-洒落っ気-
錬太郎が息を少し弾ませ戻ってきた。
「出ていったと思ったら、あっという間に遠くへ消えていったよ。なんだ、あいつ」
錬太郎がカウンタに腰を下ろした。
タマさんは無表情のまま言った。
「まぁ、いいじゃないか。消えたんだから。錬ちゃん、何か飲む?」
「coffeeでいいや」
タマさんはくるりと回り錬太郎に背を向け飾り棚にあるボトルを取り出しながら言った。
錬太郎が息を少し弾ませ戻ってきた。
「出ていったと思ったら、あっという間に遠くへ消えていったよ。なんだ、あいつ」
錬太郎がカウンタに腰を下ろした。
タマさんは無表情のまま言った。
「まぁ、いいじゃないか。消えたんだから。錬ちゃん、何か飲む?」
「coffeeでいいや」
タマさんはくるりと回り錬太郎に背を向け飾り棚にあるボトルを取り出しながら言った。
「知ってる?錬ちゃん。貴方がいつも飲むバーボンって下品なのよ。あっ、これって“聖なる酒場の挽歌”ローレンス・ブロック/田口俊樹訳にあるの知ってるでしょ。“バーボンて下品になるのが好きな紳士の飲み物なのよ。スコッチはヴェストとネクタイと進学予備校。バーボンは自分の中の獣を外に出したがっている愛すべき男たちの飲み物なのよ。暑い夜にじっとしてて、汗なんかかいても気にならないっていうのがバーボンなのよ”」
キャロリンのご託宣を紳士らしく聞いているのは、マンハッタンを根城にするアル中の私立探偵、マット・スタイガー。彼はほとんどの場合、コーヒーを甘くするため、そして一日中ほろ酔い加減でいたため強い酒を敬遠して、バーボン入りのコーヒーを飲む。それをケンタッキー・コーヒーと呼ぶことを、彼が主人公のシリーズの最高傑作“聖なる酒場の挽歌”に書かれている。
タマさんは何故いまバーボンの話をし始めたのだろう?と錬太郎は思った。
「私は下品な男が好きよ。紳士だけど、獣を外に出したがっている男。フフ」
70を越えた女性とはとても思えない艶やかなタマさんの表情を錬太郎は見た。
「だけど、私もバーボンが好きで男より獣の部分を出したがっていたのは私かもね。アハハ。だから男が引いちゃうのよね♪そんなときはいつもアドリブよ。決まった殺し文句なんかないし、自分をどう見せたら気に入ってもらえるかとか綺麗に見えるかなんて考えもしない」
錬太郎は、タマさんの顔の皺を見ながら話しに聞き入った。
さっきの若者のことなどすでに忘れ掛けていた。
「だから、結局この年になっても独りなのかもね」
悪戯っぽい目でタマさんが話続けた。
「それで、砂浜を歩いていて思ったの。“アドリブ”って私の人生そのものよ。流れ流れてきた流木。朽ち果てて誰も見向きもしない。なんだかとても親しみを感じて自分の姿を描いてみようと思ったの。洒落気よ」
錬太郎が煙草に火を点け煙を燻(くゆ)らせ
「タマさんの人生。生き方かな。あの流木で形作った“アドリブ”を見た人もアドリブ、台本などないからね。人生に台本なんてあったらツマラナイよね」
と言った。
タマさんはすぐに答えるでもなくcoffeeを入れカウンターの椅子に腰を下ろし、二人はゆっくりとカップを口に運んだ。
タマさんの背中が少し丸く見えた。
皺くちゃの目じりの皺(しわ)は人生の全てを知り尽くしているかのように、夕日に照らされ堀を深くした。
「錬ちゃの言う通り、私の人生アドリブよ。自分の思った通りにいくことなんか無かった。そんな恋、結婚もね」
タマさんは自分の過去について話したことは無かった。
フォリナーのマスターもタマさんに聞くことはしなかった。 なんとなく、それがルールのようになっていた。
ただ、タマさんとの会話から波乱な人生を伺わせる言葉が、他愛も無い会話の端々から窺い知ることはできた。
「もともと、人なんてアドリブ。生きること、日々の生活そのものがアドリブだと思うわ。だから、あの流木で描いた“アドリブ”を見た人も台本にはない台詞を即興的に話している。何かを感じて欲しかったのよ。誰かにね」
と言いタマさんはバーボンをcoffeeに注いだ。
ケンタッキー・コーヒーだった。
錬太郎はタマさんの話しを聞きながら自分の人生と重ねた。
人は失敗し、学習し次に始まる明日をより幸せに生きていけるよう、少なからず努力している生き物だと思っていた。
なぜ人は同じ失敗を繰り返すのだろうか。
錬太郎は思った。
人は学習すると言っても“記憶”を素にしているはず。
その“記憶”が無いと叫ぶ男、記憶が呼び起こし消し去られることに怯える感覚や知覚。
いったい何なのだと。
タマさんは、長い人生の中で多くの経験をして来た。
恐らく誰よりも、幸せな明日を望み同じ過ちを繰り返すことが無いようにと願わないはずはない。
しかし、タマさんは自分を素直に受け入れ学習という言葉すら無意味になるほど深い人生を歩んできたように錬太郎は感じた。
錬太郎が言った。
「タマさん。タマさんは幸せになりたいと思っていたの?」
するとタマさんは
「幸せになりたいとは思わなかったわ。私が生かされる場所を探していだけ。それが幸せかな?だから誰にでも正直に隠さず素直に全部曝け出して生きていた。後になって嘘をついていたなんて思われたくなかったし後悔するのもいやだった。どんなに辛くても“神の切り札”だけは使いたくなかった。どんなにぼろぼろになっても私が生きている以上、流され続けても生きていかなきゃ今まで精一杯頑張ってきた自分を捨てることになるのよ。だって、自分をほっぽり出したらこの世界の居場所が無くなるでしょ!」
錬太郎は頷いた。
「タマさん素敵だよ。俺そう思う。ところで"神の切り札"って?」
と錬太郎が聞くとタマさんが
「あら!錬ちゃん。どうしたの?おばあちゃんに惚れた?"神の切り札"かい?アハハハハハハ」
と高笑いし答えなかった。
「ならタマさん“記憶”って何だろう」
と錬太郎が言った。
「そうだねぇ。一つだけ言えるね。当てにならないものよ。“記憶”って作られちゃうのよ。子供の頃の記憶は得にそう。今の世の中ビデオを撮って記録してるじゃない。それを子供に見せると“幸せ”ってこうなんだとか、自分は幸せな時を過ごしていたんだと記憶しちゃう。でも、記憶するって頭の中に“情報”として残っているものじゃないのよ。私はそう思ってる」
錬太郎は次に出るタマさんの言葉が分かり始めていた。
「人間の記憶って“意味”として残しているのかもね。何か意味付けがないと記憶としては残らないのよ。機械なんかは単なる“情報”として残るけど、人間は"意味付け"がいるんじゃないかなーって」
タマさんの話を聞いて、錬太郎は目覚めたように話し始めた。
「そうだよ。タマさん。分かる。俺、学習って言葉。だから嫌いなんだ。あっ、それは違うか。タマさんの話、わかるような気がする。うんうん」
二人はいつに無く言葉が弾んでいた。
辺りはすっかり暗くなっていた。
つづく



