「知ってる?錬ちゃん!貴方がいつも飲むバーボンって下品なのよ。あっ、これって“聖なる酒場の挽歌”ローレンス・ブロック/田口俊樹訳にあるの知ってるでしょ。“バーボンて下品になるのが好きな紳士の飲み物なのよ。スコッチはヴェストとネクタイと進学予備校。バーボンは自分の中の獣を外に出したがっている愛すべき男たちの飲み物なのよ。暑い夜にじっとしてて、汗なんかかいても気にならないっていうのがバーボンなのよ”って。。。」
キャロリンのご託宣を紳士らしく聞いているのは、マンハッタンを根城にするアル中の私立探偵、マット・スタイガー。。。彼はほとんどの場合、コーヒーを甘くするため、そして一日中ほろ酔い加減でいたため強い酒を敬遠して、バーボン入りのコーヒーを飲む。それをケンタッキー・コーヒーと呼ぶことを、彼が主人公のシリーズの最高傑作“聖なる酒場の挽歌”に書かれている。
タマさんは何故いまバーボンの話をし始めたのだろう?と錬太郎は思った。
「私は下品な男が好きなの。紳士だけど、獣を外に出したがっている男。フフ」
ととても70を越えた女性とは思えない艶やかな表情を見せた。
「だけど、私もバーボンが好きで男より獣の部分を出したがっていた。だから男が引いちゃうんだろうと思うわぁ♪そんなときはいつもアドリブよ。決まった殺し文句なんかないし、自分をどう見せたら気に入ってもらえるかとか綺麗に見えるかなんて考えもしなかったわぁ」
錬太郎は、タマさんの横顔の皺を見ながら話しに聞き入っていた。
「だから、結局この年になっても独りなのかも♪」
と悪戯っぽいタマさんが言った。
「それで、砂浜を歩いていて思ったの。“アドリブ”って私の人生。。。流れ流れてきた流木。朽ち果てて誰も見向きもしない。なんだかとても親しみを感じて自分の姿を描いてみようと。。。洒落気よ♪」
錬太郎はタマさんの背中に向かい
「タマさんの人生。。。ん。。。生き方かな。。。あの流木で形作った“アドリブ”を見た人もアドリブ、台本などないからね。。。人生に台本なんてあったらツマラナイ♪よね。。。タマさん」
と言った。タマさんはすぐに答えるでもなくコーヒーを入れカウンターの椅子に腰を下ろし、ゆっくりとカップを口に運んだ。タマさんの背中が少し丸く見えたが、皺くちゃの目じりは人生の全てを知り尽くしているかのように夕日に優しく照らされていた。
「ん。。。錬ちゃの言う通り、私の人生なんてアドリブ。自分の思った通りにいくことなんか無かったわ。そんな恋も。。。結婚もね。。。」
タマさんは自分の過去については話したことは無かったし、フォリナーでもマスターや錬太郎はタマさんに聞くこともしない。なんとなく、それがルールのようになっていた。ただ、タマさんとの会話からは波乱な人生を伺わせる言葉が、他愛も無い会話の端々から窺い知ることはできた。
「もともと、人なんてアドリブよ。生きること、日々の生活そのものがアドリブだと思うわ。だから、あの流木で描いた“アドリブ”を見た人も台本にはない台詞を即興的に話すかもしれないし、何かを感じて欲しかったんだと思うわ」
と言いコーヒーにバーボンを注いだ。ケンタッキー・コーヒーだった。錬太郎はタマさんの話しを聞きながら自分の人生と重ねていた。人は失敗し学習し、次に始まる明日を、より幸せに生きていけるよう少なからず努力している生き物だと思っていた。
錬太郎も仕事一筋に日々努力し、それが家族の幸せと信じて。。。生かされている自分に幸せを感じて。同じ失敗を繰り返すのだろうか。。。錬太郎は思った。人は学習すると言っても“記憶”をもとにしているはず。その“記憶”が無いと叫ぶ男、記憶に呼び起こし消し去られることに怯える感覚や知覚。。。いったい何なのだろうと。
タマさんは長い人生の中で多くの経験をして来たはず。恐らく誰よりも、よりよいも明日を期待し同じ過ちを繰り返すことのないようにと願わないはずはない。だが、タマさんは自分を素直に受け入れ、学習という言葉すら無意味になるほどの深い人生を歩んできたように錬太郎は思った。
錬太郎が言った。「タマさん。。。タマさんて幸せになろうと思ったの?」
するとタマさんは
「幸せになりたいとは思わなかったわ。私が生かされる場所を探していたように思うの。それが幸せ?だから誰にでも正直に隠さず素直に見せたわ。後になって嘘をついていたなんて思われたくなかったもの。どんなに辛くても“神の切り札”だけは使いたくなかった。どんなにぼろぼろになっても私が生きている以上、流され続けても生きていかなきゃ、今まで精一杯頑張ってきた自分を捨てることになるから。だって、自分をほっぽり出したらそれこそ居場所が無くなるでしょ!」
錬太郎は頷いた。
「“記憶”って何だろう。。。タマさん。。。」
と聞き返した。
「そうねぇ。。。ひとつだけ言えるわ。当てにならないものよ。。。“記憶”って作られちゃう。子供の頃の記憶なんて得にね。今の世の中ビデオを撮って記録してるじゃない。それを見せちゃうと“幸せ”ってこうなんだとか、自分は幸せな時を過ごしていたんだと記憶しちゃうはず。でも、記憶するって頭の中に“情報”として残っているものじゃないと思うの」
錬太郎は次に出るタマさんの言葉が分かり始めていた。
「人間の記憶って“意味”として残しているんじゃない?ん。。。何か意味付けがないと記憶としては残らない。それが無くても機械なんかは“情報”としてしか残らないでしょ」
「そうだよ。タマさん。分かる。俺、学習って言葉。。。だから嫌いなんだ。あっ、それは違うか。。。タマさんの話。。。わかるような気がするんだ」
二人はいつに無く打解けていた。。。辺りはすっかり暗くなっていた。
つづく