-アドリヴ-
翌日の朝10時過ぎ、自室のデスクに座り昨夜の酒がまだ残っている身体に濃いコーヒーを流し込む錬太郎。
ゆっくりと立ち上がり、いつものように頭を掻き毟り窓から顔を出し外の景色を見た。
天気は良い。
今日は午後から海に行こうと決めていた。
昼過ぎ、錬太郎はおんぼろのGTOを労わりながら2時間ほど走らせ、人気の少ない海岸に着いた。
潮風は少し肌寒く感じられた。
錬太郎の鈍った頭を冷やすには丁度良かった。
時折沖を眺め波際をゆっくり歩いていると、何やら流木で描かれた文字らしいものを見つけた。
錬太郎が呟いた。
「人生そのものか?予想もしない場所に流れ着き、見知らぬ誰かと巡り逢う。何が起こるか分らないってところか?」
“AD-LIB”。
錬太郎は、流木で描かれた“AD-LIB”を暫く眺めていた。
浜辺を通り過ぎる数人と軽く会釈を交わした後、錬太郎は歩き始めた。
“AD-LIB”はジャズでよく聞く言葉。
楽譜を離れ自由に即興的な独奏や、映画や演劇で台本にない即興的な台詞などを指している。
錬太郎は、この文字を描いた人物に心当たりが無い分けではなかった。
太陽は西に傾き、空がオレンジ色にからピンクに薄く染まり始めた。
錬太郎は海に来るといつも立ち寄る店がある。
車を停めた海岸沿いの駐車場から10分程度歩いたところにある。
水色に塗られた壁は潮風で薄汚れペンキが剥げ落ちていた。
ドアノブも錆び、客も殆ど無い店だった。
ただ錬太郎にとっては、とても居心地がいい店だった。
「タマさん。いるかい?」
そう、ここは疾風のタマさんの店だった。
錬太郎は返事の無い店の中に入った。
店内を見渡したが、やはりタマさんの姿は無かった。
裏庭でベンチに腰掛け居眠りでもしているのかと、錬太郎は裏庭へ回ってみた。
いない。
買出しか?
錬太郎は勝手知ったる何とかで、一人でコーヒーを入れタマさんの帰りを待つことにした。
寝ぼけた柱時計の気まぐれな音、潮風が木枠の窓をくすぐる音。
錬太郎は居眠りでもしているような寝ぼけた目、窓から見える沖を眺めながらタマさんを待った。
30~40分ほど過ぎただろうか。
ギギーッという音を立て、店のドアが開いた。
居眠り仕掛けていた錬太郎は、目をしっかり開け入口を見た。
「あら、錬ちゃん、いらっしゃい♪」
とタマさんが言いながら、流木を入れた袋を持ってドアの傍に立っていた。
「あら、じゃないよ。無用心だなー、鍵もかけないで。それ流木でしょ?そんなに沢山拾ってきてどうするの?」
錬太郎はコーヒーを口に含みゴモゴモと言った。
タマさんが即答した。
「アドリブよ♪」
と。
「あっ、砂浜に流木で書いてあったの。あれ、やっぱりタマさんだな。あたりだ!」
「あら、見たの?そうよ~♪私が書いたの♪凡人には分からないわ。フフッ♪」
悪戯っぽいタマさんの笑いが出た。
「なるほど。でも、凡人の俺でもなんとなく理解できたよ」
と少し胸を張って言った。
「へ~錬ちゃん分るんだ。ふーん♪」
錬太郎をからかう様にタマさんは言った。
タマさんは流木を詰めた袋を無造作に玄関床に置いた。
すると後から一人の若者がドタドタと入り込んで来た。
「腹減ったなー、なんか食わしてくれ!」
とカウンタにドンッ!と座った。
するたタマさんが言った。
「まだ、なんも支度してないし、これから買い出しに行こうかと思ってたんだ。なにも出せないよ!」
すると若者が
「なんだよ、なんか食わせろよ。腹減って死にそうだよ。なんかあるだろう!食わせろ!」
乱暴な口調に、錬太郎は横目で若者を見ながら
「そんなに腹が減ってるなら、近くのコンビニへでも行って何か買って食べたらいいだろう」
と言うと、若者が
「うるせー!てめー!関係ねーぇだろう!それとも何か!お前が食わしてくれんのか?」
と言うと、錬太郎が
「お金持ってんだろう!自分で行って買ってこいよ」
と吐くように言うと、若者は
「ねぇよ!金なんて!あんたが俺に金くれたら出ていくよ」
と言いサバイバルナイフをジャケットの内ポケットから取り出し、錬太郎の顔の前に突き付けた。
「てめー死にたいのか?ん?どうなんだよ?死にたいのか?」
タマさんはじーっと様子を見ていた。
「いや」
と錬太郎が答えた。そして言った。
「わかった。俺がお前を連れコンビニに行こう。俺が食べ物を買ってやるから何でも好きなもの買えよ!そのかわり、この店に二度と来るな!」
若者が突き出したサバイバルナイフを無視したように、錬太郎の眼光は若者に刺さった。
三人に暫く沈黙が続いた。
そして若者がニコリと笑いながら口を開いた。
「わかった。おまえなかなか話が分るじゃねーか。おい!ババァ!いつでも食い物を用意しとけよ!さてと、おい!錬太郎!コンビニへ行くか?」
ん?
錬太郎は不思議に思った。
「お前、なんで俺の名前知ってんだ?」
と錬太郎が言うと、ドアを開け外に出ようとする若者が振り返り言った。
「そんな名前の顔に見えただけ」
ん?
錬太郎が不思議な顔をして
「そんなことあるか?変な奴だ!」
と言うと、若者が
「うるせーなぁ!あんたみたいに生活に困らない人間と俺は違うんだよ。それとも何か?あんたが俺を助けてくれんの?、あんた今何か困ってることないのかよ?」
錬太郎はしばらく沈黙した後、ポツリと一言
「ない」
と、言った。
すると若者は笑いながら
「ははー、そんなこと言っていいのか?俺、知らないよ。今の言葉聞いたからな。後で、何が起きても俺は責任取れないからな。あんたの問題だから。気付くのはあんただ。誰も助けちゃくれない。やり直しも効かない。"キラキラ"は一瞬だけだ!じゃーな!あばよ!」
と捨て台詞を吐き、ドアの外へ出て行った。
後を追うように錬太郎は店の外に出た。
「おい!ちょっと待てよ。なんだよ、今の!おいっ!コンビニはどうすんだ!食わなくていいのか?おいっ!」
若者の背に向かい錬太郎は大きな声で言った。
「コンビニなんかいかねーよ。アハハハ、アハハ、またなぁ」
と笑いながら若者は砂浜の方へプラプラ歩いて行った。
錬太郎の頭の中は混乱した。
"またなぁ"?ってなんだよ?俺が気付く?それにあの若者はなぜ自分の名前を知っていたのか?
自分の頭の中に、今出会った若者の“記憶”は無い。
居酒屋で見かけた男性、そして恭子の言葉、突然呼び起こされる“記憶”
そして、タマさんの“AD-LIB”。
錬太郎をさらに不可思議な世界へ引き込んでいた。
あの若者はいったい誰?
タマさんは錬太郎の背を見つめ一言。
「しまった」
と。
つづく


