僕は
"教育"という
言葉に
違和感を
覚える
なぜかは
分らない
恐らく
"強制的"という
意味合いを
感じるから
だろう
或いは
"教育"という
言葉を
理解していない
ただ
それだけかも
しれない
"理論や道徳"
を
振りかざす
教育なら
願い下げだ
そこには
人間の画一しか
見えてこない
"教育"という
言葉を
聞くと
何か
"信念"
などという
言葉すら
付随し
社会の
規範めいた
ものが
身体を
縛り付ける
こんな
"教育"嫌いな
僕でも
何かしら
教育を
受けて来た
ほとんど
automaticな
生活の中で
教育は
無意味だが
manualを
読むには
言語の理解が
必要なのだから
仕方が無い
今でも
思う
元来
教育者だけが
ものを
教えることが
できる
などといった
思い上がりは
捨てた方が
いい
manualなら
砂浜にも
落ちている
物事など
その歳に
成らなければ
理解できない
ものなのだ
ならば
"教育"は
何を
請け負うのだ
この世界で
僕を
"教育"
できるのは
君だけ
"生きる知恵"
という
命の
使いどころを
君は
知っているから




