自分のこととなると、どうも言葉が足りなくなる。別に後ろめたいことなどないのだが、あえて他人に説明するような話題でもない。自分から言いたければ話は別だが、あまり触れたくないのは確かだ。
「女将!大根おろし」
彰は飲み食いが進むと、口の中をさっぱりさせたくなる。それでポン酢を掛け食べ始めた。
「大根っていうと女性はあまり良いイメージがないみたいですね。大根足なんてイメージしちゃうから。まっしろできめこまかな足なんてそうは無いはず♪そうでしょう?♪」
「ええ。確かにそうですね」
「焼き魚や天ぷらには必ずと言って大根おろしがついてくるし。出番は結構あるんです。消化を促してくれるから」
「ジアスターゼでしたよね。消化を助ける酵素でしたっけ?でも、すりおろした大根おろしは苦いから私あまり食べません」
「そう。ピリピリした辛味があるからね。刻んだり煮たりしても辛いとは思わないでしょ?」
「ええ」
「大根をおろすと“からし油”がいできるんですよ。おろしてから7~8分くらいが一番辛い。それを過ぎると辛みは弱くなっていくんですよ」
「へー、そうなんだ」
「人間も歳をとると辛みが少なくなって円やかになる」
彰は自分で言って照れ笑いした。女将も小さく笑った。すると彼女はヒールを脱いだ。
「なるほど。それは別にして、私の脚は大根のようにきめ細かく白いですか?どうです?」
彼女は右脚を少し高く挙げようとした。その時重心が後方へ移動し、お尻が椅子から外れ落ちそうになった。バランスを立て直そうと両手をバタつかせ、その手が彰の額に当たった。眼鏡も吹っ飛んだ。彼女は倒れ落ちる寸前で姿勢をなんとか建て直したのだが周囲への影響が大きかった。
「あっ、ごめんなさい。ごめんなさい。どうしよう。すみません。痛かったですよね。本当にすみません。眼鏡は壊れてませんか?あーもー、どうしよう」
彼女は平謝り。女将はお手拭をおでこにタオルを宛がうよう彰に手渡した。
「大丈夫です」
黒ぶちの眼鏡を外した彰の顔を彼女は見つめた。
「ごめんなさい。ドジばっかりです。本当に痛くありませんか?」
「大丈夫ですよ。彰さんはロートルで頑丈にできてるからね♪」
女将は落ちた眼鏡を彰に渡した。眼鏡を掛けなおすと彰は普段見せない笑顔で親指を立てた。
「どこもなんともないから、そんなに謝らないでください♪」
彼女は酔いが一変に覚めたようだ。ブラウスのボタンを掛けなおし姿勢を正した。
「そろそろ私帰ります。初めて来たお店でこんな醜態をさらしてしまい恥ずかしいです。今夜は本当にご迷惑をお掛けしました」
「とんでもない。いつでも入らして下さい。彰さんも嬉しそうでしたよ。自分の娘さんに見せる笑顔と同じくらいの顔を久しぶりに見ちゃいました♪また、入らして下さいね」
女将が店の外まで送った。やや千鳥足に近いが意識はしっかりしているから大丈夫だと思っていた。彰は椅子に座ったまま見送った。
雨が降り始めていた。
「彼女、傘持ってないよね」
彰は店に置いてある傘を持って外に出て、彼女の歩いて行った方向へ顔を向けると、30メートルも行かない路上で転んで路上に膝を着いているのを見た。彰は彼女に肩を貸し身体を支えながら店に戻った。
「すびまぜん。私ボロボロです」
泣きじゃくる彼女を見て、彰と女将はやさしく労わりながら介抱した。娘にもこんな日が来るのかと、微笑ましくも切なく傍で見守った。
紫陽花が咲くにはまだ早い。
つづく