思想とは環境の床に広がる敷物のようなもの。
心地よく敷物の上にごろ寝でもしているなら
意識することもなく思考を制御し始める。
しかし、敷物が古くなると取り替えたくなる。
薄い敷物や分厚い敷物、長く使いすぎ擦り切れ
端がめくれ上がって躓きやすくなるもの。
様々あるだろう。どれも長続きはしないもの。
大義名分などどこ吹く風。同じ敷物を長く
使えば使うほど思想は、それを説く者達によって
変容し腐敗していく。
たった一つの思想が世界に通用するかのように
思い込み、強制という力任せの思想へと変貌する。
説く者達は、その姿がいかに醜くとも言葉遊びを
楽しむように崖の淵を渡り歩く。
三又の鉾はbalanceを失い、突出した剣先だけが
誇らしげに思想の力を堅持する。しかし、他の
剣先は錆び朽ちていく。それを知りながらも
修復することすらできず崩れ始める。
敷物は一人分でいいのだ。それぞれが枕にできる
敷物は一人分だけあればいいのだ。思想とは
一人分でいいのだ。それでも、人間は生きる為に
他を思いやり絆を持つ。
力ある者を神とすることも、人間とすることも
ひとつの思想を大きな敷物にする切っ掛けとなる。
敷物は一人分。思考は何人も強制を受けず思想は
何人も他者に強制してはならない。
ここに、千年の孤独の始まりを憂う者として
言葉を綴ったのは、きっと無思想という思想が
この国にあることを知って欲しいからかだろう。
そう感じるのはおかしいだろうか?
マーク

