葵が言った言葉を聞き、彰は箸を置いた。
「何か、とても気持ちがすっきりするような気がするんです。空を見上げて雨に打たれたい」
「あっ、私わかる気がするなー。彰さんには分からないかもね」
女将が嬉しそうに共感した。
「そんなことないさぁ。俺だって分かるよ。なんとなくだけど」
「いいんです。自分の問題ですから」
「え?問題?何か悩んでいるの?」
彰は、車内での会話を思い出していた。葵が“私が、今ここに居る価値はありますか?”と言った言葉だった。その時、まだ彰は葵の言葉に正面から答えることは出来なかった。
もし同じ言葉を葵から今夜、投げかけられたら。。。
彰と葵は静かに酒を口に含んだ。女将が葵に話し掛けた。
「葵さん、お仕事と子育てじゃ大変でしょ。私も離婚してから一人で子供育てて来たから大変さはとても分かるわ」
「そんなことありません。女将さんと違って私は実家に住んでいますから。親に迷惑掛けてばかりで。早く自立できるよう頑張ってはいるのですがなかなか難しくって」
「お子さんが可愛いでしょ♪いつもそばにいてあげられない分」
「はい。それはいつも。仕事が遅くなると辛くなります。だから、休みの日は目一杯子供と一緒に過ごします♪」
彰は葵の横顔を見て、母を感じた。こんな女性が自分の価値を彰に告げるなんて、今の様子から感じ取ることは出来ない。
「彰さんは、叶えられる夢と叶えられない夢、どちらを選びますか?」
「難しい質問だね♪ん。。。普通は叶えられない夢を選ぶより叶えられる夢がいいんじゃないかな?でも、叶えられる夢と叶えられない夢って、どこで区別するの?夢は叶える手前が一番幸せなんだと思う。叶えてしまえば夢じゃなくなるしね。でも、叶えられなくてもいい夢は誰でも持っているような気がする。むしろ、叶えられる夢がいくつかある時のほうが選択に迷うはずだよ!違う?」
「解ります。でも、どうしても叶えられる夢と叶えられない夢のどちらか選ばなきゃ成らないとき、彰さんならどうしますか?」
「それは、その夢の内容によるよ」
「夢のままでいいんですか?それとも夢が現実にならなくても?」
「葵さん?。。。」
「私、少し酔ったのかもしれません♪いいんです。。。もう、この話はよしましょう♪女将さん、もう一本下さい♪この一本で先日のお礼に換えさせてくださいね♪」
葵は何か思い詰めている様子だった。それくらいは彰も感じ取れる。もう、夜の11時半を過ぎるところだ。
まるでウイスキーをショットで飲み干すように、葵はコップに残った冷酒を一気に喉に流し込んだ。
「大丈夫?」
「平気ですよ♪」
「そう?何か食べなきゃ。女将、突出しと簡単なつまみ。あっ、さっきの焼きうどんまだ残ってる?あるなら、彼女に暖めてあげてよ」
「はいはい♪」
明日は日曜日だが、遅くとも1時前には家に帰そうと思った。
あえて葵の心の内を探る必要もなかったが、何か喉に痞えている気がしていた。
「私、最近息が苦しくて。呼吸ができなくなったり眩暈があるんです。息苦しいっていうか、多分気持ちの問題かもしれませんが、心が張り詰めるような感じになるんです。仕事とか子供のこととか、頑張らなきゃって思えば思うほど空回りしてどれも中途半端に過ぎていく。そんな気がして。それを、考え始めると息が詰まってきて呼吸できなくなったり眩暈が起こるんです」
「んー。そっかぁ」
「だから、もっと肩の力を抜いて楽にできればいいのにと思うけど、それができないんです」
「つらいよね。どうすれば肩の力が抜けるのかな?」
「きっと、心が壊れているから、栄養が欲しいんだと思います」
「心が?」
「はい」
女将が焼きうどんを温めてカウンターに置いてくれた。葵は、それを食べ始めた。
雨がさらに強く降り始めていた。
まるで、心を洗い流すように。。。
そして、遠い日の約束を思い出すように、時を引き寄せていた。
つづく