三角の空。。。8 | 我ここに在りてここに無し

我ここに在りてここに無し

青きBOUGAの果て

ひとりごとのように

詩と小説を書き綴ります。

何か心に響くものがあれば

それだけで。

 
  
  
  


-小波-  


通り過ぎた年月を振り返り、二人は静かに揺れる琥珀を味わっていた。

暫くして恭子が口を開いた。

「何も聞かないんだね、錬兄。変わって無い。昔もそうだった」

恭子はカウンター飾り棚を漠然と見ていた。

夜月に照らされる海原、その遥か彼方を静かに見つめるように。



 




その瞳は僅かに潤んでいた。

錬太郎はただ

「うん」

とだけ言った。


昔もそうだった。妹のように錬太郎の後をついて遊びまわっていた恭子。

そんな恭子の無邪気な笑顔を、廉太郎は温かく見守っていた気がすた。


バーボンを少し口に含み、胃袋へ流し込んだ錬太郎。

無口が少し解け始めた。

「何も変わって無いよ。ただ歳を取ったっだけ。ひまわりもも同じだろう?」 

グラスをゆっくりとカウンタに置いた。

「錬兄ちゃんらしい」 

恭子は飾り棚を見たまま言った。

「錬兄って言うのはよそうよ。小さい頃恭ちゃんの子守をして遊はしてたけどさぁ」

と錬太郎が頭を掻きながら言うと

「だって、錬兄は錬兄だもの仕方ないわ。じゃ、錬太郎さん?って?でも~やっぱ変♪」

彼女は二杯目を頼んだ。


 



「おいおい。ゆっくり味わって飲めよ」


と錬太郎が頬杖をつく恭子の横顔を少し覗き込んだ。

「あぁ。覚えてる?錬兄?私が公園で転んで、足を挫いて錬兄がおんぶして家まで送ってくれたこと。あの時錬兄の背中大きくて気持ちよかったこと覚えてるよ。その時私が言った言葉覚えてる?」 

恭子が言うと、マスターに曲を頼みかけた顔を恭子に向け

「あぁ、覚えてる。俺のお嫁さんになりたいって言ってた。懐かしいな。ひまわりの目がくりっとして可愛くて。ハハッ」

と照れることなく言った。

恭子は瞳を潤ませていた。 

「私はもう大人の女性。いつまでも子ども扱いしないでね」

少し拗ねたように錬太郎を見た。そう言った次の瞬間に二人は高笑い。

しかし、錬太郎は内心恭子のしなやかな物腰に女性を感じていたことは否定できなかった。

そして、彼女の笑顔の陰に銀色の水に心を浸しているような、何か張り詰めたもの悲しさをも同時に感じていた。

決して他人には言わず、しかし伝えたい、誰かに理解して欲しいという何かを感じていた。

丁字路で出会った瞬間の心の動揺は、まさに恭子の瞳を見たときのものだった。

何か忘れ掛けていたものが水面を広がる波紋のように錬太郎の心の中を広がってた。

今、恭子の瞳を見つめ彼女の心の奥に触れようとすることなど、愚鈍で洒落にならない。

身体に流し込んだ琥珀が、一気に透き通り酔いが覚めてしまうだろう。


彼女が歩んで来た人生。

仕事、家庭、日々精一杯生きて来ただろう。

自分の人生と重ねながら思いを巡らしたが所詮本人でしか理解できない感情がある。

感情とは厄介で、誤った記憶しか残さない。

錬太郎が大学へ進学してから会うことは無かったが、彼女の一つの言葉を覚えていた。

今、潤んだ彼女の瞳は過去を、現在の生活を深く語ることを拒んでいるように思えた。

恭子はグラスをカウンタに置いて

「嬉しい。錬兄。覚えていたんだ」

恭子の瞳から一粒の涙がスローモーションのようにグラスに吸い込まれた。

琥珀の水面に小さな波紋を広げた。 

錬太郎の心の水面と共鳴した瞬間だった。

錬太郎が言った。

「ひまわり。そのグラスつらいなら俺が飲むよ」

「錬兄だ。いつもそうやってひまわりのこと包んでくれてた」

と恭子が言った。

  
 
  

錬太郎は彼女の一粒の涙が溶けた琥珀を口に運んだ。

「今日は終電に間に合うようこの店を出なきゃ。帰るときちゃんと送ってね♪」

と顔を上げ錬太郎を見た。

彼女の生き方が切ないほど分かるような気がした。

「わかった、わかった。ちゃんと送るから」

幼い妹に話し掛けるように答えた。

彼女が錬太郎に会いに来た理由を聞くことも、言葉にすることも今は無意味だった。

マスターは何も言わず、カウンタの奥でレコードのジャケットを眺めタバコを燻らしていた。


 今夜の選曲は、マスターも少し戸惑っていた。フォリナーの夜は洒落気を忘れかけていた。



つづく