確かに理由を求めることは
自由な思考の広がりを狭くする
人間の創造は想像の範囲でしか
目に見える形で具現化できないから
恐らく最も新しく優れた発想は
理由も言葉も理論も無いだろう
それはジャンプという気まぐれな
閃きに他ならないと思う
僕等が現実に目にする世界
そこには全て形がある
その形は全て動こうとする
意志を表している
しかし人間はそれに捉われ過ぎ
目に見えぬ確かなものを失う
目に見えるこの世界にあるもの全
目に見えぬものによって動かされている
動こうとする意志を与えるものは何か
なぜ形があるのかという疑問を抱くとき
そこに目に見えぬ力があることを
人間は知っている
人工の添加物を世界に降り掛け
本来の姿形すら失い掛ける現実
人間はこの世界に存在する形を見て
どれが本当の姿だと感じるだろう
目の前にする人間の姿を
僕等は目で見ているだろうか?
いや
見ていない
目の前の姿に隠された本来の姿を
僕等は見ようとしている
目に見える世界はそういうもの
人間の目は確かに生きている
だから
僕は君が見える
君にも
僕が見えている







