんのサッカー手毬がぶら下がっている。

 

 工房にいる方々に、藤枝手毬についてお話しをうかがう。

 平成24年にオープンした工房で、週1度集まって、サッカーボール型の手毬を作っている。サッカーボール型の発砲スチロールに、自分たちで考えた色合いの布を貼りつけて作る。道中見かけたサッカーボールの飾りは、こちらで作られたものみたい。

 作り始めた当初は10人近くメンバーがいたけど、年をとっちゃったり体を壊したりして、今は5人でやっているとのこと。

 サッカーの国際試合などは、夢中になって日本を応援している。

 

 再び歩いていると、地元の女性が声をかけてくれた。藤枝では、お年寄りを中心に、団体で東海道を歩いている人たちがいるそう。昔偉一行を見て、測量とかをしていると思ったとのこと。

 

 測量の人たちは東海道を少し外れ、藤枝の観光名所へ向かう。

午後0:30、

スタートから6キロ、天候も回復したところで、田中城跡に到着。約500年ほど前に今川氏が築城したとされる。現在では、当時の櫓や茶室を移築した庭園と、一部のお堀が残っている。

 

 田中城跡ガイドの村松さんに、お城の特徴をうかがう。

 昭和30年代後半に、上空から田中城跡を撮影した写真を見ると、円形のお堀にぐるりと囲まれているのがよく分かる。直径600メートルのお堀で、現在も丸いお堀の面影が残っている。お堀は4重に作られ、『難攻不落の田中城』と呼ばれるほど防衛に優れたお城であった。

 

 湿地帯にお城があったため、敵は2つのルートからしか攻められなかった。

 しかも、お堀の内と外では移動距離に差が生まれ、城を守る内側は敵の攻撃に迅速に対応できた。徳川家康が田中城の攻略に8年かかるほど、鉄壁だった。

 

 二重二階の櫓の中にある田中城の模型を見ると、城の中と外に城下町が見当たらない。田中城周辺は液状化地域なので、人が住めない。お城から1キロほど離れた場所に、城下町があった。

 くっすんは、円形で何もないところにポツンとある田中城の模型を見て、「ーーーある雑誌で読んだのは、円形の大きなマークになるようなものがあったら、UFOが来やすいって・・・。」と思いあたる。さらに、「おそらく本丸の空き地のところは、UFOの着陸する場所になってたんだと思いますね。」という説を唱える。

 それに対して、「ノーコメント。」と村松さん。

 

CM明け・・・午後2:00、 静岡県藤枝市某所。岡部宿から藤枝宿を目指す道中。サッカーの町藤枝をアピールする、看板やら飾りやらが至るところに見られる。

 サッカー少年たちとの出会いを期待する河田アナ。そんな折、学生服の少年を見かけたので、声をかけてみる。中学2年生で体が大きいので、「もしかして、サッカーやってますか?」と尋ねると、やってないとのこと。

 

 彼の周りではサッカーをやっている人が多いみたいのに、「なんで君は、やらないんですか?」と、ずけずけ聞く河田アナ。すると、運動があまり得意ではないからと理由を述べ、でも中学からは野球部に入っている。

 藤枝では、運動がすごくできる子はみんなサッカーをやるので、野球はあまり盛んではないらしい。

 

 野球の他に、勉強を頑張っている。将来はいろんな研究をする職に就きたいなと思っている。少年のしっかりとした受け答えと考えに、感動して拍手を送る2人。

 最後に感動したお礼にと、尺八で1曲送るくっすん、神妙に聴く少年。「厳かなかんじ。」だと気に入ってもらえた。

 

午後2:30、

スタートから9キロ、藤枝宿に到着。藤枝宿は全長約2キロ、本陣2軒・旅籠47軒があり、田中城の城下町として栄えた。武士を相手にした刀鍛冶、旅人を相手にした商店など、最盛期には1000軒以上があったとされる。藤枝宿の上伝馬商店街が長~いのは、その名残りかもしれない。

 

 歌川広重が描いた東海道の浮世絵の場所は、現在交番になっている。

 交番の前で、藤枝市郷土博物館の海野さんに浮世絵についてうかがう。

 浮世絵は、藤枝宿にあった問屋場(といやば)の様子を描いている。問屋とは、宿場で大名などの荷物を運ぶ、人や馬を管理していた施設。浮世絵では、人や馬を交代して荷物を引き継いでいる様子を描いている。

 

 浮世絵の奥の方の建物に座っている人は、問屋場の責任者である問屋役で、引き継ぎ全体の様子を見守っている。そして、そばにいる武士がいちゃもんをつけているといった感じ。

 藤枝宿には、問屋場が2つあった。宿場で問屋場が2つあることは珍しい。静岡の政治経済の中心的な場所として、宿場はとても賑わい人々の通行も激しかった。それを聞いて、「まるで梅田みたいですね。」と例えるくっすん。河田アナはそうですねとくっすんにうなずきながらも、次に「ワケ分からないでしょ。」と海野さんに笑いながら言う。藤枝の方に梅田のこと言っても分からないはずなので、あやまる。

 

 ここで、ロケ終了かと思いきや、突然に河田アナのお便りコーナー。和歌山県古座川町の方から。

 『こんにちは、昔の人は偉かったのコーナー 楽しみにしている私でございます。藤枝宿には江戸時代からあるという おたけせんべいも有名でおいしいですよ。是非食べてみてください。肌寒くなっていきているので、河ちゃん くっすんさん お体気を付けて旅頑張ってくださいねファイト!』

 

 海野さんにおたけせんべいのことを聞いてみると、昔から有名とのこと。なんと、食いしん坊センサーに長けたくっすんは、すでに道中でおたけせんべいの店を見つけていた。

 食べる気まんまんのくっすんに、急かされ先導され、江戸時代創業の『おたけせんべい本舗』に到着。当時の東海道を行き交う旅人が、おたけせんべいで疲れを癒した。現在は、10種類のおせんべいを販売している。

 

 お店の中で、6代目の天野昌昭さんにお話しをうかがう。

 さっそく、梅の花の形をした、名物のおたけせんべいをいただくと、醤油の香ばしさに加えて、ほんのり甘い。裏はお醤油で、表はお砂糖の味付けになっている。

 中浮かしといって、硬くもない・フワフワ過ぎない絶妙な焼き加減に調整している。

 おたけさんの愛称でしたわれた、創業者・天野たけが考案した、味と製法を江戸時代から守り続けている。

 

 6代目の母・先代社長の天野禎子さんにもお話しをうかがう。

 おたけせんべいの味は、おたけさんから先代社長まで、ずっと女性が受け継いできた。6代目に至り、ついに男が継いだ。

 

 河田アナが7代目はどうなる予定か、6代目に聞いてみると、男性の候補がいることはいるが、逃げたそうだから・・・とのこと。

 最後に、おたけせんべい6代目に通行手形を書いてもらい、藤枝宿の通行許可をいただく。

 こうして、東海道五十三次・22宿目の藤枝宿への旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:静岡県藤枝市・岡部宿[大旅籠 柏屋] → 『サッカーロードおかべ 藤枝手まり工房』→ 田中城跡 (6km) → 目標地点:藤枝宿 [上伝馬交番前](9km) →『おたけせんべい本舗