この裏木戸という居酒屋に4つの思考が存在する。別に、一塊になって存在しいるものではない。
また、たった一人だけで存在する思考もない。
誰かが、誰かの思考に帰属している。
この、古くて新しい心を持つ人間達の中の誰かに。
そして、アナログ世代にデジタルは似合わないとでも言いたげな、そこに古くて新しいものを感じ取ろうとする人間の集まりがあった。
彰の父は、旅の疲れもあってか、眠そうにしていた。その様子を見て女将は奥の4畳ほどの座敷に父に少し休むよう促した。彰の父が座布団を枕に横になって目を閉じると、女将はブランケットをそっと掛けた。その様子をカウンターにいる彰と誠司は静かに眺めていた。女将は暫く父の寝顔を見つめていた。
彰と誠司は、またバーボンをグラスに注ぎ口に含み始めた。
「世の中、表現の自由だの何だの言う人間が多いよ。自分の最も大切な権利を主張することもせずにな。思想という自由を行使することなく、表現すべき中身を考えることもなく、他人の表現の上辺だけを見て、表現の自由だのなんだのと権利を主張する。中身もないのに何が表現の自由だ、なんて思ってた。。。」
「おいおい、どうした彰?」
「いや。俺、今夜おやじを見て思ったんだ。人は自分の限られた認識でしかものを見ていない。認識するということは、意識がそこに必ずある。意識は主観的な自覚によるもの。決して“ありのまま”の認識ではない。だから、同じ空間で同じものを見ていても同じ認識をしているとは言えない。それ自体が表現であり、改めてそこに自由など権利を求めることもないだろうと思った」
「でも、それっておかしくないか?確かに、権利はいいけどさぁ、そんなこと言ったら社会のルールそのものが成り立たなくなるだろう」
「同じじゃないから成り立っているんだよ。同じならルールなんていらないだろう」
「そうかぁ?」
「ほら、同じ認識じやなくても、ここにいる人間の思考は互いに共鳴し合って似通っているじゃないか」
「彰とお前のおやじさんの共通の思い出に触れたからか?」
「そうかもしれないな。共鳴することが思考を近づけるのかもしれない」
「そうよ♪彰さんのお父様がいらしたからこそ、今夜みんな心が温かいのよ♪心が響くってそういうことでしょ♪」
確かに女将や誠司の言う通りかもしれない。
「俺なんか人間不信の塊みたいなもんだ。それを原稿にぶつけながら書いているようなもんだ。その切っ掛けはここにいるみんなが知っているけどね。自分が嫌になるときもあるよ。自己嫌悪の塊さ。それでも生きていかなきゃならない。迷ってばかりだ。いやで、いやで、どうしようもない。自分の生き方に納得できなくても生きていかなきゃならない。誰に共鳴するでもなく。だが、おやじは違う。自分の信じる道を真っ直ぐ生きて来た。周りにいる人間も、それを許している。何故だ?家庭を顧みず仕事、いや、夢だけを追い求めて生きている人間。身勝手な人間を、何故許せるんだ?それに共鳴していたって言うのか?」
「それは、家族にも同じ夢を見せてくれたからよ♪それを見せてくれたのはお父さん♪」
「俺の中に、おやじの夢なんか無かったよ」
「ん~ん、あったのよ。お父さんの夢が。一緒に彰さんの心にあったのよ。私はそう思う」
「何であったと思うの?女将?」
「お父さんっていうものは、男っていうものは必ず夢を語るものよ。それがどんなに突拍子もないことでも、空想のようなものだったとしても、語るのよ。女はどちらかというと現実を見るけど男は違うの。お父さんは、それを小さい頃から彰さんに話して聞かせているはずよ。現に彰さんは、目を輝かせてお父様の話を聞いていたのを見ていたわ♪それは、心のどこかで共鳴するものがあるからよ。きっと、彰さんの心にあったのよ。でも、認めたくない自分がいる。そうでしょ、彰さん♪」
女将の話は、彰の心を的確に捉えていた。
「そうかもしれない。おやじも俺もそれぞれ同じ一人の人間にそれぞれの想いがあった。思考も違うと思っている。でも、涙が流れたのはなぜだ。おやじも。おやじの思い出って決して後ろ向きじゃなかった。俺は後ろ向きだった。記憶は消えるけど、思い出は消えない。思い出って過去のものとして後ろ向きに感じやすいけど、今、現在、この瞬間にあるってことなんだ。今ここに居る人間が消えれば思い出なんか無い。おれは、おやじと今ここで同じ感じ方をしていたのかもしれない。女将が言う通りだよ」
「彰。。。」
「俺、今日初めておやじとの人間関係が作れたのかもしれない。50になって初めてな」
女将は彰のグラスにバーボンを静かに注いだ。
「やっぱ、お前の家族っていいよな。俺は無駄な人間かな~。。。。」
「まぁ、無駄なものなんてないと思ったよ。今夜。お前にも価値はあるぞ♪」
「おい、彰。。。すんなり言うなよ。照れるな」
「いや、褒めてないないから。無駄だって気付く意識がいいんだよ。だから、お前は偉い」
「そうか???なんだよそれ」
「自分に価値があるなんて思っている奴に限って、自己中心的でろくなもんじゃない」
「じゃー、人間の価値って何だよ?」
「思考だよ。考えることさぁ。それ以外何があるって言うんだ」
「あら、そうでも無いわよ。。。彰さんも誠司さんも、空を見上げることってある?」
「んー、殆どないな。。。彰は?」
「たまにはあるか。でも、子供の頃に比べたら極端に少ない。なんでだろう?」
「それよ♪二人とも、どうして空を見なくなったか解る?」
女将の言葉は研ぎ澄まされていた。
大人になるとなぜ空を見上げなくなるのだろう。。。
つづく