9.「送り雪」 | 我ここに在りてここに無し

我ここに在りてここに無し

青きBOUGAの果て

ひとりごとのように

詩と小説を書き綴ります。

何か心に響くものがあれば

それだけで。

 もうだいぶ遅くなっていた。マスターが他愛もない話を二人に語りながら心を労わってくれていた。「お二人とも幼馴染っておっしゃいましたね。恭子さんと錬ちゃんは10近く離れていたんでしょ。何でまた急に。。。」とマスターが言った。錬太郎も聞かないことをマスターはするりと言ってのけた。

 「実家の近くに深森神社というお社があって、よくそこで錬ちゃんや他の近所の子供達と一緒に遊んでいたんですよ。そのお社が先日不審火で全焼しちゃったんです。錬ちゃんのお母さんがいたから、ふっ。。。と錬ちゃんに会いたくなってしまったんです。記憶を呼び起こすきっかけだつたのでしょう」と彼女が言った。マスターは「ヘ~。。。そんなことがあったんですね。???先日、錬ちゃん言ってたよね!30代半ばくらいのサラリーマンの話!“記憶がない”って独り言を言ってたって」とマスターが自分のグラスにバーボンを少し注ぎながら言った。

 「あーっ!そうそう、そうなんだ。何かきっかけがあれば記憶がもどるとかなんとか、死って記憶が消えていくことかな。。。とか。。。ん。。。きっかけ。。。そうなんだ。。。火事は恭ちゃんが俺を思い出すきっかけになったんだ。。。」と錬太郎は恭子の横顔を見た。

 「そうなんだ。そんな人もいたんですね。みんな色々ですね。私なんか平凡で幸せな生活を過ごしていると思っていたんです。これでも主婦なんです。でも、辛いことしか記憶に残っていない自分に気づいたんです」と。「実家に帰っていた丁度その時、火事で焼けた深森神社に行き、このまま幼いころの幸せだった記憶、それも大切な。私の記憶を消し去られてしまうような。。。とにかく錬太郎兄ちゃんに会わなきゃと。。。」。また、彼女は琥珀に一粒の雫を投げ入れた。マスターと錬太郎は静かに飲み続けていた。

 「そろそろ、私帰らなきゃ。錬ちゃん送ってよ♪」と彼女が腕時計に目をやりながら言った。錬太郎は「じゃ、送ってくるよ」とマスターに言い、二人は軋むドアをゆっくりと開けた。すると、冷たい風と供に雪が音もなく入り込んで来た。「気をつけて、月は見えないから。星も見えないでしょう。でも、大丈夫かな?お二人には夜道を照らす光が降り始めているかも。。。」と小声で送り出した。

 二人はゆっくりと歩き出した。桜の花びらが散る様に、雪が風に舞ながら二人の周りを踊っていた。恭子は錬太郎の左腕に右手を絡めた。錬太郎はその腕を取り、手を繋ぎ直した。「小さい頃はいつもこうやって恭ちゃんを家まで送ってたね」と言うと「そうね。あの時と変わらない。錬ちゃんの手、大きくて温かい」そう言うと恭子は錬太郎のコートに繋いだ手を入れた。

 「私、コートのポケットに入るかしら。小人になれたらな~。。。」と恭子は左手も錬太郎の右ポケットに入れた。そのとき彼女の右足が錬太郎の左足に絡みそうになりよろけた。。。「おい。。。危ないよ。。。」と錬太郎は恭子を抱きかかえた。恭子の涙は止まらなかった。。。「あの頃に戻りたい。。。戻りたい。。。ね。。。戻ろうよ。。。つれていってよ」。。。二人は抱き合ったまま街灯の下で立ち止まっていた。

 「あぁ。。。わかった。。。恭ちゃん。。。わかったから。。。おれに任せろよ。。。」と錬太郎は彼女を背負った。「どうだい?背中大きいかい?広いかい?駅までおんぶしていくからな。」と子供の頃と同じ語り口で話しかけた。恭子の頬から伝う涙は錬太郎のワイシャツの襟を濡らし、錬太郎の頬には雪か涙か。。。頬を伝う雫が街灯に照らされていた。

 錬太郎は、つらかったんだな。。。大変なこと沢山あったんだ。。。よく頑張ったね。。。わかったから。。。しっかり。。。恭ちゃん。。。と、何度も繰り返し独り言のように呟いていた。誰に甘えることもしない性格だら。。。恭ちゃんは。。。よく頑張ったね。。。

 指で数えながら恭子は「一歩 二歩 三歩 四歩 五歩 。。。十歩」と錬太郎の足の運びに合わせながら数えていた。小さい頃、10歩まで数えると、また一歩目から始まっていた。

 今夜も、また10歩まで数えると一歩にもどっていた。「錬ちゃんも数えてよ♪」とべそかきの恭ちゃんは錬太郎の首にしがみ付いて頭をノックしていた。昔と同じだな。。。と錬太郎は思った。「私。。。重くない?♪」と彼女が言った。

 彼女の心の方が錬太郎には辛く重く感じられていた。「軽い軽い♪」と答えながら。。。おれで軽くしてやれるものなら。。。錬太郎は数を数える恭子に時折顔を向けながら、雪の舞う夜道を音もなく歩いていった。

つづく