「I want to find happiness。。。1」 | 我ここに在りてここに無し

我ここに在りてここに無し

青きBOUGAの果て

ひとりごとのように

詩と小説を書き綴ります。

何か心に響くものがあれば

それだけで。









1.幸せになりたい





 人間は幸せになりたいと願っている。





$のんびりと







 愛も知らぬまま周囲が望む姿を演じ続けた人間にとって、"幸せ"という言葉は無縁な響きにしか聞こえず、背を向けるべき言葉でしかなかった。


 
 そうするしか生きてこれなかった。


 
 "幸せ"という言葉に対する違和感は半世紀を過ぎても消えない。



 自分にとって"幸せ"という言葉は無縁なのだと思うことで、どこか癒されている自分に居心地の良さを覚えるのは何故だろう。


 ただ責任を周囲に転嫁しているだけかもしれない。



$のんびりと



 
 
 誰しも不幸になどなりたくはないが、それでも自分を変えることはできなかった。


 望まれる姿を演じることだけが、自らの"幸せ"だと心をすり替え騙し続けていた。


 幸せになりたいと願わなければ"幸せ"な人生など無縁のまま幕を降ろすしかない。






$のんびりと








 多くの人間は"幸せ"という言葉に憧れを持つ。


 しかし"自分は幸せだ"と言える人間がどれほどいるだろう。



 人間は自ら願うことと、その行動が乖離(かいり)しているように思うのは間違っているだろうか?


 最も理解して欲しい"動機"に自ら背を向けいつも隠し続ける人間。



 そして「これでいい、これでよかった」と嘆き呟く。




 終焉に「これでよかった」という言葉と「幸せだった」には大きな開きがあると思うのは穿(うが)った見方かもしれない。



 しかし「幸せだった」と言える方が確かな"幸せ"があったと言える気がする。







$のんびりと







 "幸せ"という言葉の中に、自分以外の"幸せ"も絡まりもつれ合うことは誰しも知っている。



 「他人」の"幸せ"を犠牲にしてまで「自ら」の"幸せ"を望むのかという副題が残る。



 いや、むしろ主題と言ってもいいかもしれない。



 もし「他人」或いは「家族」の"幸せ"のために何かを断念したとしよう。



 なるほど美談にも聞こえるが、「これでよかった」になるだろ。



 何か弁解じみている。



 「幸せだった」と言える人生を送ることが怖かったようにも聞こえる。



 「他人」や「家族」と言ったテロップをいつも心の中に流し、いつまでも周囲に不満や責任を転嫁し続けるのかもしれない。


 
 そんな人間に"幸せ"が訪れるとは言い難い。


 それが自分だと気付いた時、初めて"幸せ"になりたいと叫びはじめる。



 




$のんびりと







そんな僕がいる。





To be continued