通販好きな母のすごい部屋
実家に帰るたびに、私はひそかに覚悟を決める。
玄関を開けた瞬間から、すでに「もの」がある。靴箱の上、廊下の隅、リビングのソファの片隅。母はとにかく通販が好きで、テレビショッピングを見ながら「これはいい」と思ったらすぐ電話する人だった。インターネット通販が普及してからは、さらに拍車がかかった。
問題は、買ったはいいが「思っていたのと違う」となっても、返品しないことだ。
「足が痛くて、返品の手続きが面倒なのよ」
確かに、足腰の弱った高齢者には宅配便の集荷依頼も一苦労かもしれない。でも正直に言えば、面倒なのは気持ちの上でも同じなのだと思う。「返品するほどでもないか」という曖昧な妥協が積み重なって、使わないものが静かに増えていく。
リビングの棚には、箱すら開けていない調理器具。クローゼットには、タグがついたまま袖を通していない洋服。「いつか使う」「誰かにあげるかも」という理由で、どんどん棚や押し入れが埋まっていく。
「高かったから」という魔法の呪文
片付けを手伝おうとすると、必ず出てくる言葉がある。
「それ、高かったのよ」
母にとって、値段はものの価値そのものだ。「高かった」という事実が、そのものを今後も持ち続ける理由になる。使っていなくても、気に入っていなくても、「高かった」から処分できない。
タンスの引き出しを開けると、昭和のデパートで買ったような柄の服が出てくる。流行が一周して戻ってくるどころか、二周も三周もしてしまったような代物だ。
「お母さん、これ着る?」 「着ないけど、捨てるのはもったいない」 「じゃあ誰かにあげる?」 「誰にあげるの。こんな年寄りの服、誰も着ないでしょう」
正論だ。でも捨てない。
結局、その服は押し入れに戻される。私は苦笑いをしながら次の引き出しを開ける。
娘に送りつけていた時代
少し前まで、母には独自の「断捨離」の方法があった。
自分がいらないと思ったものを、私に送ってくるのだ。
段ボール箱に詰め込んで、宅配便で。中身は予告なし。「送ったから」という電話一本で完結する。開けてみると、年代物のタッパー、一度も使っていない台所用品、趣味が合わない置物……。
私の部屋も広くはない。「いただきもの」だという罪悪感と戦いながら、静かに処分するしかなかった。
「お母さん、私がいらないものは私もいらないよ」
一度そう言ったことがある。母は少し黙ってから、こう言った。
「でも、あなたの役に立つかと思って」
悪意はゼロだ。むしろ善意の塊だ。自分にとって不要なものでも、娘の生活に役立つかもしれないという発想。そしてその荷物を送ることで、「娘の役に立った」という満足感を得ていたのだろう。
言葉にすると少し切ない。でも、これも愛情の一形態なのかもしれないと今は思う。足腰が弱くてなかなか会いに来られないぶん、荷物を送ることで「つながっている」感覚があったのかもしれない。
ただ、その送り物攻撃も、いつからかパタリと止まった。体力が落ちて、荷造りや発送の手間が難しくなったのだ。親の老いはこういうところからも見えてくる。
フリマアプリが母を変えた
転機は、私が何気なく提案したひと言だった。
「フリマアプリって知ってる? 写真撮って値段つけたら、ネットで売れるんだよ」
母は半信半疑だった。「私にそんなの使えないわよ」と最初は首を横に振った。でも、「私が手伝うよ」と言ったら、少しだけ表情が変わった。
試しに、使っていない台所用品を一点出品してみた。値段をつけるのも、説明文を書くのも、写真を撮るのも、私が全部やった。母はただ「これ売っていいよ」と言うだけでいい。
数日後、それが売れた。
「え、本当に売れたの?」
母の顔に、驚きと小さな喜びが浮かんだ。捨てるしかないと思っていたものが、誰かの手に渡って、しかもお金になった。その感覚が、何かを解き放ったのだと思う。
「捨てるのはもったいない。でも誰かが使ってくれるなら」
その言葉が、少しずつ母の行動を変えていった。
二階がまるまる一部屋、空になった日
フリマアプリで最初の売り上げが入ってから、母は少しずつ仕分けを始めた。
「これはどう? 売れると思う?」 「これはもういらない」 「この服、誰かが着てくれるかしら」
最初はおっかなびっくりだったのが、だんだん自分でペースを作るようになった。売れないものは廃棄に回すようになり、出品が増えるにつれ、床が少しずつ広くなっていった。
そして、帰省のたびに変わっていく実家の景色に、私は驚かされ続けた。
物置と化していた二階の一室。ここには長年、誰も手をつけられなかった荷物が積み重なっていた。家具、段ボール、趣味の道具、正体不明の箱たち。母も「あそこはもう無理」と半ば諦めていた場所だ。
それがある日、がらんとした空き部屋になっていた。
「お母さん、ここ……」 「やっと片付いた。すっきりしたでしょう」
母は誇らしそうに言った。自分ひとりでやりきったわけではなく、私が来るたびに少しずつ一緒に進めてきたのだが、それでもこれは母の決断の積み重ねだ。何を手放すか、何を残すか、それを選んだのは母自身だ。
空になった部屋に立って、私は不思議な気持ちになった。嬉しいとか悲しいとか、そういう単純な感情ではなく、もっとひっそりとした、でも確かな充足感。
奥底から出てきたもの
片付けをしていると、思わぬものが出てくる。
あるときは、父が若い頃に買ったらしい万年筆が出てきた。父が亡くなってずいぶん経つが、「お父さん、こんなの持ってたの?」と母が呟いた声が忘れられない。使えるかどうかわからないけれど、大切にとっておくことになった。
またあるときは、私が子どもの頃に描いた絵が出てきた。クレヨンで描いた家族の絵、ひどい出来栄えだが、裏に母の字で日付が書いてあった。捨てられなかったんだな、と思ったら、なんだかむず痒いような気持ちになった。
古い写真も、手紙も、子どもたちが作った工作も。引き出しの奥から、記憶の欠片が次々と出てくる。片付けというのは、ものを整理するだけでなく、過去と対話する作業でもある。
だから、元気なうちにやるべきなのだ。
本人が「これはいる」「これはいらない」と言えるうちに。思い出の品を前にして、笑ったり、懐かしんだりできるうちに。それを一緒にできるのが、今のこの時間だと思う。
もし亡くなってから片付けていたら、一枚一枚の意味もわからないまま、作業的に処分するしかなかった。それを思うと、今こうして母と一緒に整理できることが、ありがたいとさえ感じる。
実家の片付けは、自分の断捨離でもあった
母の家を片付けながら、気づいたことがある。
私自身も、相当なものを抱えているということだ。
「捨てられない」というのは、年齢や世代の問題ではない。母を見て苦笑いしながら、同時に自分の部屋の押し入れが頭をよぎる。何年も着ていない服、使っていないガジェット、「いつか読む」と積み上げた本たち。
母の「高かったから捨てられない」は、私の「もったいないから捨てられない」と本質的には同じだ。
ものには、過去の自分の選択が詰まっている。それを手放すということは、その選択を否定するように感じてしまう。だから捨てられない。でも本当は、あの頃の自分を否定しているのではなく、ただ「今の自分には必要ない」と認めるだけでいい。
母の片付けを手伝いながら、私は自分に対してもそのことを言い聞かせるようになった。
実家に帰った帰り道、私はいつも少しだけ部屋の引き出しを開ける。そして、「これ、まだいる?」と自分に問いかける。
片付けは、愛情の最後の贈り物かもしれない
老いた親がひとりで片付けをするのは、体力的にも精神的にも大変だ。足腰が弱ければ、高いところのものを下ろすだけでも一仕事になる。ひとりで過去の品々と向き合うのは、孤独でもある。
だから、できるなら一緒にやりたいと思う。
「また今度でいい」と先延ばしにしがちだけれど、「今度」がいつまで続くかは誰にもわからない。親が元気でいられる時間は、思っているよりも短いかもしれない。
フリマアプリで売れたお金は、母のちょっとしたお小遣いになっている。「これで何か買おうかしら」と嬉しそうにしている顔を見ると、やってよかったと思う。ものを手放すことが、マイナスではなく新しい何かにつながっている感覚。それが、片付けを続ける力になっているようだ。
空になった二階の部屋を見るたびに思う。ものを手放すことは、空間を取り戻すことだ。そして空間が生まれると、気持ちまで少し軽くなる。それは母にとっても、私にとっても、同じだったみたいだ。
捨てることは、失うことではない。
次に来るものに、場所を空けること。
母の家の片付けは、まだ続いている。次に帰省したとき、また少しどこかが変わっているだろう。それがいまは、楽しみのひとつになっている。
