MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』29宿目~30宿目のまとめ。

【29宿目】 2020年03月12日(木)放送 

旅の内容:●見附宿  浜松宿くっすんの親戚がいっぱい登場?!■東海道のまんなか?!再び憔悴する家康の絵?!
スタートは静岡県磐田市・見附宿[旧見付学校]。目標点は静岡浜松市・浜松城。約15キロのコース。

午前8:30、静岡県磐田市、見附宿にある旧見付学校の前からオープニング。弥次さん喜多さんの顔ハメパネル(こども用)を使って、登場する2人。

 前回のロケで歌川広重の見附宿の浮世絵を紹介していないので、今回は見附宿と浜松宿の浮世絵を紹介する。

 

午前8:40、朝の気温は、8℃とひんやり。

 

スタートから0.5キロ、恋愛のパワースポットとして有名な、『東福山西光寺』に到着。1265年に創建されたお寺で、境内を入ってすぐ右手に、見付の名木・巨大な楠(クスノキ)が鎮座している。

 2人はさっそく楠にべたべた触る。くっすんは親戚に抱きついている感覚をおぼえ、「あんたの親戚、えらいごっついんやね。」と河田アナ。

 

 樹齢500年以上のクスノキの下で、ご住職の下村さんにお話しをうかがう。クスノキは高さ約18メートル、根回り約13.7メートル。

 クスノキの隣りには、縁結び(恋愛成就)にご利益のある、ナギの木がある。樹齢約250年で、伊豆に流された源頼朝がこの木の下で、北条政子とデートを重ねたという伝説が残る。

 

 2つの木の参拝方法は、まずナギの木を触ってから、次にクスノキに触る。順序が逆だと、縁切りになりますとのこと。時すでに遅し、河田アナとくっすんは先にクスノキに触っていた。悪いこと(悪縁)を一回リセットできたと思ってください、とご住職がフォローする。

 2人は改めてナギの木→クスノキと触れ、旅での良い御縁を願う。

 

 本堂にて、参拝者からの良縁の報告例の書かれた黒板を見る。

 初めての参拝を終えてお寺から出るとき、元カレから復縁したいと電話があった。参拝後、男性と出会いすぎて困ってます等々・・・。

 ご住職曰く縁結びでは、さっそくご縁があったと思うのと、たまたまだと思うのでは大違いで、前向きにしてくださる場所がパワースポットであると。

 

午前9:30、良縁を願いつつ、お寺を後にする。

 すると、さっそく菅笠を被った女性と、連れの男性に道路越しにすれ違う。2人が背中の菅笠を見せておそろいだとジェスチャ―を交えてアピールするが、全然伝わらずスルーされる。

 

スタートから4.5キロ、静岡県磐田市と浜松市の市境となる、天竜川に架かる橋を渡る。天竜川は、川幅約800メートル。今回はドローンによる空撮で、橋を渡るむかえら一行を撮影。橋の途中で、犬を呼ぶようにこっちおいでと、ドローンを呼ぶ河田アナ。ずいぶん近くまで寄ってくるドローン。

 一昔前までは考えられないと、ドローンの技術のすごさを噛みしめながら橋を歩く。

 

 広重の東海道五十三次・見附宿の浮世絵には、天竜川と舟が数艘描かれている。これまでの宿場では、大きな川を渡る際には川越し案内人が肩車や台に乗せて旅人を運んでいたが、天竜川は水量がハンパなく舟の渡しが利用された。

 

 橋を渡りながら、河田アナは徳川家康と天竜川のエピソードを語る。

 1572年に、浜松城主・徳川家康武田信玄と戦った。劣勢の家康は命からがら敗走し、天竜川にたどりついた。

 そこで、地元池田村の人々が、舟を出して家康を助けた。追っかけてきた武田軍に対しては、舟を隠して足止めした。

 家康はこの恩を忘れず、後に池田村の舟守に、天竜川の舟の運営権を与えた。

 

 天竜川を越え、

午前11:10、静岡県磐田市から浜松市中野町へ入る。

 

スタートから6キロ、中野町にある旧東海道のちょうどまん中と書かれた、案内版の前に到着。袋井宿は宿場の数で東海道の真ん中と謳っているが、中野町は東海道約500キロの距離のちょうど中間地点の真ん中。

 ただ、寄り道ばっかりしている2人は、ここまで約316キロ歩いている(スタッフさん調べ)らしい。このペースでいけば、東海道500キロ+寄り道などで、東海道制覇時には600キロ越えになる算段。

 

 東海道のまんなか・中野町を歩いていると、学校がお休みで家の前で遊んでいる、こどもたちと出会う。

 足をクネクネさせて進む、3輪の乗り物で遊ぶ男の子。くっすんが借りて乗ってみるが、うまいこと進まない。河田アナがやってみると、腰から足を動かしてコミカルに進む。

 

 6年生の女の子は、新型コロナウイルスのせいで、卒業式の練習が全然できない。卒業式は予定通り行うが、在校生や来賓の方が来られないとのこと。学校が休みで友達と会えないことが寂しい。

 

 東海道に尺八の音色を響かせながら、浜松城を目指す。

 前を歩く小学生の女の子が、尺八を吹きながら歩く男とその仲間たちを、ちらちら見る。信号待ちしている女の子に追いついたので、不審者ではないことを伝える河田アナ。

 

午後1:20、

スタートから12キロ、浜松宿 [馬込橋(まごめはし)]に到着。橋の上で、浜松宿と紹介する河田アナと、尺八を吹くくっすん。その後ろを通り過ぎる、さっきの小学生の女の子が、2人の方をチラ見。

 浜松宿は、本陣6軒・旅籠94軒が建ち並び、浜松城の城下町として栄えた東海道最大級の宿場町。

 

 宿場の入口・馬込橋の近くで、浜松観光ボランティアガイドの大村さんに、広重の浜松宿の浮世絵についてお話しをうかがう。

 ”冬枯ノ図”で、旅人たちが寒いので、焚火にあたりにきた常を描いている。奥の方には、浜松城が描かれている。現在は、高い建物の遮られてお城は見えない。

 浜松城は家康を育み、歴代藩主が幕府の要人になって出世したことから、出世城と呼ばれる。そこから、浜松も『出世の街』といわれる。

 

 浜松にあやかって出世したいとくっすん。少しでも多くテレビに出たいけど。『四捨五入したら一般人』だと嘆く。ユニークな表現に、笑ってしまう河田アナ。

 それに対して、河田は毎日放送アナウンス部・部次長のポディション。お偉いさんだと言うくっすんに、出世していたらこんな歩いてないと返す河田アナ。

 

 

 CM明け・・・午後2:50、静岡県浜松市、浜松城を目指して歩く一行。

 

スタートから13キロ、『浜松八幡宮』に到着。浜松城の鬼門にあり、徳川家康が開運招福・武運長久を祈願し参拝したとされる。

 境内には、またまた巨大なクスノキが植わっており、真ん中でパカっと割れているさまから、「骨盤っぽいですね。」とくっすん。

 

 クスノキを囲っている柵の前で、宮司の桑島さんにお話をうかがう。

 推定樹齢1000年・樹高約15メートル・根回り約15メートル

 元々1本のクスノキだったが、真ん中に生えていた本体の幹が枯れてしまい、その左右から生えてきた”ひこばえ””が大きくなったみたい。

 

 くっすんはクスノキが左右に広がっているさまを、「扇を広げているようなこう・・・」と表現し、「良い例えですね。」と宮司さんに褒められる。河田が「さっき骨盤言うてたやん。」とバラす。

 また、雲立楠(くもたちのくす)と呼ばれ、家康の伝説が残る。

 

雲立楠

 1572年に三方ヶ原の合戦で、武田信玄に大敗し逃げてきた徳川家康は、浜松八幡宮のクスノキの洞(うろ)に隠れた。中で一心に八幡様を拝んだところ、クスノキから雲が立ち昇り、難を逃れた。

 

 この歴史あるクスノキにちなみ、境内には楠倶楽部という結婚式場がある。社務所ではご神木にあやかった『くすのき守』を授与していて、もちろんくっすんはゲットした。

 本殿で東海道の旅の安全を祈願し、八幡宮を後にする。

 

午後3:30、歩きながら、今日はクスノキ一色の旅だと振り返るくっすん。

 

スタートから15キロ、目標地点の浜松城に到着。浜松城は、1570年に家康が武田信玄との戦に備え築城した。現在の天守は、昭和33年に再建された。

 

 天守の3階から、浜松城下を見下ろす2人。天気が良ければ富士山が見えるが、今回は残念。

 3階建ての天守には、浜松城の歴史を学べる品々が展示されている。中でも、若き日の家康を描いた肖像画が有名。

 

 2人もさっそく鑑賞するが、家康っぽくない顔だと意見が一致する。

 浜松観光ボランティアガイドの鈴木さんにお話をうかがう。

 家康が浜松城に入った、29歳頃の写真?とのこと。鈴木さんが解説していると、女の子の声にかき消されていくので、河田アナが”待った”をかける。近くにいた女の子は、無料レンタルのカツラをかぶって、お母さんに写真を撮ってもらうところだった。

 

 落ち着いたところで、トークを再開。

 三方ヶ原の合戦で、人生最大の敗戦を経験した家康。地元の村人や、八幡宮のクスノキに助けられ、なんとか浜松城に逃げ帰った。

 生涯この敗戦を忘れないよう、自分を戒めるため憔悴した姿を描かせたという。左手で顔の震えを抑え、右手で脚の震えを抑えている。

 

 河田アナは、誰にも見られたくない姿をあえて描かせるところが、凡人じゃない家康さんかなと思う。

 くっすんは、ドラマなんかを見て家康さんに『ずるい狸』というイメージを持っていたけど、一つ一つの積み重ねがあるからこそ結果を出したと評価する。

 最後に、鈴木さんに通行手形を書いてもらい、裏側には『家康を見習って大出世せよ!!』とお言葉を頂戴する。浜松宿の通行許可をいただき、こうして東海道五十三次・29宿目の浜松宿への旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:静岡県磐田市・見附宿[旧見付学校] →『東福山西光寺』[見付の名木] (0.5km) → 天竜川 (4.5km) →『旧東海道のちょうどまんなか』(6km) → 浜松宿 [馬込橋] (12km) →『浜松八幡宮』(13km) → 目標地点:浜松城 (15km) 

 

 

 

【30宿目・前編】 2020年04月03日(金)放送 

旅の内容:●浜松宿  舞坂宿▲初めましての金曜メンバーに緊張するくっすん■世界一の般若心経で反省★軽自動車とバイクの歴史を学ぶ


スタートは静岡県浜松市・浜松城。目標点は静岡浜松市・浜松城。約16キロのコース。

午前7:30、静岡県浜松市、浜松城の天守石垣下からオープニング。尺八を高らかに鳴らしながら、くっすん参上。「時にはDJ、時にはイクメンパパ、でもその正体は、尺八ニスト。」と金曜メンバーたちにアピールするため、自己紹介する。

 

 朝のお天気は快晴だけど、気温6℃と肌寒い。浜松城から下って、金曜メンバーについて話しながら歩く。『昔は偉かった』は今まで10年間ずうっと木曜日に放送してきて、今回から金曜日にお引越し

 吉弥さんは歴史に詳しいイメージがあって、モモコさんはとにかくグルメ、とくっすん。スタジオの2人に変な人に思われないか緊張気味で、「金曜ファミリーになりました、楠雄二郎をよろしくお願いします。」と挨拶する。

 

スタートから4キロ、1年半前にもロケ[2018年8月16日放送]で訪れた、『龍雲寺』に到着。約700年前に創建された、臨済宗のお寺。

 

 住職の木宮さんに案内され、本堂の中ある『世界一大きい般若心経』を拝観する。

 その大きさは横16メートル×縦4メートルで、ダウン症の書家・金澤翔子さんの作品。金澤さんが30歳のとき、四国のお寺に2週間泊まり込んで完成させた。

 くっすんは、字が飛び出してくるパワーを感じる。河田アナも、素人目に見ても文字ひとつひとつの力強さを感じる。

 

 般若心経の要諦は、『この世の全てのものに実体はない』という『色即是空』に示される。世の中の有り様は、自分の心の持ち方次第で、どんな風にでも変えられる。

 金澤さんは上手に書こうとも思ってなく、誰にでも生まれる上手く書きたいという邪心すらない。そういう心で書かれた般若心経の前で、自分の心がいかにいい加減なのか、反省する場所にしてほしい、とご住職。

 

スタートから6キロ、日本で初めて量産型の軽自動車を作った会社の施設・『スズキ歴史館』を取材する。平成21年に建てられ、自動車の製造工程や歴史が学べる。年間200校もの小学校が校外学習に訪れる。

 

 歴史館の馬越さんに、館内を案内してもらう。

 まずは、展示されている軽自動車・ハスラーの乗り心地を体感する2人。

 運転席に乗り込んだ河田アナは、全然『軽』の感じがしないとコメント。

 助手席に乗り込んだくっすんは、『走る応接間』と快適性をアピール。さらに後部座席に移り、めちゃめちゃ広くて、テーブル付きで、「ここで暮らせますわ。」とベタ褒めする。河田アナに、「スズキのCMとか狙ってる?」と魂胆を見抜かれる。

 

 続いて、3階の歴史フロアを見学する。

 機織り機の展示を見学。スズキの起源は、1920年に創業した『鈴木式織機株式会社』。第2次世界大戦の影響で織物産業が衰退したため、織物で培った技術で新たな製品の開発した。

 

 オートバイの展示を見学。スズキが最初に作ったオートバイは、自転車に織機の技術を応用したエンジンをくっ付けたもの。1950年から開発されたオートバイも徐々に進化していった。

 軽自動車の展示も見学。日本で初めて作られた量産型の軽自動車、スズライトが展示されている。今、街で走っていてもオシャレと、デザイン性を褒める2人。

 

 1960年代に入ると、一家に一台自動車をもつ時代になり、歴史館では近所の人が覗きに来る様子を再現している。一軒家のジオラマの前に、車が置いてある。家を囲むブロック塀の穴から、等身大の女の子が車を覗いている、というセットが組まれている。

 女の子にならって穴を覗き込むと、家の中から住民・夫婦と子供たちが出てくる映像が見える。くっすんが家の前にある車の後ろに立つと、あら不思議、映像の中に入り込む。

 河田アナが「この物語にちょっと参加してよ。」と言うので、演技を始めるくっすん。なんとか参加しようとしゃべるが、まったく映像の家族が反応してくれないので、「この人たち、みんな僕を無視するんですよ。」とすねる。とそこへ、車の上に猫が飛び上がり、ちょうどくっすんが移り込んでいる位置にきたので、ビックリした。

 

 歴史館を後にして歩いていると、お腹が減った2人。『餃子』と書かれた看板のお店を発見、開店前に人が並んでいる。餃子とラーメンで有名らしいので、2人も行列に並ぶ。

 

待つこと20分、『喜慕里』にて昼食。まずは、河田アナ・くっすんともに『ぎょうざ 小』を食べる。浜松餃子には、もやしが付いてくる。第二次世界大戦後に中国からの帰還兵が、現地で食べた味を再現したのが始まりといわれる。お味は、お肉より野菜の味が主張していると河田アナ。

 続いて、河田アナはトリと豚がベースの『しょうゆラーメン』を、くっすんは『みそラーメン』を食べる。「アルデンテ、ちょうどいいかたさです。」とくっすん。

 2人はお昼早めにきたのですぐに食べられたが、ラーメンを食べているときには、並んでいる人がいっぱいになっていた。

 

 お昼をすませ、旧東海道を西へ歩く一行。すると、『昔のうなぎ屋』という看板を発見する。浜松の名物は、ウナギだと思い出した2人。すでにお腹はいっぱいだが、せっかくだから食べたいところ。舞坂宿まではまだ距離があるので、道中で食べようかと、まとめる河田アナ。

 

 そんなとき、スタッフさんからウナギは高級品なので、簡単には食べられない(食べさせない)と言われる。河田アナは、「視聴者の皆さんのためにも、ちゃんと、ホントに美味しい浜松のウナギ、お伝えしよう。」と、強引に食べる方向に舵を切る。

 するとスタッフさんは、2人がうなぎと言い出すと想定していて、簡単には食べさせるワケにはいかないので、2人に頑張っていただこうかと、曖昧に告げる

 

 スタッフさんの『想定』という言葉に、少々ひっかかりを覚えた2人であったが、何を頑張るのか教えられないまま、後編へ続く。

 

 

 

【30宿目・後編】 2020年04月10日(金)放送 

旅の内容:●浜松宿  舞坂宿▲ヌルヌルとニョロニョロにたじたじいつか食べたい高級食材★殺風景な宿場には彩りを


午後:1:30、静岡県浜松市、道中でうなぎの店を見つけ、食べたくなった河田アナとくっすん。うなぎ屋さんの喚起口から、うなぎの蒲焼のいい香りがもれてくる。

 

 お庭でドッジボールで遊んでいた、マスク着用女の子2人に声をかけてもらう。この春から小学3年生で、習字にチャレンジしてみたい。

 黄色いマスクの女の子は、自分の名前に『優』という漢字が入っているので、『優しい』という字を書いてみたいとのこと。

 

 さらに、以前は滋賀県に住んでいた、地元の女性に「河田アナウンサーですよね?」と声をかけてもらう。よくあることだが、くっすんは名前を忘れられていたので、背中に背負う『く』の文字の入った菅笠を見せてヒントを出す。しかし、『クッキー』ぐらいしか思い浮かばない。

 記念に河田アナとの2ショット写真を、くっすんが撮ってあげて、別れ際に「あの、僕の名前はくっすんです。」と思い出させた。

 

スタートから13.5キロ、何も知らされていない2人が、スタッフさんがアポをとっていた、謎の場所に到着。浜名湖養魚漁業組合の小川さんに、浜名湖周辺で養殖されたウナギの、選別作業をしている場所だと知らされる。

 スタッフさんのたくらみで、ウナギの選別作業のお手伝いをすることに・・・。「え~。」と声をそろえ、できるかどうか不安がる2人だが、とにかくチャレンジ。

 

 浜松はウナギ養殖発祥の地とされ、明治33年に、服部倉次郎が静岡県西部の浜名湖でとれた、ウナギの稚魚を育てたことに始まる。昭和46年に、卵から育てる養殖方法に成功し、全国各地に養殖技術が広まった。

 

 車で運んできた大量のウナギが降ろされ、選別する作業場の横にあるウナギ入れに、ニョロニョロとひしめき合っている。ウナギ入れから流れてくるウナギたちを、小・中・大と3つの大きさに分別するミッション。

 作業台で、小サイズならそのまま、中サイズなら手で掴んで前の溝に投げ込み、大サイズなら掴んで奥の溝に投げ込む。

 

 ゴム手袋をしてウナギを掴もうとするが、ヌルヌル滑って全然もてない。ヌルヌルとニョロニョロにビビッて、大声をあげる2人。くっすんの雄たけび声が大すぎたので、「うるさいなあもう、ビックリするやん。」とマジで怒る河田アナ。

 

 選別するどころか、ウナギに翻弄される2人。ベテラン選別人に、ウナギの掴む場所を教えてもらう。ウナギの頭に近いエラの,くぼんでいるところを掴むのがコツ。

 教えられたとおりにやってみると、なんとかウナギを掴むことができて、ぎこちないながらも選別できるようになる。隣でベテラン選別人たちがひょいひょい簡単に選別しているのを見て、全然できませんよと視聴者に訴える河田アナ。

 

 そんななか、ウナギを掴んで放り投げる作業に、徐々に楽しさを感じる2人。はじめは思うようにいかなかったが、後半は慣れて様になり選別作業に没頭する。

 

没頭すること15分、お手伝い終了。していたゴム手袋は、ウナギのヌルヌル成分がべっとり。河田アナとくっすんの上達ぶりに、「スカウトしたいな。」と最後に小川さんお褒めのお言葉をいただいた。

 

 ウナギを選別を見事にやってのけ、ご褒美のウナギを期待しながら歩く2人。すぐにウナギが食べられると期待していたが、その前に、もう1つある浜名湖の養殖で有名な生き物を飼っている場所にいってもらいたい、とスタッフさんのお願い。

 話しがちがうちがうやんか、と河田アナ。スタッフさん曰く、「ちょっとお二人が選別はできないと思ってたんで、予想外にお二人ちゃんとやりはったんで・・・。」。実力を見くびられたので、河田アナは「やるときは、やるよ。」と言ってやった。

 

スタートから14.5キロ、『服部中村養鼈場』に到着。2人とも、会社入口の看板の『』という漢字が読めなくて、何を飼っているのか分からない。

 養鼈場の服部さんに案内され、屋内にある水槽の元へ移動する。水槽から引き揚げられたのは、亀。その正体はスッポンだと判明する。

 

 ウナギの養殖を始めた服部倉次郎は、もともとはスッポンの養殖をするために、浜松を訪れた。東京で養殖の研究をしていた倉次郎は、安定した温暖な気候の浜松が、スッポンの養殖に最適な場所だとにらみ、明治33年に養殖所を作った。スッポンの養殖技術は、後にウナギにも活用されるようになった。

 

 巨大なスッポンに育てるには、10年くらいかかる。出荷するには3~4年かけて、0.5~1.2キロくらいまで育てる。また、毎年冬眠させて自然に近い状態で飼っているので、養殖だけど旬があるとのこと。

 服部倉次郎の子孫が経営する、服部中村養鼈場ではウナギとスッポンの両方を育てていたが、昭和43年にスッポンのみに専業化した。

 

 巨大スッポンをもっていた服部さんが、「持ってみます?気をつけないと、指とれちゃうけど・・・。」とさらりと怖いことを言う。ちちんぷいぷいのムツゴロウさんことくっすんも、かなりビビりながらスッポンを渡してもらう。甲羅の下の方を両手で持っていたが、スッポンの首が反り返ってびよーんと伸びてきたので、ホントに怖くてトリッキー。

 「河田さんどうぞ。」とパスしようとするが、距離を2メートルとられて、ノーサンキュー。ますますスッポンの首が伸びて、指に届かないかと恐怖で絶叫するくっすん。そんな中、小さなスッポン2匹を持って、オスとメスの違いを伝えるマイペースな服部さん。

 

 巨大スッポンを服部さんにお返しし、一安心のくっすん。ちなみに、巨大スッポンは子供をとるために育てているので、出荷しないそう。

 2人は、いつかスッポンが食べらるよう出世したいな、と思うのであった・・・。

 

 ウナギの選別作業とスッポンの取材という、スタッフさんのお題をクリアし、いよいよウナギが食べられるとウキウキ。スタッフさんが探した、この場から近いウナギのお店へ向かう。

 だがしかし、やっぱりというか、ある意味期待通りの定休日。河田アナはスタジオの金曜レギュラーの皆さんに、「このコーナーってね、このパターンすごく多いんですよ。行ってみたら定休日っていう。」と教えてあげる。

 諦めがつかない河田アナとくっすん。この付近に他にはうなぎ屋はない、というスタッフさんの声を疑い、自分のスマホでうなぎ屋さんを探す河田アナ。でもやっぱり無かった・・・。ウナギ実食は、次回のロケに繰り越し。

 

スタートから16キロ。目的地の舞坂宿に到着。日本橋から数えて30番目の宿場で、浜名湖の対岸へ行くための湖船場としての役目をもっていた。

 歌川広重の舞坂宿の浮世絵が描かれた場所まで、舞坂宿郷土資料館の荒熊さんに案内してもらう。

 

 浜名湖のほとりで、絵では湖の右奥にどっしりとした山が描かれているが・・・、実際には存在しない。実際に見える風景が殺風景だったので、広重お得意の捏造誇張表現を加え、さらに山の奥に、別角度の富士山もちょっぴり見えるように付け足した。「やりたい放題ですね。」とくっすん。

 最後に、荒熊さんに通行手形を書いてもらい、舞坂宿の通行許可をいただく。こうして東海道五十三次・30宿目の浜松宿への旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:静岡県浜松市・浜松城 →『龍雲寺』(4km) →『スズキ歴史館』(6km) →昼食:『喜慕里』 →『浜名湖養魚漁業組合』(13.5km) →『服部中村養鼈場』(14.5km) → 目標地点:舞坂宿 (16km)

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』26宿目~28宿目のまとめ。

【26宿目】 2020年02月13日(木)放送 

旅の内容:●日坂宿  掛川宿メラメラジェラシー燃えるくっすん?!■規格外?!ジャンボ獅子舞戦国武将クスノキ?!いざ掛川城へ
スタートは静岡県掛川市・日坂宿[本陣跡]。目標点は静岡県掛川市・大池橋。約10キロのコース。

午前8:00、静岡県掛川市、日坂宿にある本陣跡からオープニング。朝から雲一つない快晴で、ロケ日の天気予報は晴れ。くっすんが、「最高のあゆ、あ、あ、あゆ・・・、まあいいです。」と何かを言うことを諦めた。本当は、『歩き日和』と言いたかった。

 

午前8:10、快晴だけどやっぱり寒い、とくっすん。河田アナは、たかが知れていると平気。

 ジョギング中の74歳のおとうさんに出合う。ジョギングはしょっちゅうされていて、南アルプスなど本格的な山登りをするほどお元気。おとうさんの付け根をしつこく触って、筋肉の付き具合を確かめるくっすん。

 登山での相方は奥さんとのこと。はたから仲良く見えていても、実際にはオシドリのつがいは仲悪いらしく、そんなオシドリ夫婦な関係とおっしゃるおとうさん。「山の頂上で、お尻で落とし合って・・・。」などと、照れ隠しなのか御冗談なのか。

 

 歩いていると、くっすんがリュックサックから妻から託されたバレンタインチョコを取り出し、河田アナに渡す。なんと”GODIVA"のチョコレートで、「僕、妻から貰ったの、”たけのこの里”ですよ。」と不満を表すくっすん。カメラ越しにくっすんの奥さんへ、お礼を述べる河田アナ。

 そして、メッセージ入りのカードがチョコに添えられており、なんて書いてあるのかとーても気になるくっすん。なんとなく見せたくない河田アナと、なんて書いてあるか、しつこく教えてと言うくっすん。メラメラジェラシーが燃え上がり、不機嫌。

 

 一件落着・・・かと思いきや少し間を置いて、「手紙、なんて書いてたんですか?」と、ぶり返すくっすん。絶対言いたくない河田アナ。

 

2人の間に微妙な距離ができたところで、

スタートから6.5キロ、日本一大きなあるものがある、天然寺に到着。1494年に創建されたお寺で、さっそく裏手にある建物で巨大な獅子頭を拝見する。獅子頭の指導役・大井さんに解説してもらう。

 獅子の胴体は25メートル×15メートルと規格外。

 3年に1度、10月に開催される掛川大祭で、この巨大獅子舞が披露される。掛川大祭は江戸時代から続き、掛川市中心部7つの神社の氏子町41が参加し、各地区で多彩な出し物が披露される。

 

 祭りの過去の映像を見て、獅子舞の巨大さに度肝を抜かれる2人。胴体を竹竿で支え、総勢200人がかりで獅子を担ぐ。

 

 巨大獅子舞爆誕

 江戸時代末期、天然寺の住職が伊勢に旅に出た。そこで、大きな獅子を大八車に載せて練り歩く姿を目にした。地元に戻った住職は、もっと大きく、さらには人の手で獅子舞を披露したいと、試行錯誤の末に完成させた。

 

 お祭りのクライマックスには、天然寺で舞が奉納され、獅子の金歯を奪い合う。ゲットした金歯を、魔除けとして玄関などに飾る。

 

 せっかくだから、河田アナ・くっすんが2019年10月にちちんぷいぷい20周年を祝い挑戦した、獅子舞の映像をタブレットで、大井さんといっしょに巨大獅子頭の前で見る。

 2人で流した涙やら汗やらが思い出され、すぐに泣くくっすん。大井さんも本格的な獅子舞に感心された。「次は我々2人でこれ(巨大獅子舞)を・・・(やりましょう)。」と高ぶるくっすんであった。

 

 天然寺を後にした後、2人で挑戦した獅子舞から、チームワークが大事だなと再認識したくっすん。河田アナに道端ですみませんでしたと謝り、さらに土下座する。何に対して謝っているのか分からない河田アナであったが、バレンタインチョコの件で嫉妬に狂っていたことへの謝罪だった。

 

スタートから7キロ、掛川宿[掛川本陣通り]に到着。酒場やラーメン店など14店舗が14店舗軒を連ね、夜になると賑わう本陣跡。掛川宿は、江戸時代に本陣2軒・旅籠約30軒が建ち並んだ。そばにある掛川城の城下町として栄えた。

 

 コンパクトな掛川城を眺めていると、英語で”SAMURAI NINJYA SHOP”と書かれた『鎧屋』なる面白そうなお店を発見する。吸いこまれるように入店すると、豪華絢爛な武者鎧がずらりと並んでお出迎え・・・。

 

 CM明け・・・、午後1:20、静岡県掛川市、掛川城の目の前にある鎧店に入ると、ずらりと武者鎧が陳列されていて、拝見する。真っ赤な真田幸村タイプの鎧は368,000円。徳川家康タイプの鎧は1,815,000円で、車が買えちゃう。

 

 店主の重田さんに、鎧の解説をしてもらう。

 鎧は武具として使うだけでなく、神様と位置づけされるほど大事なモノ。幸村さんの鎧が赤いのは、魔除け・厄除けの意味を込められている。身につける者の思いや願いなどが、色や形で表現されている。

 

 鎧屋では鎧を売るだけでなく、レンタルも行っている。掛川城は昔の状態に近く再建されているので、甲冑を着て城に登っていくことで、昔の人の大変さを体験できるとのこと。

 ここでくっすんが、徳川家康モデルの金色の鎧(久能山東照宮所蔵を元に作られた)(1,331,000円)を着てみたいと言い出す。本物の純金を貼った、ゴージャスアーマー。高価な鎧のレンタルは、傷つけないよう細心の注意をされたし。

 

 黄金鎧を着つけてもらったくっすん、馬子にも衣裳と言ったら失礼だが、有名武将かと見まごうほどカッコいい。約18キロの鎧の重さが、くっすんの全身にズシリ。だけど、機能的に動けるとC-3POのごとく機敏に動いてみせる。

 

 太陽の光を浴びてキラキラ輝く金色の武将・くっすんは、足軽河田を従え、意気揚々と掛川城へ向かう。

 

スタートから8キロ、掛川城に到着。へろへろになって、入口の階段を上るくっすん。掛川城の天守に近づくと、石垣の上にいる何者かに鉄砲で狙われ、ビビる2人。 

 その正体は、掛川城戦国おもてなし隊リーダーの服部さん(忍者名)で、年齢はもうすぐ460歳(永禄3年生まれ)とのこと。服部さんとともに、天守への階段を上る。130万円の鎧を着ていては、さすがのくっすんも寝転がれない

 

 掛川城の天守は、1590年に山内一豊によって築かれた。その後、江戸時代の地震で倒壊したが、平成6年に本格木造天守として日本で初めて復元された。市民から寄付を含め、11億円で建てられた。

 

 天守前の高台から、掛川城下町を見下ろす。重い重い鎧で天守前まで上ってきたくっすんは、昔の人はこんな重い鎧を着て死にもの狂いで戦っていたのかと、身をもって知った。

 本日のゴールはまだ先だが、天守前で忍者に通行手形を書いてもらい、掛川宿の通行許可をいただく。

 

 130万円の甲冑を返却し、

午後2:30、浮世絵の描かれた場所を目指す。朝は妻の河田さんの関係を疑い、昼から甲冑を着て、疲れたとぼやくくっすん。

 

スタートから10キロ、目標地点の大池橋に到着。掛川市倉真川に架かる大池橋を、広重は掛川宿の浮世絵として描いた。現在の橋は、昭和36年に架け替えられた。

 

 前回もお世話になった、『浮世絵美術館 夢灯』の館長さん・武藤さんに、橋のたもとでお話しをうかがう。

 橋の向こう側に火防の神様を祀る秋葉神社があり、今でも火防のお札を各お宅に配っている。掛川宿は江戸時代に、秋葉詣での玄関口として賑わった。

 

 浮世絵には、秋葉神社のある秋葉山が描かれている。河田アナとくっすんには、浮世絵の描かれた場所から見て、秋葉山の姿はどこにも見当たらない。実際には、山は40キロも奥に離れていて、秋葉街道を歩いていてもほとんど見えないとのこと。広重お得意の脚色だと、ざわつく2人。

 

 広重は掛川宿で多く見られた秋葉詣での旅人の他に、名物の丸凧を空に描いている。丸い凧は、ここら辺を象徴する名物として、数々の浮世絵に描かれた。今でも、保存会を中心として、丸凧揚げが行われている。

 人の手から離れて、空を漂っている丸凧に、広重の遊び心を感じる河田アナ。江戸時代に、凧揚げをして子供たちが喜んでいるという風景が広がっていたかもしれない。

 

 武藤さんと別れ、大池橋を渡らんとする2人。

 こうして、東海道五十三次・26宿目の掛川宿への旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:静岡県掛川市・日坂宿[本陣跡] → 天然寺 (6.5km) → 掛川宿[掛川本陣通り] (7km) →『鎧屋』→ 掛川城 (8km) → 目標地点:大池橋 (10km) 

 

 

 

【27・28宿目】 2020年03月05日(木)放送 

旅の内容:●掛川宿  袋井宿  見附宿街道の達人?!現る■ど真ん中で感動の再開?!★太鼓の達人?!魂の叫び


スタートは静岡県掛川市・大池橋。目標点は静岡県磐田市・見附宿[旧見付学校]。約15キロのコース。

午前8:00、静岡県掛川市、大池橋のたもとからオープニング。ロケ日の天気予報は、晴れのち曇り。27宿目の袋井宿が、ちょうど東海道の真ん中。今日は、1日でさらに先の宿場・見附宿まで歩くダブルヘッダー。

 

 ダブルヘッダーに、ゆっくりいきたいと嘆くくっすん。

難なく、静岡県掛川市から袋井市へ入る。「袋井に入った~。」と雄たけぶくっすん。歩きながら、前回の掛川宿の浮世絵をおさらい。特徴的なのは、凧揚げしている姿が描かれているところ。

 

 その丸い形の凧が、『袋井 丸凧』。袋井を舞台にした数多くの浮世絵に描かれており、江戸時代から凧揚げが盛んだった。

 しかし、次第に丸凧は衰退し、姿を消していった。そこで、昭和62年に袋井丸凧保存会が発足し、伝統の丸凧復活に努めている。

 

スタートから5キロ、丸凧保存会の方々と待ち合わせしている、だだっぴろい場所に到着。

 保存会の会長・太田さんに詳しいお話しをうかがう。

 33年前に再現した丸凧は、獅子と牡丹が鮮やかに描かれている。会長さん曰く、丸凧に出会う前は自分の顔が四角だったけど、出会って丸くなっちゃたとのこと。

 凧が丸いと、風が強くても揚がる。四角い凧だと、強風で壊れることもある。静岡県西部にある遠州地域では、山々から吹き下ろす冬の強風が特徴で、それを『遠州のからっ風』と言って、丸凧にもってこいである。

 

 だがしかし、運悪くこの日に限って無風だったので、「これは君たちがね、(日頃の)行いが悪いから・・・。」と会長さんのお言葉。

 仕方なく、走って自力での凧揚げに挑戦する、チームむかえら。くっすんがヒモをひっぱりながらちょっとダッシュしてすぐコケて、でも丸凧は揚がる。すぐさま起き上がり、どんどん走ってヒモを引っ張り続ける。

 と・こ・ろが、最後にはくっすんが止まってしまい、丸凧は河田アナに向かって墜落してくる。すんでのところで、直撃を避けたが、勢いよく転んでしまう。「何すんねん、危ないやんか。」とお怒りの河田さん。

 会長さんは、くっすんの凧揚げテクニックを、「たいしたもんだよ、褒めてとらす。」と評価してくれた。

 

スタートから8キロ、袋井宿に到着。江戸時代に、本陣3軒・旅籠50軒が建ち並んだ。ただ、東海道開通時には、袋井宿は存在していなかった。掛川宿から見附宿の距離が長かったので、1616年に新設された宿場である。

 東京・日本橋から数えて27番目、京都から数えても27番目。これすなわち、東海道のど真ん中。

 

 広重の袋井宿の浮世絵に描かれているお店を元に作られた、『東海道どまん中茶屋』は、現在東海道を行き交う人を癒してくれる休憩所となっている。

 2人が茶屋の外にあるベンチで休憩していると、むかえらファンの男性に写真をお願いされる。くっすんと河田さんの動画面白かったので、前シリーズ・修行編など、GYAO!の無料配信で視聴していたとのこと。静岡圏内の熱心なファンは、ぷいぷいホームページで確認しながら、2人が来るのを心待ちにしていた。いっしょに記念撮影してお別れした。

 

 その後、どまん中茶屋のガイド・若松さんに、地元のお茶をごちそうになる。茶屋には、平日で3・4人、土日ともなると10人くらいの東海道ウォーカーが訪れる。

 若松さんに袋井宿の通行手形を書いてもらおうとしたところ、袋井宿の名物おじさん・その名も『街道の達人』に書いてもらうのが相応しいだろうと紹介される。

 

 街道の達人がおわす、『クリーニングの青島商会』を訪ねる。すると、名物おじさんこと、青島さんが出迎えてくれた。『健康優良ジジイ』を自称し、『歩中(アルチュー)人生』を歩む、街道歩き専門の方。

 現在78街道目を歩いているところで、東海道などは6回歩いたという猛者。

 30代前半から奥さんと全国各地を旅して回り、40年以上街道歩きを続けている。目標は、100街道制覇。

 

 くっすんと河田アナは、『よく来てくれた』とたいそう歓迎され、青島さんオリジナルの、『東海道袋井宿通過証明書』と、どまん中茶屋と書かれた通行手形を、1人に1個ずついただく。

 

 現役バリバリの街道の達人は、東海道はかつて徳川家康も歩いたとか考えたら、「夢がいっぱいだに。」とのこと。

 なんと、達人は街道を歩いていて、しんどいとか膝が痛いとか全く思ったことことがない。すぐに思うくっすんのことを話したら、「そりゃわがままだ、そんなら歩かん方がええ。」と叱られる。でも、「ぜひ、完歩しなよ。」と励まされる。

 さらに記念品を追加しようとする、名物おじさんこと青島さんに通行手形を書いてもらい、袋井宿の通行許可をいただく。

 

 CM明け・・・午後0:50、静岡県西部の袋井宿を歩いていると、2人はなんだか見覚えのあるお店を発見する。一年前に全国修行場めぐりシリーズで、親切でにぎやか?なおねえさんが、招き入れてくれてとても歓迎してくれた記憶と、ご馳走になった豚足の味が、すぐによみがえる。

 

 せっかくだから、『ヤマジ酒店』の自動ドアに吸いこまれるように入店、ウワサのおねえさんは2人のことを覚えてくれていて、めっちゃウエルカム。「また、食べてっちゃう?×2」と、もう熱烈。東海道を歩いてきて、ようやく半分と手短に説明したところで、「『おもろ』を食べていきますか?」と言われ、お誘いをうける。

 

 酒屋のとなりにある居酒屋で、1年前にも食した『おもろ』をいただく。おもろは、袋井発祥の豚足料理。こちらでは、毎朝4時から弱火で煮込んだ看板メニューである。

 くっすんは故郷の味だと、1年前食べたことを懐かしむ。河田アナは、とろける食感を楽しむ。

 

 肴のアテにもってこいの『おもろ』に、お酒をすすめられるが、「仕事中ですから。」と断る河田アナ。「え~。いっちゃう、いっちゃう?」のおねえさんの声に、困っちゃう。

 そして、「ぷはぁー、最高や。」と言いつつ、ビールのテレビCMさながらにノドを潤す河田アナ。いや、もう(ビールの入ったジョッキが目の前に)置いてあったから、おもわず手が伸びましたと弁解する。

 

 東海道のおかげで再会できたことを、お互い喜び合う。「覚えててくれるもんですね。」というおねえさんに、「あのね、これだけインパクトのある方、あんまり静岡にいらっしゃらないので、忘れられないんですよ。」と応える河田アナ。

 ご馳走とトークで、お腹と心を満たした2人は、「京都まで、頑張ってくださーい。」と送り出される。

 

午後1:45、3歳の娘さんを連れた、お母さんに出会う。大阪出身で、実家に帰ったら、いつも『むかえら』を見てくれているとのこと。今、東海道を歩いていることをご存じで、いつ来はんのかなっと思っていた。

 さらに、1年前に2人が袋井界隈を歩いていたことも、情報提供してもらって知っていた。

 

 なんやかんやで、あっという間に静岡県袋井市から磐田市に入り、

スタートから15キロ、目的地の見附宿に到着。京都から江戸を目指した旅人が、進行方向にはじめて富士山を見つけたことから、『見附』と呼ばれるようになった(諸説あり)。

 

 見附宿の案内板から少し歩き、

午後3:00、『旧見付学校』に到着。明治8年に建てられた木造校舎で、現存する日本最古の洋風木造校舎として、国の史跡に指定されている。

 大正11年以降、裁縫女学校や教員養成所などに活用された。現在は、当時の教育に関するものを展示する、資料館となっている。

 

 旧見付学校の館長・匂坂さんに校内を案内してもらい、歴史的価値のある、大太鼓を拝見する。校舎の完成記念に寄贈された『酒井之太鼓』で、明治・大正時代の学生が交代で太鼓を打ち、朝と昼の時間を知らせていた。

 

酒井之太鼓

 1572年の『三方ヶ原の戦い』で、武田軍に敗れた徳川家康は、浜松城に追い込まれた。そのときに、家臣の酒井忠次が太鼓を打ち鳴らした。すると、太鼓の音を聞いた武田軍は、罠ではないかと警戒して撤退した。

 

 今回は特別に、太鼓を打たせてもらうことに・・・。大役を務めるのは、くっすん。せっかくだから真剣にやりたいと、上半身裸になるくっすん。鍛え上げた?くっすんのお腹を見て、「ようそれで服脱ぐって言うたなぁ。」とツッコむ河田アナ。

 お腹はぽよんぽよんだが、腕の筋肉はそれなりにあるようで、一応それなりにできてる感じに、太鼓をどんどこ・どんどこリズミカルに叩く。ちょっと悪意あるカメラが、太鼓を叩いてる最中の揺れるくっすんのお腹にズームインする。

 

 見事演奏しきった後、うまいんかヘタなんかよう分からんと、コメントに困る河田アナ。館長さんは、「私は感動しました。」とのこと。

 最後に、館長さんに通行手形を書いてもらい、くっすんが後ろで太鼓を連打するなか、見附宿の通行許可をいただく。

 こうして、東海道五十三次・28宿目の見附宿への旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:静岡県掛川市・大池橋 → 袋井宿 (8km) → 『東海道どまん中茶屋』→『クリーニングの青島商会』→『ヤマジ酒店』→ 目標地点:見附宿 [旧見付学校] (15km) 

2020年02月18日(火)、京都府福知山市にある、福知山城に登り、『福知山光秀ミュージアム』を訪れた。あまり時間がとれなくて、両方合わせて1時間でまわった。時間があるときに、書物などの資料をじっくり拝見したいところ。

 あと、2020年のうちに、京都などの明智みっちゃん・細川ガラシャゆかりの場所へ行きたいです。

 

 

 

午前中のJR『和田山駅』

この日は今年最強の寒波で雪になると言っていたが、交通機関の乱れはそれほどなかった

 

福知山市役所から福知山城を望む

 

昇龍橋

 

福知山城天守裏手

 

福知山城記念撮影スポット

ひろこさん・光秀くん

 

福知山城天守正面

 

天守からの眺望

 

 

 

福智山城(福知山城)御城印をGET

明智光秀ゆかりの城 続日本百名城 登城記念

 

ついでに続日本100名城スタンプもGET

のりにのっている福知山城だけにインクの出がいいです・・・

 

 

福知山光秀ミュージアム[福知山城公園内佐藤太清記念美術館内2F]

平日なのでそんなに混んでなかった