可視を不可視とし、不可視を可視とする。
そんな世界で思考を楽しむ。
こんな遊びをいつからしていたのか。
いや、誰でもしていると思っていた。
しかし、何やら友と毛色が違っていた。
周囲の現実から逃避する場所として
自分の世界を作り上げようとしていたのか?
単なる睡眠導入の媚薬だったのか分らない。
"大抵みんなそんなもの"
物事の後先の区別など食事と排泄以外に
存在しないと思っていた。"大抵"とは
こんなときに使う言葉ぐらいに感る。
"自分が特別だとも思わなかった"
"いまもそう。ありふれた人間"
それでも、言葉を叫ばせる。
自分の中の何かが叫ばせる。
その何かが鉛筆を立てさせ
安定させようとするように
自分の心の中の内と外の境界を探す。
なぜ境界を気にし探すのか分らない。
内と外の区別になんの意味があるのかも
分らないまま探す。
別段虚構性の高い現実を破棄し
幻想へとシフトするものでもない。
あくまで現実を目の前に置き
後先の区別は無くとも、内と外の境界を
気にする。きっと完璧なまで臆病なのだ。
いつもどこか他人事として自分の心を
捉える癖がある。
確かさは無いが、破滅的な言葉が
連なるのは現実社会に対する
欺瞞や閉塞感といったものが
そうさせているのだろう。
誰かに責任を押し付けることはせず
ただ受け取っている。
受け取った事象について感じたまま
異なる信号に変換しながら言葉を綴る。
それがこの場所なのだろう。
こうしている間にも仕事は入り込む。
別に仕事から逃れようともがいてはいない。
過剰な湿度がそうさせるのか?くだらない
言葉で不意打ちをくらわせる心のセンサーに
自分の感情が奮い立つのだろう。
とりとめもないブログ。
なぜこうまで言葉を書きなぐるのか。
理解できないかもしれない。
誰かに理解されようとして綴る分けではない。
ただ書きなぐる。なりふり構わず書きなぐる。
それでいいのだと感じている。
健康であるという大前提が人間の醜さの
憂さ晴らしをするかのように運動やサプリが
舞い踊り、健康のための健康を完璧な美でも
見るかのように人々はもてはやす。
何の為に生きるのかを問うことなく、志も
消え、命の落としどころすら見えないまま
未知の世界へ足を踏み入れようとする社会。
何かを壊したいのだろう。
規制の現実の中に潜む
矛盾を何かの形で変換し
表現したいのかもしれない。
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とりとめもなく現実であり
内外の区別なく幻想であり
果てしなく現幻である眼前
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吊るされた
鮭の肌に海を見て
山は誰ぞ常ならん
郷士豪者の眼見て
一杯の珈琲
忘れ去る
この廊下の
なんと
晴れやかなる
真実の義弟より

