当事者会を開きたい。でも開く体力がない。

 

仙台で開かれている当事者会は、元気な人が集まっている印象で、なかなか自分に合うものがない。

 

子供の時に体を壊されるほど虐待を受けている人は、私のほかにもいるのだろうが、そういう人は当事者会を作る体力がないのだと思う。

 

親に体を壊されながら、よく頑張って働いてきたと思う。無理して働いて余計体を壊したけど。

 

学校の成績も良く、運動もできて、家でも家事を頑張っていて、遊ぶ暇がなかった子供のころ。

 

やるべきことが多すぎて、でも体がいつも具合悪くて、それでも働かされていた子供のころ。

 

貧血で倒れていると父に踏んづけられた子供のころ。

 

うかうかしていると母に突き飛ばされていた子供のころ。

 

親に壊された体で生きていくのは大きなハンディだ。

 

うちの両親は教員だった。

 

私が子供のころ、学校では不良が窓ガラスを割ったり、校庭で椅子や机を燃やしたりしていた。モンスターペアレントもいた。

 

不良やモンスターペアレントでストレスが溜まった親は、家に帰ってきて自分の子供に八つ当たりした。親の目につくと八つ当たりされるので、気配を消して足音もしないように歩いていた。

 

だから、尾崎豊の窓ガラスを割った歌とか、迷惑な歌だなあと思っていた。

 

高校や大学のころ、クラスメートはアニメや漫画についてよく知っているのに、私は家事で忙しい子供時代を過ごしたためにそうした知識は全くなくて、ギャップを感じていた。

 

そういう環境でずっと育ってきたので、今も超まじめ人間で、そういう文化に興味がわかない。

 

地方の観光振興など、何でもかんでも性的に強調されたアニメで表現しているのは気持ち悪い。

 

今も教員は超多忙だけれど、教員の子供たちは健やかに育っているだろうか。

 

世の人は、教員の多忙が、教員の子供の家事労働によって支えられていることを知ってほしい。

 

私が子供のころは、両親が教員の子は、やはり体が弱い子が多かったように思う。

 

教員は忙しすぎて自分の子供はネグレクトになってしまうからだろう。

 

うちの親は「子供の面倒を見るのは学校だけで沢山だ」と言っていた。

 

そんなら避妊しろ、と今なら言えるけれど、子供のころはそんな語彙は持たなかった。

 

こんな両親も学校では人気があった。離任式の日など、車いっぱいに花束を積んで、花に埋もれるようにして運転しながら帰ってきたものだ。

 

人は多面的だ。

 

母の両親も教員だった。

 

母の母である祖母は、おしんのように近所の人を雇って子供の面倒を見てもらい、学校に赤ん坊を連れてきてもらって授業の合間に授乳していた。そうやって5人の子供を育てた。

 

しかし、こんな育て方は一代が限度だ。二代目が健康に育つのは難しい。

 

一代目の親は、愛情不足で育っているので、子供に愛情をかけることができない。

 

それでも、手のかからない子供だと、子供の方が過剰適応して、ネグレクトのまま育ってしまう。

 

その結果、精神的に愛着障害になった親(一代目)に育てられる子供(二代目)は、身体的にも社会的にも愛着障害になりやすくなる。

 

私は生後正味40日で保育所に預けられたが、その保育所はミルクもおむつもネグレクトな保育所だった。

 

その後親戚に預けられ、その親戚は良くしてくれたが、1歳半の時に親戚が転勤することになってネグレクト祖母に預けられた。ネグレクト祖母によるダメージは決定的だった。

 

愛着障害は精神面だけでなく身体機能にも社会機能にも影響を及ぼす。

 

赤ん坊は、神経系が未熟な状態で生まれてくる。赤ん坊が泣いたら、親があやすという繰り返しによって、健康な神経系が作られる。

 

健康なホルモン系や免疫系も、親が抱き上げて微笑みかけたり話しかけたりして安心させてくれる環境で作られる。

 

寿命に関係すると言われているテロメアも、ネグレクトや虐待があると短くなる。

 

愛着障害というと、「見捨てられ不安」が良く取り上げられるが、見捨てられ不安を持つ人はある程度構ってもらっていた人だ。

 

ネグレクトとなると、まず神経系やホルモン系、免疫系などが不全になり、常にぐったりした状態になる。常に具合が悪いので、人に構ってもらおうという気力もわかなくなる。

 

これは他人に興味がないとか、人が苦手、という発達障害による特性とは別の次元のものだ。純粋に神経系、ホルモン系、免疫系などの不全による体調不良の問題だ。

 

そのまま大人になると、常に体調が悪くて、結婚や子供を持つことなど、それどころじゃない、となる。ネグレクトは人の社会機能にもダメージを与える。

 

ネグレクトとは、子供の健康や人生を破壊するものなのだ。

 

そして、ネグレクトや虐待は発達障害の子供だけに起こるものではないし、親に発達障害があるから起こるものでもない。定型発達の親子にも起こる。

 

どんな社会階層の家でも起こるし、学歴の高い家でも起こる。

 

私が開きたいのは、親から見て育てやすかったために過剰適応して頑張りすぎて生きてきてしまった長女の当事者会だ。

 

すべての人が安心して生きられる世の中になりますように。