29. | 我ここに在りてここに無し

我ここに在りてここに無し

青きBOUGAの果て

ひとりごとのように

詩と小説を書き綴ります。

何か心に響くものがあれば

それだけで。

「迷惑な心火」


 しかし、俺の生活なんか“世捨て人”みたいなものかもしれない。朝から晩まで書斎にこもり、猫のタマがたまに挨拶に来る程度。人間との交流は限られている。

 外出といえば夕方女将の店に出向くこと、それに気まぐれなドライブくらいのものだ。“世捨て人”と人に言われても仕方がないだろうと。

 彰は、女将の店に向うはずだったが、誠司からの電話の内容が気になり診療所へ向っていた。女将の店からは15分ほどの距離だ。

 途中、小さな公園を通り抜け散歩がてら彰は何年振りかで誠司のクリニックの前に着いた。まだ、周囲は街灯無しでも十分明るかった。

 二階建ての淡いクリーム色の診療所の前面は少しアーチ状になっていて、二階天井は吹き抜けになっている今日は日曜日で診療所は休みのはずだが、玄関の自動ドアが半開きになっている。

 急患でもあったのかと、正面の自動ドアを手で押し開け中に入った。すると、80歳は過ぎていると思われる女性が待合室の椅子に腰掛けていた。

 独り言をぶつぶつ言っていた。


「まったく、歳と痛みばかり足し算だ。少しは楽に生きたいよ。敬老会に行けば、いつまでも元気でいてくださいって言われるけど、痛くても元気元気って言ってなきゃならないのもつらいんだ。あーぁ、早くお迎えが来ないかねー」


 と老婆は言いながら彰を見た。


「あんた、どこが悪いんだね?丈夫そうに見えるけど?」

「いえ、私は診察を受けにきた訳ではないんです」

「あー、そうかい。私なんか、今日買い物から帰る途中マンホールの縁の出っ張ったとこに足を引っ掛けて転んじまったんだ。それで、無理言って診てもらったんだ。ここの院長先生、結構面倒見いいんだ。わたしゃ好きだよ♪」



 彰はなんとなく嬉しかった。カラフルバカなやつだと思っていたが、仕事は真面目にやっているようだった。


「あたしゃ一人暮らしで話す相手もいやしない。病院に来ると話し相手もいるから暇つぶしに調度いいのさ。具合が悪けりゃ医者も看護師もいるだろう。安心だから、普段はここで一日過ごすんだよ。それでも、院長や看護師に怒られたこたぁないよ」

「へー」

「今日だって、休みだけど診てくれたんだよ。救急診療所までは遠くて行けないしねぇ。やっぱり、いつも診てもらってるお医者が一番なんだ。無理言っても、ここの先生は怒らんで冗談言いながら診てくれるんだ。いい先生だよ。あっ、医者の腕は分からんがねぇ、ハハハ」


 奥から誠司が出てきた。


「ミヨちゃん。そりゃないだろう。俺だって一応医者なんだぞ。レントゲン写真見たけど右の手首は骨折れてないから大丈夫だ。それより膝の方が心配だから、明日またおいで。腫れてたら水抜こうな。今夜は痛み止めと炎症を抑える薬あげるから。気をつけて帰るんだよ。タクシー呼ぼうか?」
「近いから大丈夫だよ。先生、聞いてたんだ。いやだねー。ハイハイ、いつも悪いね。ありがとうねー、先生♪」

「気をつけて帰んなよ。また明日な」



 老婆は腰と膝を曲げ杖を着きながらゆっくり歩き始め、夕暮れの街に消えていった。


「あの婆さんは、兄弟の子供まで一人で育てたんだ。偉いだろう。誰も身寄りがないから買い物から何から全部自分独りやってんだ。尊敬するよ」

「そうかぁー」

「ところで、何だよお前。診療所に来るなんて?何年ぶりだよ?頭でも打ったか?アハハハハ」

「いいから、お前の部屋に入れろよ」

「おう。こっちだ、こっちだ」



 誠司は診察室の奥にある院長室に彰を通した。雑然とした部屋だった。淡いオレンジ色のソファーと薄汚れたデスク。書籍棚はあっても床に専門書が山済みになっている。

 彰は自分の部屋と大して違わない様子にホッとしていた。なぜ、ホッとしたのか彰は少し不思議だったが、誠司の老婆に対する人間味のある接し方を見たせいかもしれない。誠司はタバコに火を点け、デスク脇の椅子に腰掛けた。



「で、何だよ?昼前の電話の話しか?」

「ああ」



 誠司はコーヒーを入れ始めた。それにしてもタバコ臭い部屋だなー。ん?なんだ?ソファー座った彰のお尻に硬いものが当たった。



「お前、これ!」


 誠司は、”しまった”という顔をした。



つづく