2. | 我ここに在りてここに無し

我ここに在りてここに無し

青きBOUGAの果て

ひとりごとのように

詩と小説を書き綴ります。

何か心に響くものがあれば

それだけで。




 その女性から一つ椅子を挟んで彰は座った。ホッケの塩焼きをつまみながら女将と軽く会話をしながら冷酒をチビリチビリと飲み始めた。
「今夜は誠司さんいらっしゃらないみたい。彰さんがいれば必ず入ってくるのにね」
女将はクスッと口元を右手の人差し指で隠す仕草を見せた。
「暖簾の影から覗いているかもよ」
「きっと外来の患者さんの診察がまだ終わってらっしゃらないんでしょ」
「やぶ医者のくせに、結構流行っているみたいだよ。まったく、あんな奴が医者になるなんてさぁ。俺は絶対奴の病院なんか行かないね。何をされるわかったもんじゃない」
彰は誠司のことを誉めることはほとんどない。誠司は近所で整形外科クリニックを開院し15年になる。本音では誠司がこの上ない親友だということはわかっているが、素直になれない男の意地ってやつが邪魔をする。

 子供のころ、誠司と彰は大の仲良しだったが、中学二年の時大喧嘩をしたことがあった。他愛もない口げんかから始まり、取っ組み合いの喧嘩になったのだ。その理由は後で触れるが、本当にくだらないの一言に尽きる。それ以来、仲が悪いのやら良いのやら。

「女将、あの女性はいつから飲んでるの?」
「そうね、30、40分ってとこかしら。お一人ですよ」
「ふーん。そう」
「何か、気になるの?あらあら、若い子を見るとすぐこれだもの。目の前にこんないい女がいるのに」
「女将は別格だよ。俺なんかいつもアタックしてもさ-。つれないのはどっちだよ」
「あっ、噂をすればほらっ。誠司さんよ」
女将が彰に小声で耳打ちした。
「いらっしゃい。誠司さん。どうぞ彰さんのお隣へ」
「よう。女将。待ってた?」
誠司は彰に目を向けることもせず椅子に座り女将を見て挨拶した。

「彰、お前今日は早いな。俺に抜け駆けして女将を口説いてないよな!」
「なに言ってんだい。俺はそんな卑怯な真似はしねーよ。なんなら今、女将に聞いてみようか?どっちがいいかをさぁ?」
この二人の会話の始まりは、いつもこれから始まる。
「まぁまぁ、お二人とも。さぁ、飲んで食べて♪甘鯛の若狭焼きなんてどうです?」
おやじ二人は女将の言葉に従順に頷いた。

本当に50代の子供だ。一人はいつも不機嫌な顔で原稿を書き、もう一人は紳士な顔つきで患者さんを診察している“ガキ”である。そんな二人にとって、ここはすこぶる居心地が良いらしい。仕事のストレスから一気に解放され子供にもどる。男とはなんと愚かで幼い。女将は時に母のように、そして時に恋人に変わり身する。そこがこの二人にはたまらないらしい。傍から見ていれば、二人の子供を母親があやしているようなものだ。

「彰、お前この間俺の診療所の前歩いてたろう?どこに行ってたんだ?」
「何でわかるんだ?ははーん、お前んとこのクリニック暇なんだろう」
と彰がからかった。
「ばーか、診察室からたまたま見えたんだよ。お前が昼にうろつくなんてめったにないだろう。何かあるとしか思えん」
誠司は彰をテレビドラマの刑事が犯人を尋問でもしているかのような口調で言った。万事二人は喧嘩口調になる。
「あらあら、なーに誠司さん。まるで刑事じゃない?彰さんだって用事があればお昼でも出て歩くでしょう」

女将は誠司を諭すように言った。彰は無視もできず冷酒を飲み干すと誠司を見て箸を静かに置いた。
「ああ、歩いてたよ。用事があったんだ」
「どんな?」
「妻から頼まれたんだよ。銀行まで行かなきゃならなくてさぁ」
「なんだ。つまらん。俺は女将とランチでもしにいくのかと思った」
「お前、それは被害妄想だ。誰がお前に見つかるようなヘマするか!こうなったら、本当に女将とデートするかな♪」
彰は誠司に言い返した。誠司は冷酒を飲み干しお代わりをした。

 女将と誠司の三人の他に客はもう居なかった。あっ、いや、いるいる女性が。あまり静かで彰は忘れていた。目を向けると、だいぶ酔いも廻っているようで女性の身体は前後に少し揺れているように見えた。

「すみません。私も交ぜて頂けますか?」

 その女性は虚ろな目で三人の居る方を見た。見たといってもピントがずれている。もしかすると彼女は自棄酒でも飲んでいたのかと思えた。仕事で上司に怒られたのか?それとも彼氏にでも振られたのか?物書きの魂がすこぶる活き活きし始めていた。誠司の携帯が鳴った。

「ああ、わかった。はいはい」
誠司は携帯電話を切って、
「女将、今夜は帰る。ちょっと用事ができたから。ごめん」
右手を軽く挙げ挨拶し店を出ていった。相変わらず忙しい男だ。彰は女将からお酌をしてもらいゆっくり飲み始めた。女性も彰の隣で冷酒をコップで飲み始めていた。

「私、池上と言います」
と前髪を少しかき上げコップを見つめながら言った。確かに酔っているな。彰は自分のこめかみを左指で引っかきながら、
「松野です」
と挨拶した。
女将は水菜とマグロのかま焼きを出してくれた。彰は女性にも進めた。
「頂いてよろしいですか?すみません」
女性も箸でかま焼きを突きはじめた。
「美味しいですね。」
「そうでしょう。女将のかま焼きは最高ですよ」
女将と彰、そして池上という女性の三人が、狭い居酒屋の空気を十分満たし始めていた。

つづく